途中書きです。すみません。
1年間を振り返るということなので、記憶に残っていることを書き出したら、今年もたくさんの出来事があったんだなぁ、と思いました。
いつもは小説っぽいものを書いていますが、今日は私の今年1年をゆるっと書いていこうと思います。
※1月‐5月まで書きました。
また思い出したら付け加えるかもです。
「1年間を振り返る」
今年は高2→高3で受験生なので、中心は受験勉強でした。
18歳までは生きようと思っていて、それ以降はノープランだった私は周囲の友達が着々と自分だけの道を歩んでいるのを見て、とても焦りました。
中学受験をして入学した中高一貫校は今思うと今までの人生でトップ3に入るくらい最良の選択です。
だからこそ、せっかく地獄から天国の環境を生み出したのにまた大学受験でゼロスタートになる未来が嫌だなと思って、将来を考えることから逃げていました。
少しずつ着実にその時はやってくるのに。
―1月
地震の揺れが大きく長く続いて、とても怖かったことをよく覚えています。
末っ子の弟が別の部屋にひとりでいたのを後から知って、2度怖かったです。
この頃は冬期講習を受けてどこの塾に行くかを考えていました。
中学受験の塾とは何もかもシステムが違って驚きました。
英検2級を受けに行きました。
会場が男子校で机や椅子が大きくて、踵が床に付かなかったのが衝撃でした。
自分のサイズにあった机と椅子じゃないからか、次の日首が痛すぎて回らなかったです。
―2月
マラソン大会。
中学でバスケ部を辞めて高校では一切運動していなかったので一気に体力が落ちました。
もともと中1の4月時点での持久走の記録はクラス最下位で、バスケ部のスパルタ練習のおかげで冬のマラソン大会で学年5位だったことを考えれば、バスケ部が異常なだけで本来の私の運動音痴を取り戻した感じです。
3学年合計の成績で50位以内に入らないと先輩や同級生、後輩に陰でいろいろ言われてしまうバスケ部の頃と違って、成績を気にしなくて良くなって、友達と話しながら走ることができて、初めてマラソン大会が楽しめたと思います。
―3月
先輩方の卒業式。
高1の時に囲碁部に入ってもともといた部員よりも行く頻度が多かったため、高2の時に経験が浅かったにも関わらず、囲碁部部長になった私はよく先輩方を頼っていました。
先輩方はとても強くて、勝負に挑んでは毎回ボコボコにやられました。
でも負けた数だけ強くなるのは本当みたいで先輩には勝てないけど、後輩には負けず、一応実力的に部長を名乗れるくらいの強さを持つことができました。
それもこれも、先輩方のおかげです。
ありがとうございます。
卒業した先輩方と囲碁部の部員で囲碁部内の大会を開きました。
先輩方は皆さん強いのですが、強すぎて誰が1番強いのか今まではよくわかりませんでした。
私の結果は3位。
1位はすごく優しいけど、囲碁になると途端に無慈悲になる先輩(強すぎて褒め言葉として心の中で「殺し屋」と呼ばせていただいてる先輩)でした。
2位は冷静沈着で賢い中2の後輩。
クールに見えて情熱的で向上心溢れる後輩の成長スピードは本当に速く、私は幾度と苦戦を強いられてきた相手でした。
今まで後輩たちにハンデなしで負けたことは入部したばかりの頃以外なかったけど、初めて負けてしまって、後輩の成長を喜ぶ反面、悔しかったです。
―4月
始業式。
担任は念願の化学の先生でした。
出席番号が並びの、後ろの席の友達もセットで同じクラスになり、結局高校3年間一緒になりました。
このようにずっと一緒だな、という人もいれば、6年間も通っているのに、まだ初めましての人たちもいるということに驚きました。
始業式の日に初めてクラスが同じになった、ずっとお友達になりたかった人と話せて嬉しかったです。
今年、ネオン実行委員会の実長として学園祭で動くはずだったのに、部署を潰されてしまいました。
でも生徒会に訴えたり、ステージ実行に交渉したりしたおかげでなんとか存続できる状態になり、メンバーも十分集まりました。
毎年学園祭で何かしらの騒動に巻き込まれているのですが、今年は4月から問題発生していたので、この頃は先行きが不安でした。
―5月
私は班決めが嫌いです。
「広く浅くそこそこ深く」がモットーの私は多くのクラスメイトにとって2番手以下であり、そもそも誘われないというのと、私が誘うのも区別しているようで自分を好きになれないのでしたくありません。
こうしてわがままな私は誘わないし、誘われないのでいつも安定のひとりぼっち。
自分のせいだと割り切っているけど、輪に入れずに教室の隅にポツンといるのはなかなかに精神的なダメージが大きいです。
教室を少し見回してみると、始業式に少し仲良くなった友達もひとりでいました。
私と彼女以外もう班は出来上がっているみたいなので、声を掛けるとすごく嬉しそうに、そして突如不安になったように「私でいいんですか…?」と言いました。
その姿がとても可愛らしくて、あなたがいいんだ、と伝えました。
2人だけでは班として成立しないと言われたので、他の班に入れさせてもらい、京都への遠足へ行きました。
班の人たちが気を利かせてくれてバスの座席は2人で横並びに座ることができ、彼女がルービックキューブの全面をすごい速さで揃えたり、私にカラオケマイクがまわってきたので歌を歌ったりして、バスの移動時間を楽しみました。
京都、東山は小学生の時にも行ったけど、以前よりも海外からの観光客が増え、清水寺や清水坂はすれ違うだけで大変でした。
帰りのバスはビンゴ大会。
書いてある番号が出て穴を開けようとしたら、力加減を間違えて思い切りビンゴの紙を破ってしまい、どうしたらそんなボロボロになるんだと笑われました。
―6月
途中書きです。すみません。
今までの冬休みの思い出を書いてみました。
みなさんも楽しい冬休みをお過ごしくださいませ。
・毎年誰のか分かるように付けてあるクリスマスプレゼントのイニシャルのタグがその年だけなくて兄弟で争奪戦になったこと。
・海外旅行中のクリスマスの朝、枕元にサンタさんから英語の手紙が置いてあって手紙を父に読んでもらったこと。
プレゼントはここにはないけどちゃんと貴方の家にあるからね、みたいな内容だったと思う。
家族の中で家を出たのが最後で家に入ったのが最初だった私はちゃんとプレゼントが置いてあって本当に驚いた。
サンタさん、ほんとに不法侵入できたんだ…
・歯磨きしてたらピーンポーンって鳴って、
扉を開けたらサンタさんがいたこと。
手紙のようにホ!ホ!ホ!とは笑わなかったし、何もしゃべらなかったけど、プレゼントをくれてぎゅってしてくれた。
次の年もピーンポーンって鳴って、サンタさんだと確信して扉を開けたら人間+トナカイがいた。
トナカイの格好をしていたけどさすがに中身は人間だと気づいた。
でも隣からひょっこりサンタさんが現れて、その年もたくさんプレゼントをくれた。
プレゼントをくれるサンタさんは本物のサンタさんで、仲間の人間+トナカイさんも本物のトナカイさんだと理解した。
・紅白歌合戦を流しながら、ボードゲームをやったこと。
初めて12時まで紅白見れた日はちょっと大人になった気分だった。
・お墓の中で星空観測をしたこと。
寒いし、周り真っ暗だし、怖いけど、すごく綺麗に見えた。
「冬休み」
途中書きです。すみません。
弟が前に「現状維持は退化だ」って言っていたのをこのテーマで思い出しました。
本当にその通りでぽや〜って生きていたら、いつの間にか周囲の方々が大きく成長していました。
変わっていかないと置いてかれてしまうから変わらないものはないんだな、とこのことから思います。
来年はたくさんのことに挑戦したいな。
「変わらないものはない」
途中書きです。すみません。
久しぶりにサンタさんから英語の手紙が届きました。
ノースポールからやってきたよ。
今年も良い子だったかい?
これが貴方への最後のプレゼントだ。
いつか貴方もサンタになるのかな?
ホ!ホ!ホ!メリークリスマス!
前は英語の手紙が読めなかったけど、今回読めるようになっててちょっぴり成長を感じました。
ラストプレゼントは腕時計でした。
ありがとう、サンタさん。
私もサンタさんになりたいです。
「クリスマスの過ごし方」
途中書きです。すみません。
「ゆずの香り」
私はたぶん匂いがわからない。
匂いがしない。
でも嗅覚が弱くても人一倍匂いに敏感だ。