途中書きです。すみません。
風邪で体調が悪いので、変な文章になってるかも…
とりあえずマラソン大会で1位を取る夢まで書けました。
後編は一旦寝てから書きます。
「叶わぬ夢」
体力測定(中学1年生・春)1000m走
私のタイムは6分8秒。
タイムの平均はおよそ5分で速い人だと4分台遅い人だと6分台を記録する。
私はクラスでビリだった。
皆が先にゴールし、私一人だけが最後まで残って走っていると「頑張れ〜!」と声が聞こえてきた。
その声にありがたさを感じると同時に、恥ずかしくてすぐにでも消えたくなった。
このままではダメだと思った私はバスケ部に入部した。
1000m走だけではなく、他の種目においてもダメダメだった私はもちろんバスケに向いているはずもなかった。
先輩には呆れられ、同級生にまで下手くそだと言われる始末。
それでもバスケが好きだったから、休みのないスパルタな練習も、厳しい上下関係も、理不尽な部則にも耐えられた。
試合でシュートを決められた時は成長を実感し喜びを噛み締めた。
マラソン大会(中学1年生・冬)約4km
私の学校では冬に各学年ごと一斉にスタートし丘の上にある学校まで完走するマラソン大会が行われており、バスケ部は毎年他の運動部を圧倒する好成績を叩き出している。
その秘密はバスケ部は中学1・2・3年合わせた順位で50位以内に入らないと先生や先輩、同級生から陰で遅すぎると笑われたり、恥ずかしい成績だと言われたりするかららしい。
3学年合わせて50位以内ということは、中学1年生の順位で最低16位、中学1年生のまだ発達途中の体格を考えると10位以内には入らないと先輩達を超えて50位以内に入ることはできないということである。
例え毎日バスケ部で練習していたとしても、1000m走でクラスビリのタイムを記録した私がクラスどころか学年10位以内を取りに行くのは無謀すぎるのは分かる。
それでも毎日頑張ってプレッシャーでお腹が痛くても練習に参加してきたんだ。
スタートまで残り5秒。
4、3、2、1…
―どうか、10位以内に入れますように
ペースメーカーの先生、先頭集団が10人くらいいてその次の集団の先頭で最初私は走った。
その後、こけると大怪我に繋がると考え周囲がスピードを緩めるこの急な下り道を見越して逆に私はペースを上げ、躊躇なく駆け抜ける。
しばらく平坦路を一定の呼吸で走り続け、折り返しの上り坂がやってきた頃には周りに人は見当たらなくなっていた。
走るのに必死過ぎて自分が今何位なのか、何人抜かしたのかもはや分からない。
はぁはぁと息が上がり太ももが熱を帯びる。
左脇腹の引きつるような痛みに耐える。
身体が暑くて長袖を脱ぎ捨て半袖になる。
その間もひたすら足を前に動かす。
あと少し。
見えた!ゴールだ。
最後の力を振り絞って地面を強く蹴る。
ゴールには同じバスケ部同級生がいた。
「途中抜かされて頑張って抜かしたんだよね」と言っていた。
抜かしたとか抜かされたとかあんまりよく覚えていなかった。
周りを見る余裕なんて限界を突破した私にあるわけがなかったから。
私と彼女の順位の差はその余裕にあるのだろうし、走ってなおそれだけの余裕があるのはすごいと思う。
だけど、全力を尽くして頑張れた自分も誇らしかった。
「はい、これ順位」と彼女が言って握らされたカードには大きく「5」と書いてあった。
最初見間違いかと思った。
クラスビリの私が、学年5位。
目標の10位以内に入るなんて。
そう言えば渡してくれた彼女は何位だったのだろうと気になってこっそり覗き見ると、私がカードを盗み見ていることに気づいた彼女は「1・2・3位は一緒に走ってたみたいでほぼ同時にゴールして疲れたからって先に教室に戻っていった」と言って「4」のカードを見せてくれた。
後日、貼り出されたマラソン大会の順位。
3学年合わせて50位以内の人は順位、タイムクラスと共に名前が載る。
ドキドキしながら上から順に名前を見ていく。
1位 バスケ部の同級生(中1)
2位 ソフトボール部(中1)
3位 陸上部(中1)
4位 バスケ部の先輩(中3)
5位 バスケ部の先輩(中3)
…
やっぱり上位はバスケ部ばかりで知っている名前が多く出てくるな。
…
21位
あった!私の名前。
クラス内で表彰され、賞状と記念のメダルをもらう。
今年は異例なことに中学1年生が他の先輩方を抜かして圧倒的な差で1位に君臨し、トップ3を中学1年生が独占したため、話はそれで持ちきりだった。
バスケ部の顧問は鼻高々としており、逆に後輩に負けてしまった先輩達は私達1年生により厳しく当たるようになった。
クラスでもバスケ部でも私の成績が注目されることはなかったけど、私だけがその努力と成長を知っていればいい。
毎日少しでも前へ進んでいれば、必ず成長するってわかったから。
―次のマラソン大会はバスケ部の同級生に勝って1位になる
こっそりとそう決意した。
途中書きです。すみません。
愚か者ははるか遠いところに幸福を求め
賢い者は足元で幸福を育てる
ジェームス・オッペンハイム[詩人]
テーマ「花の香りと共に」でなんとなくこんな言葉があったな、と思い出しました。
確かにこの言葉通りなのかもしれないけど、若輩者ながら思ったことは幸福を見出す場所で賢者か愚者かを判断することはできないということです。
人それぞれ何に幸福を感じるか、どこに幸福を求めるかは異なると思います。
もし人類全員が同じ幸福を追求していたら、皆同じ幸福とされる道を歩もうとするだろうけど、現に世界はそうなっていません。
また、はるか遠いところに幸福を求めることが身近なところに幸福を感じることより困難なのは疑いようもないことですが、幸福の価値感に良いも悪いも愚かも賢いもないと私は思います。
はるか遠いところに幸福を求める人も足元で幸福を育てる人もどちらも素敵な幸せの形。
私は賢くないけど、とりあえず足元にある多肉植物を愛でようと思います。
黄色の花が咲く、カランコエ・ブロスフェルディアナの蕾をこの間見つけたのでもうすぐ開花するんだろうな、と毎日わくわくしています。
花言葉は「幸福を告げる」「たくさんの小さな思い出」などがあるみたいです。
「花の香りと共に」
途中書きです。すみません。
「あの人のこと、いつも見てるよね」とか。
「本当は甘いもの 、苦手でしょ?」とか。
私の核心に近いところを突く言葉に少し心がざわめく。
観察眼が鋭いことに感嘆すると同時に、私の行動が細かく見られていることを自覚して、私の行動が間違っていたり、相手を不快にさせたりしていないか不安になる。
話すことが好きな私はいろんな人とよく話すけど、あえて話さないように避けている話題があることに気づくんじゃないかとひやひやする。
「あの子、めっちゃ嫌いなんだけど」とか。
「毎回成績トップらしいよ、あの人」とか。
自分のことじゃなくても、私のことを言っているんじゃないかと心がざわつく。
私に関する話じゃないって分かるまで、耳を澄ませて聞いてしまう。
私が考えている以上に周りの人は私に無関心だと思うし、私が過敏すぎるだけなのかもしれないけど、気になるものは気になる。
でも、私に直接言われたこと以外は私には関係ないことと捉えて頑張って全部流す。
そうしたらまたすぐに別のことを考え始めるから。
今日のご飯何かなー、とかね。
「心のざわめき」
途中書きです。すみません。
今シーズン初スキーしてきました。
「君を探して」
途中書きです。すみません。
今日は日記を書きたい気分なので書きます。
受験が終わって体力がかなり落ちたので頑張って運動しようと思って、今日はアニメを観ながら30分間エアロバイクを漕ぎました。
その後、机の上に高く積み上がった教科書、プリント類を片付けようと思ったけど、疲れて眠ってしまいました。
午後は買い物をしに行って本屋さんでたくさん本を買いました。
見るだけ〜って思って行っても、いつの間にか本がたくさん買い物カゴに入っている現象わかりますか?
そのせいでお金がどんどんなくなる…
で、はしゃぎすぎて疲れて現在何も考えられない…
また今度「透明」を書きます。
「透明」