「あの時は」から始める文章は美しく感じる。
「あの時は」ということは、今の私は「あの時」を客観視できるほど成長しているということで、自分でもその成長をしっかり感じているということだ。
だけど一つだけ、「あの時は」から始められない思い出がある。
厳密に言えば、「あの時は」から話し始めると、あの時の私に戻ってしまう思い出。
あの時、好きな人がいた。
洗面台とリビングでお互いにメイクしている時、たまに声が聞こえづらくてこちらを覗きに来る彼女が好きだった。
西野カナのライブ映像を流して、モノマネしながら楽しそうに熱唱してる彼女が好きだった。
長めのハグでお別れするのも、美味しいものを食べた時に目を大きく開けるのも、朝のちょっと枯れた声も、全部好きだった。
あの時も今も友達には変わりないけど、私の気持ちはずっと一線を超えていた。
一年経った今でも、思い出として消化できずにいる。
まだ痛む古傷があるくせに、人に話す時はあたかも消化された思い出のように話すけど、本当はあの夏の思い出にずっとしがみついている。
友達以外の、これからもずっと側にいれる肩書きが欲しかった。
なぜ気持ちを伝えなかったのか?
あの時は、性別を超える恋愛に自信がなかったから。
-逃げられない呪縛-
5/23/2023, 4:39:36 PM