あの日の景色は、特別だ。
色がある。それは見たこともないくらいふんだんな色遣いである。
匂いがする。甘くて目が眩むような香りである。
音が聞こえる。全ての音楽を凌駕するほどの心地よいメロディである。
わたしはそれまでは知らなかった。
これまでも間違いなく色づいていた全てが、あの日を境に白黒写真の印刷のようになってしまった。わたしにとってもうずっと、全ての現実はあの瞬間だけだ。しかしそれは間違いなく過去でしかない。その事実に心臓を掴まれ、縦横無尽に振り回されているようだ。
全てはそこに君がいたからだった。
今日もわたしは白黒の世界を歩いていく。誰かと笑い合っても、感動的な映画を見ても、春に桜が咲いて、夏の日差しにうんざりして、秋に金木犀の香りがして、冬の街並みに光り輝く街路樹を見ても、人気のスイーツを食べても、昔から好きだった音楽を聴いても、何をしても、何を見ても、もうあれ以上の幸福などないのだ。
君は忘れていてほしいと心から願っている。わたしという存在の唯一になったこと、そして今でもそうであること。
なんて思いながらも、君の走馬灯にだけは、あの日2人で見たあの景色を映してほしいとも願っている。
きみと手を繋いで歩く。
私から伸ばした腕、袖口を軽く掴んだら、少し不機嫌にきみから握ってくれた。それが嬉しくて、心臓をおおきな腕に掴まれたような感覚になる。幸せというものは、生まれた瞬間に終わりに向かっている。関係はいつか終わる、感覚はいつか変わる。それはこのたった23年の人生で私が痛いほど知ったことだ。好意なんてものはただの呪いでしかなくて、つまりはただ呪うか呪われるかでしかない。呪いが解けて仕舞えば終わってしまうのだ。そんなこと、わかっているはずなのに。また私はこうやって、誰かに唯一の気持ちを抱いて、手を伸ばしている。
きみの柔らかな手のひらから、細い指から、あまりにも心地よい温かさが伝わる。同時にいつかこの瞬間を後悔する日がやってきてしまう準備をしている自分がいて、そんなことでは愛される資格なんてないと静かに思う。きみは私のそういうところがすきだって言ってくれたから、つまりはそういうところに呪われてくれたけれど、明日には、3時間後にはなんの前触れもなく解けてしまうかもしれないでしょう?
きみに呪いをかけるのに成功したのはきっと偶然だけど、私がきみに呪いをかけられたのは絶対に必然。きっと何度やりなおしても変わるのことない結末だ。
私はたった3秒の間にそんなことを思いながら掌に力を込めた。強いよ、と呆れたように笑うきみの横顔はきっとこの世の何よりも綺麗で。この呪いが1日でも長く続きますようにと願った。
どこにいってしまったのだろう、私は散り際の桜の木を見て、そんなことを思った。
あの頃の私は、大切な何かを抱えていた。しかしそれが何だったのかか検討もつかない。人だったのか、ものだったのか、なにも思い出せない。心臓と脳の両方の、片手を伸ばしてもギリギリ届かないようなところに、同じ形の穴が開いたようだ。私がそれを思い出したのは、一年前だ。
冬がずっとここに居座るのではないか、と思うほどに長いこと続き、4月の半ばになり人々がやっと花粉に悩まされる声をよく聞くようになった。私は昔から大した症状はでないので、毎年その人たちを気の毒だなあと思う程度である。木々には待ってましたと言わんばかりの顔つきで桜が咲き誇り、花粉を疎ましく思う人もそうでない人も、自然と景色に目を止めていた。
春は嫌いだ。新しく始まる日々や関係を、無理矢理に取り繕った桃色の腕が両手を広げて強要してくるような気分になる。幸せを売りつける販売業者の季節だ、とすら思う。(そこまでは言い過ぎかもしれない。)
その点、冬はとても素敵だ。昔流行った曲の歌詞に、全部寒さのせいにできるというものがあったが本当にその通りだと思う。寒いので衣服を重ねてマフラーを巻く、隙間という隙間が埋まる感覚になる。物理的な暖かさが本当に心を救うとは思えずともやはり冷たいよりはよく、なんだか不幸であることを許されているような気がするのだ。上手くいかないことも、"どこかになにかを忘れてきてしまったこと"も、全て冬のせいにできる。
そんなことを桜とそれに用意されたテンプレートのような言葉を発する人たちを横目に考えながら、一体それは何のことなのだろうと思った。
思えば私はいつも何かが足らないような、満たされていないような感覚をずっと抱えていたように思う。幼少期に何か特別辛い経験をしたわけではないし、それなりに幸せに生きてきたはずなのに。手を伸ばしてもすり抜けるような冷たさのある孤独が、ずっと私を追いかけてくる。その原因がきっとその何かなのだと突然に思ったのだ。思った、というよりも、思い出したに近い。
ではそれがなんなのか、私はその場でベンチに座り考えた。
人?そんなに大事な人を突然忘れることなんてあるだろうか?他の事象は全て覚えているというのに。
もの?可能性は高そうだが、例えばなんだろう。こういうとき物語でよくあるのは小さい頃に大切にしていたぬいぐるみなどか、と思うがそんなものが私の人生をここまでずっと空虚にするとは少し考えにくい。
気づけば2時間が経過していた。時計は17:30を指しており、少しだけ陽が落ちて風が冷たくなってきている。このままここにいるわけにはいかない、明日は仕事なのだから。どうせ眠りについて明日になれば忘れてしまっているだろうと考え、帰路についた。
しかし、次の日も次の日も、その次の日も、ちっとも忘れられなかった。それどころかその思いは強まるばかりで、少しずつ眠りも浅くなり、まるで悪魔にでも取り憑かれたように生活能力が低下していくのを感じた。その感覚は半月ほど続き、たったそれだけの期間のことでありながらも私はなんの前触れもなく自分の頭がおかしくなってしまったのだと思い酷く悩んだ。
半月後のその日、相変わらず眠りは浅いのに目覚めは悪くお昼頃に目が覚めた私は外出し、もう一度あの桜の木を見に行った。そこに行けば何かが解決すると思った訳ではないけれど、足を運ばずにはいられない衝動に駆られた。
半月前にはあんなにも満面の笑みを浮かべていたそれにそんな面影はもうすっかり無くなっていた。それを見てきれいだと呟いていた人々も当たり前のように散った花びらを踏みつけて歩いている。それを見て、桜にも彼らなりの思いがあって幸せを売りつけているのかもしれない、なんて思う。
すると、突然に世界の色が変わった。
目の前にある光景は何一つ変わっていないのに、その全てが流行りのアプリのエフェクトをかけたみたいに輝いて見えた。そしてその瞬間、私の心にあった悪魔はどこかに消えたのだ。あんなに私を固く抱きしめて離さなかった陰鬱な気持ちは無くなり、肩に寄りかかっていた何かが消えたような、瞳の中にあるレンズの彩度を誰かが取り替えてくれたような、そんな不思議な感覚に陥った。どうやら私は忘れ物を手に入れたようだった。
その日からはあの満開の桜の前のように、普通に働き、普通に食事をとって、普通に眠れる日々が帰ってきた。私はそれに安心した。ああよかった、これであんな気持ちとはおさらばだ。明日からは何をしよう、好きな映画を見に行こうか、お気に入りのカフェの新作を飲みに行こうか。私のにもまるで春が来たみたいだ。
そんなことを思い出しながら桜を見ていたので、なんだかまたあの気持ちが私の元へ戻ってこないか少しだけ不安になった。だがしかしそれは杞憂だったようで、それは探っても影すら見せなかった。
あんなにも強い淀みがなぜ一瞬で現れ、そして消えたのか。私には未だわからないし、きっと息絶える瞬間までわかる気もしない。もしかしたらあの日の桜は本当に幸せの販売業者で、その賞味期限は桜が散るまでだったのかもしれないな、などと思いしかし次の瞬間には自分の思考を笑った。であれば私はあの時期、天にも昇るような幸せな気分にならなければいけなかったのだ。
今思えばその奥に真相があったような気もするけれど、私は手を伸ばすのを辞めた。それがたとえ、長年かけてすり減るように失っていった自分の中身だったとしても、私はこれでいい。
どこかへいってしまった幸せへ。
もう二度と、あなたを探す日なんて来ませんように。