空が泣いてるんだ。
-いつまでも降り止まない、雨-
大丈夫
ちゃんとご飯が美味しいから
-あの頃不安だった私へ-
「あの時は」から始める文章は美しく感じる。
「あの時は」ということは、今の私は「あの時」を客観視できるほど成長しているということで、自分でもその成長をしっかり感じているということだ。
だけど一つだけ、「あの時は」から始められない思い出がある。
厳密に言えば、「あの時は」から話し始めると、あの時の私に戻ってしまう思い出。
あの時、好きな人がいた。
洗面台とリビングでお互いにメイクしている時、たまに声が聞こえづらくてこちらを覗きに来る彼女が好きだった。
西野カナのライブ映像を流して、モノマネしながら楽しそうに熱唱してる彼女が好きだった。
長めのハグでお別れするのも、美味しいものを食べた時に目を大きく開けるのも、朝のちょっと枯れた声も、全部好きだった。
あの時も今も友達には変わりないけど、私の気持ちはずっと一線を超えていた。
一年経った今でも、思い出として消化できずにいる。
まだ痛む古傷があるくせに、人に話す時はあたかも消化された思い出のように話すけど、本当はあの夏の思い出にずっとしがみついている。
友達以外の、これからもずっと側にいれる肩書きが欲しかった。
なぜ気持ちを伝えなかったのか?
あの時は、性別を超える恋愛に自信がなかったから。
-逃げられない呪縛-
昨日の大雨はさよならを言うにはちょうどいい土砂降りだった。アスファルトを打つ雨の音は台湾の雨季らしい、声を掻き消すほどの激しさで、遠くで響く地鳴りのようだった。
雨粒の一生ほど短いものはないと思う。
でも宇宙からみた人間など、雨粒の一生にも満たないのだと、秒速7メートルにも満たないのだと思う。
明日も雨かな。
今日の雨粒を両手ですくって、明日に連れて行くことはできるかな。
雨粒は明日を知らないまま、晴れたら乾いて消えてしまうから。
-昨日へのさよなら、明日との出会い-