「飛べない翼」
今日も遠くのお空を眺める。
遥か彼方に小さく見える同級生。
僕はまだ飛べていなかった。
お昼の時間になって同級生たちが飛行技術の授業を終えて戻ってくる。
戻ってきた同級生の中にはコソコソと僕の不出来をからかうやつもいれば、自慢げにコツを教えてくるやつもいた。
僕はそれらの視線に耐えながら、ひとり小さくなってご飯を食べる。
飛行技術は基本中の基本だ。
狩りをするにも逃げるにも飛べなきゃ生きてはいけない。
100m飛行走で速い男子はどうやら女子にモテるらしい。
でも僕はそもそも飛行できないのでそういう話にもついていけない。
僕は同級生たちの中で明らかに浮いていた。
午後の授業は飛行技術の応用。
すなわち、狩猟採集訓練の授業である。
僕は当然、飛行技術の授業だ。
午前とは違って午後は先生が見てくれる。
翼を大きく広げて、あーうん、そうそう。
あー待って、慌てないで、落ち着いて。
できるよー頑張れー、行け!飛べ!
あぁー、と落胆のため息が漏れる。
僕はまたしても飛べなかった。
先生は僕に呆れたのか、他の生徒を見てくると言って飛んで行ってしまった。
僕は手持ち無沙汰に足の先を見つめた。
どうして僕は飛べないのだろう。
みんなと違って翼が小さいからだろうか。
飛ぶのが少し怖いからだろうか。
足の先を見つめていたら、だんだんと視界がぼやけてきた。
涙を堪らえようと上を向いた時、運悪く目があってしまった。
前に危機管理の授業で習った。
目は鋭く赤色で僕よりもはるかに大きな黒い鳥。僕を一口で飲み込めるような大きな口…
逃げなきゃ。僕は急いで走る。
でも、飛べない僕はすぐに追いつかれて追い詰められてしまった。
誰か誰か助けて…
近くには誰もいなかった。
僕が生き残る方法は1つ。
僕が翼を広げて飛べばいい。
でも飛べない。できっこない。
ずっと努力したってできなかったのだから、僕には無理だ。
でも無理でもやらなきゃ。
前に先生が言ってたのを思い出す。
自分自身ができないと思ったらできるわけがないって。
僕はやっと飛べなかった理由がわかった。
僕を1番信じてないのは僕だ。
僕を1番悪く言っているのも僕だ。
何回挑戦して失敗したとしても。
僕だけは飛べるって信じてあげなきゃ。
ついにその日、僕は飛ぶことができた。
自力で飛んで逃げてきた僕は先生と同級生たちに危険を知らせた。
先生や同級生たちは僕が飛んでいるのを見てとても驚いていたけど、僕にたくさん嬉しい言葉をくれた。
ありがとう。やればできるじゃん。
その、笑って悪かったな、…ごめん。
すごいね、皆のヒーローだよ。
その日から僕のあだ名は『翼』になった。
「ススキ」
なんとなく家に帰りたくなくて、いつもとは違う道を歩く。
丘の上の学校から麓の家への道は二つあって、普段は急な下り坂を一直線に下って帰るけど 、今日は緩やかな下り坂。
最近まではジリジリと身を焦がすような暑さだったのに、急に寒くなって長袖が欲しくなった。
まったく秋はどこへ行ってしまったのか。
人通りのほとんどない枯れた道。
私を追い越して伸びる影。
静けさに虫の声が沁みる。
―世界に私だけが取り残されたかのような。
ふと、何かが耐えられなくなったかのように涙が堰を切って溢れ出す。
そんな時だった。
金色の絨毯。
一面のススキはそう呼ぶに相応しい。
ススキの穂が風に倣って皆同じ方向を見つめている。
いつの間にか全く知らない場所に来ていたけど、どこか安心している自分がいて。
涙は自然と止まっていた。
夕日がススキを照らす。
シルエットが浮き彫りになる。
金色だったススキに影を落とす。
夕焼けが暗闇に呑まれていく。
今日が終わる。
今日が終わってもまた明日、明後日と続いていく。でもそれでもいいと今なら思えた。
「また、来ます」
ススキが手を振るかのように風が吹いた。
「脳裏」
今いいところだったのに。
クライマックスで目を覚ます。
夢の続きが気になってもう一度寝てみても、すっかり頭が冴えてしまって同じ深さに至れない。
そうこうしてるうちに夢の内容も忘れてしまって、何がそんなに大事だったのか分からなくなる。
ただなんとなく心に引っかかったまま、制服の袖に腕を通す。いつもより遅く家を出る。間に合うように少しだけ早足で歩く。
橋を渡る。
駅の改札を通る。
満員電車で押しつぶされる。
友達と会う。
朝礼5分前の鐘が鳴る。
なんとなく既視感。
今日2回目の登校みたいで倦怠感。
普段人が少なくて静かなクラスも、遅刻ギリギリの今日は騒がしい。
今日、なんか提出物あったっけ?
英作文のやつ、今日だよー!
えっ、マジ?爆速で片付ける。
朝礼の号令が掛かる。
えー、このクラスに新しく転校生がくることが決まった。
さっきまで賑やかだった教室が一気に静まり返る。
春風優里です。
皆からはハルって呼ばれてるのでハルで。
趣味は音楽を聴くこと。
よろしくお願いします。
慣れているのか淡々とした挨拶が続く。
今朝の眠りが浅かったのか瞼が重く、転校生の顔にモヤがかかったようにはっきりと見えない。
ちょうど右端の席が空いてるから、春風はそこに座るように。隣の一ノ瀬は春風をサポートしてやってくれ。
えっ、俺?
今、呼ばれた?
春風は俺に小さく「よろしく」と言って、席に着いた。
それからというもの、俺たちは良き隣人の関係を保っていた。
近くもなく、遠くもなく。
毎日朝「はよー」と挨拶して、たまに互いに共通の話題である好きな音楽の話をする。
春風はあまりクラスと関わらず、ひとりで静かに過ごす方が好きなのか、ずっと目を閉じて音楽を聴いている。
かと思えば、クラスメイトが集まって盛り上がっているのを遠い目で見つめていたり。
ある時、屋上で春風を見つけた。
春風はこの時も音楽を聴いていた。
俺は静かに春風に近づいて、肩を軽く叩く。
何の曲聴いてるの?と聞こうとしたけど、聞けなかった。
俺に驚いたように振り向いた春風の目が赤く腫れていたから。
春風はすぐに顔を背けてしまった。
俺は春風から少し離れて座った。
どうしてそんなにしてくれるの?
長い沈黙の後、春風は俺に聞いた。
クラスに転校してきたばかりでまだクラスメイトの顔さえ覚えてなかった時に、校外学習で班に誘ってくれた。
じゃんけんで負けてリレー競技になって、ただでさえ足が遅いのに、体育祭本番で私がこけたときにバトンゾーンを超えてバトンを受け取りに来てくれた。
音楽、ほんとはそんなに好きでも無かったのに私の好きな曲を聴いてくれた。
俺が特に何も返さないでいると、春風はまた話し始めた。
私の家は転勤族で、小学生の頃から今までも何回も転校してて、長いと1年、短いと3ヶ月でまた学校が変わる。
最初はちゃんと友達がいたけど、新しい学校に変わるたび、友達を作ってもまた離れて疎遠になるし、ひとりの方が楽だ、私はひとりでも平気だと思うようになった。
でも違った。
もう、ひとりは嫌だ。離れたくないよぉ。
おい、そんな顔するなよ。
大丈夫。俺は離れないから。
春風は笑ってる方がいい。
今いいところだったのに。
クライマックスで目を覚ます。
夢の続きが気になってもう一度寝てみても、すっかり頭が冴えてしまって同じ深さに至れない。
そうこうしてるうちに夢の内容も忘れてしまって、何がそんなに大事だったのか分からなくなる。
聴き覚えのある音楽。
やっとすっきり視界が晴れた気がした。
目玉焼きが焼ける音。
コーヒーの匂い。
俺は急いで台所に向かう。
―ハル
パリンと皿が割れる。
「レンくん?」震えた声が静寂に響く。
―ハル
春風が勢いよく俺に抱きついてきた。
レンくん、ハルだよ。わかる?
思い出した?
思い出すのが遅いんだからぁ、もう。
泣きながら笑う春風が俺をポカポカ叩く。
おい、そんな顔するなよ。
もうずっと覚えているから。
俺、一ノ瀬蓮は記憶喪失だった。
特に春風の記憶の一切を失くしていたそうだ。
結婚記念に旅行に出かけていた俺と春風は交通事故に遭った。
春風は幸い軽傷で済んだが、春風を庇った俺はかなりの重傷だったそうだ。
病院で目が覚めたとき、手を握っていた春風の手を振りほどいて「誰ですか?」と警戒するように見たことで、記憶喪失だと発覚した。
結婚して同棲していた俺をひとまず春風がみることになった。
俺の両親から俺の面倒をみると申し出があったが、春風は一緒に生活していれば思い出すこともあるかもしれないからと頑として譲らなかったらしい。
俺は一応両親と春風から説明を受けて、記憶喪失であること、春風は俺の妻であることを説明された。
でも記憶の穴は埋められなくて、俺はずっと春風のことを春風さんと呼んでいた。
事故から1年が経った今日。
俺はやっと思い出すことができた。
その後、俺が記憶喪失のせいで延期されていた結婚式も無事に挙げることができた。
一生結婚式挙げれないかもと思っていた春風は泣きながら笑っていた。
今でも、春風の泣き顔が脳裏を過ぎる。
おい、そんな顔するなよ。
俺が一生笑わせてやるから。
やっぱり春風は笑っている方がいい。
そんなハルが俺は大好きだ。
「意味がないこと」
私には生きる意味がない。
有り余る才能。
特別な使命。
約束された将来。
私はそういったものを持っていなかった。
こういったものを持っていたら、もしかしたら生きる意味があったと思えるのかもしれないけど、少なくとも私にはなかった。
私には死ぬ意味がない。
身体的なハンデ。
裏切られた約束。
絶望的な環境。
私はそういったものを持っていなかった。
こういったものを持っていたら、もしかしたら死ぬ意味があったと思えるのかもしれないけど、少なくとも私にはなかった。
平均を多少上下するグラフ。
全部合わせたらちょうど平均くらいの私。
平凡な私に意味が生まれるのは、
きっと私以外の誰かが私を必要としてくれたからだ。
生まれてきてくれてありがとう、と言いながら優しく私を抱いた両親。
たまにはいいとこもあるじゃん、と生意気に褒める兄弟。
一緒に帰ろう、と誘ってくれる友達。
次は負けない、と悔しがりながらも私の努力を認めてくれるライバル。
あなたに助けられた、と好意を伝えてくれたあの人。
意味がないと思っていたけど。
意味がないと思っていたのは案外私だけで。
私と同じように生きる意味も死ぬ意味もない人はたくさんいて。
同じように大切な意味を持っているのかも。
「あなたとわたし」
あなたに出会えて幸せ。
わたしにとってあなたはそういう存在。
先生の授業を聞こうと思いながらいつの間にか寝てしまっているあなた。
先輩や後輩から慕われ頼られるあなた。
友達の話に共感し相槌を打つあなた。
いつの間にかあなたを目で追いかけている。
わたしがやりたいと言ったことに協力して一緒に成し遂げてくれるあなた。
わたしのあげた贈り物の髪飾りをたくさん学校に着けて来てくれるあなた。
帰り道が違うのに泣いていたわたしと一緒にわたしの家まで歩いて話を聞いてくれたあなた。
わたししか知らない。
わたしだけが知っているあなた。
あなたのいいところもわるいところも。
わたしから見ればすべてが愛おしい。
あなたに出会うと苦しい。
あなたはわたしにとってそういう存在。
あなたにわたしよりも親しい友達がいるのを知っている。
あなたの友達のことも好きなのに胸が苦しくて耐えられなくて目を逸らす。
どうかわたしだけを見て、と思う心に固く蓋をして笑顔をつくる。
最近髪飾り変えたよね。
聞きたい。けど、聞けない。
新しい髪飾りが似合っていて正直わたしがあげた髪飾りよりかわいいかもしれない。
いつもと違うあなたが見れて嬉しい気持ちと、わたしよりも似合う髪飾りを贈れる人に対して敗北したかのような悔しい気持ちに苛まれて息ができない。
あなたの小さな行動がわたしの心を大きくかき乱す。
わたしがわたしじゃないみたいだ。
あなたはわたしと約束してくれた。
わたしとずっとなかよくする、と。
本当は言いたかった。
わたしとずっと一緒にいて、と。
あなたにとってわたしがそういう存在でありますように。