縁は切れる
自分でそう選択しても、相手がそう選択しても
SNSは繋がりを簡単に、広く、大きくするけど
同時に崩れるスピードもより早く、簡単になった
今画面にしがみついて必死に返信している相手は、私にとってどんな存在なのだろう?
表情も声も伝わらないこの一言で、はたしてその人の心の中までもを図れるのか?
"怖い"
それは本当の意味で繋がれない場所で繋がろうとするからだ
簡単だよ
開かなくてもいい
縁を切るか、会いに行く、ただそれだけ
-開けないLINE-
「ダメな自分を認めたくない」
「人の怒りを避けて生きたい」
「私にも人にはない宝石が欲しい」
「羨ましいと嫉妬の境目」
「ほっといてよ」
「助けてって言えない」
「日に日に嘘が簡単になっていく」
「私らしいって何?」
「常に何かと繋がってないと怖い」
4年前の日記を開いたら、今とは別な私がいた
あの時は、あの時なりに一生懸命に生きていた
完全なんて、完璧なんてないけど、それに近づきたい
あの時、不完全の中でもがいていた私がいて
今、それを懐かしいと思える私がいる
「不完全だから、好き」
-不完全な僕-
中学3年生の妹への誕生日プレゼントに香水を選んだ
ちょっと早いかなとも思った
でも彼女は少しおマセな子
スズランとイチゴが香る
NANAのハチ子のような、
paradise kissのみわこのような、
セーラームーンのうさぎのような、
"まるでおマセなヒロインの香り"を選んだ
妹はどちらかと言うと、
NANAのナナのようで、
paradise kissのゆかりのようで、
セーラームーンのレイのようで、
そういう印象を纏う子だけれど
私から見た彼女はこの香りが特別似合う女の子なのだ
-香水-
夜明け前のキッチンで歌おう
海岸に座って海を見よう
なんとなく隣町まで行こう
なんでもない日にワインを飲もう
たまには好きなものだけ食べよう
乾燥機を待つ間に本を読もう
素敵な日の終わりにお花を買おう
世界はこんなにも広いのにちっとも丸くないねって笑おう
-言葉はいらない、ただ、-
2019年から2020年に変わった日のことをよく覚えている
ちらほらと雪が舞う12月31日だった
私はよく意味もない写真を撮るが、この日友人に指摘された
無闇に写真をとって未来の自分に残そうとしても無駄だと
そんな画面越しの景色を残すなら、もっと今を生きろと
それでこの友人は私にフィルムカメラをプレゼントしてくれた
2019年最後の日はお天気雨だった(お天気雪、だろうか)
キリのいい数字になるから、いっそ私の人生から沢山のものをマイナスしてみた(ちょうど高校卒業の年だったこともある)
画面越しの景色を見るのをやめた
ものを沢山沢山、山ほど所有するのをやめた
我慢して何も言わないのをやめた
寝る前に明日の不安を考えるのをやめた
今、天気予報にもなかった大雨が降ったとして、私は思い切りその雨の中に飛び込むだろう(去年の夏実際に飛び込んでみた)
どれだけの人が雨に打たれることを好むだろう
どれだけの人が雨に打たれる感覚を知っているだろう
友人曰く、人生はマイナスしてこそプラスになると
だからお風呂でくしゃみが止まらなくなるのも承知で、お前は雨に打たれに行けと
-雨に佇む-