楽園
生きて、後20年かなぁと考える。
あの世に希望はないが、強かに生きたご褒美として、
楽園が用意されていたらいいなぁと考える。
生きている間は、楽園はない。
楽園があったら、仕事などできない。
だから、天に召されたら楽園で過ごしたい。
もう頑張らなくても、いいんだよと思いたい。
一生懸命に生きた人は楽園に行けると思いたい。
それで、また明日から一生懸命生きていけるから。
風に乗って
昨日、天気が良かったので、
久しぶりに愛犬と公園の芝生の上を走った。
二度息が切れる程、走り回った。
愛犬の上機嫌が、手に取るようにわかった。
暑いほどの気温だったが、時折吹く風が気持ち
良かった。
間違いなく、私と愛犬は風に乗っていた。
信じられないくらい走った。
家内は写真や動画を撮りたかったみたいだが、
速すぎて思ったほど撮れなかったらしい。
2人とも還暦だけど、まだ体力は万全だ。
また、風に乗って走ろうね。
刹那
刹那とは。
仏教用語で、極めて短い時間という意味である。
それをセンチメンタルに受け取って、
「刹那主義」とか、「刹那的」とかで、
自分の感情を表す人たちがいる。
本来の意味からは逸脱しているかもしれないが、
悪い事ではないと感じる。
なぜなら、人間は短い時間の中で、色んなことを
考えて行動するからである。
言葉の響きでロマンティックが加味された、
稀有な言葉が生まれたのかもしれない。
刹那的に散文を編み出す者の考えである。
生きる意味
重いテーマである。
しかし、重く考えることはない。
この世に生まれてきたのは、これをなすべきだ。
これを成し遂げるために、生まれてきたのだ。
とかは、偉人が言う台詞である。
本来は意味がないはずだ。
それを見つけるために、親が育ててくれた。
何の制約もなしに、自由にさせてくれた。
だから、自分がその生きる意味を探せばいいはずだ。
家内と一生を全うする。
子供を幸せにする。
好きな仕事を思い切り頑張る。
十分に生きる意味を為すと考える。
高尚なテーマに束縛される必要なない。
善悪
いつまでも物事の善悪を知る人でありたい。
人は権力を握ると、物事の善悪がわからなくなる。
とても寂しく、悲しいことだ。
しかし、その本人は自覚しない。
救いようがない。自業自得だ。
いずれ寂しい余生を送るはずだ。
それまで、せいぜい物事の善悪をわからない、
貴方でいてください。
さようなら。
勘違いしてしまった貴方へ。