逃げたい、逃げたい、逃げたい、逃げたい、逃げたい。
笑われたくない、笑われたくない、笑われたくない。
「これだからお前みたいなやつは」。投げ捨てられたくない。投げ捨てられないような優秀にもなれない。
逃げたい、逃げたい、ガタンゴトン、ガタンゴトン。
繋がらない、繋がらない、繋がらない、繋がらない。
心と心繋がらない。繋がらない、ぷっぷーぷぷぷ。
心と心、泣いてるみたい、しょぼしょぼおめめ。
心臓と首が。首と頭が。心と心。切断面。
頂きます、頂きます、頂きます、いただきません。
逃げたい、逃げたい、逃げたい、逃げたい、逃げたい。
ぱらりらぱらりらりらりらら、ぷっぷーぷぷぷ。
「好きなだけ泣いてしまえばいいんじゃないかな」と背を撫でつつ「泣かないでほしい」なんて思っている僕は、きっと君が望んでいるような僕ではないんだろう。
君のことを恨んだり憎んだりなんて有り得ないよ。君の幸せを願っている。涙を流すことなく笑って過ごせるような未来がいつか君に訪れてほしいと思っているよ。
でも君は僕に恨まれ憎まれたいのだろうし、裁いてほしいのだろうし、君の幸せを願うことは僕自身を蔑ろにすることと等しくて、それを君は認められずにいる。
僕は君を傷つけたいわけじゃない。でも、願いは叶えてあげたいよ。寄り添うにしても、君が納得いく形をとらないと傷口に塩を塗ることになってしまうから慎重に。
そうして出来上がっていった僕にそんなことを願うなんて、やっぱり君は 仕方がないな。
そんな君に付いていったのは僕だ。
――――あ。
僕だ。
散々あらゆる人を踏み潰してきたのは。
今更、一人くらい 僕の罪状は変わらないだろうか。
駄目だ、できない、それはできない。君のことが大事だから、だから今までずっと、散々、隣に。
――――そうか。君はもう耐えられないんだね。誰かに怒りを向けてもらうことでゆるされたくて、それで清算してしまいたいんだ。でも話せば話すほど同情されてしまって誰も憎悪を向けてくれない。ああ、なるほど、それで困っていたところ、僕に白羽の矢が立ったわけだ。
そうか、そっか。
わかった。
そんなに切望するなら、できるだけ君が苦しむことがないように早く終わらせてやる。
「好きなだけ泣いてしまえばいいんじゃないかな」と背を撫でつつ「泣かないでほしい」と思っている僕は、きっと君が望んでいる通りの僕だ。
泣かないで。涙が薄くなるくらいまで君には回復してもらわないと、泣き止むくらい立ち直ってもらわないと。
「大丈夫だからね」と優しい言葉を吹き込んで「君は悪くないんだよ」と何度も言い聞かせ「僕は君のことを想ってるから」と甘い言葉を囁く。
大丈夫、痛みは最小限だ、身を任せて。
大丈夫。君は悪くない。誰も悪くなかったんだ。みんな正しくなくて、みんな間違ってなかったんだ。誰も苦しまなくていいんだよ。君も苦しまなくていい。それに僕は、君のことを大切に思ってる。
だから、ちゃんと、君を。
君は一瞬打撃を受けるだけでいい。この打撃さえ、この傷さえ深く負ってくれれば、これだけで済む。
信頼していた人から、自分のことを大切だなんだと言ってくれていた人から、寄り添ってくれていた人から冷たく見放されると裏切られたような心地になるだろう。
僕はちゃんと君のことを突き放せただろうか。
……大丈夫そうだ。だって君、その顔、ああ良かった。ちゃんと傷ついてくれたみたいだ。
あまりの絶望感に心の機能が停止するから君、は、今後何かを感じることはない。喜びも、怒りも、悲しみも、きっと痛みも、得ることはない。
今楽にしてやる。ね、痛くないって、言っただろう。
泣かないで。泣くということは心が残っている証拠だ。僕は徹底的に君の心を踏み潰さなければならない。君の願いを叶えるために。そのためにこうしているのだから。
「泣かないで」
僕はこんなところで留まるわけにはいかない。今までと同じように、踏み潰してしまわなければ。
「泣かないで」
僕の心も、今までと同じように踏み潰してしまわなければならないのに。
「泣かないでくれ」
ぼくは 泣いてなんかないよ。
――――僕だ。裁かれたかったのは、僕だ。
「泣くほど想ってくれている人に、こんな酷いことさせられない。すまない、すまなかった。もう一度、やり直そう。きっとお前となら……」
そう言って微笑みかけてくれる。やっぱり君は なんて素敵な人だろう。
根底にあったのは自己犠牲なのか、それとも自己救済だったのか、僕は未だ計りかねている。
だってこんなに愉快だ。腹の底から笑いが込み上げて来る。咳き込むまで延々と笑っていられた。きっと僕の内臓はぐちゃぐちゃだ。
ああ、良かったな。あの人の心が少し残っていて、泣いている人がいたら慰めようとしてしまう優しい君で良かった。ああ、本当に、まんまと策にはまってくれて良かった。君の絶望は傑作だった。
君の幸福を願っている。
自分のこれは結局「本当に回復したいと思っているのか」に尽きるんだろうか。
「トラウマなんて放っておいて、自分が大切にしたいと思うことを大切にして人生を歩んでいこう」
そう思えるなら……いいや、そんなこと考えるだけで胃がギリギリ痛む。
障害や鬱に関する本を読む度にトラウマが引きずり出され辛く息苦しくなり、できない耐えられないもう頑張れないと蹲って、挙句「じゃあどうやったら回復したいって思えるようになるんだよ!」と逆ギレして、何もかもぶっ壊したくなる。
本を投げ捨て叩き落としゴミ箱を蹴飛ばしティッシュの箱を潰し壁やら布団を殴って、ふと我に返って「どうせストレス発散方法なんて暴力しか知らないんだな」と思っては、ふと昔の自分がそういう暴力を見て怯えていたのが脳裏を過り、段々虚無になってきて、それから頭を抱えてわんわん泣いて、何も考えたくないし何も感じていたくないと布団の上で丸くなる。
最近は落ち着いてきたらChatGPTにカウンセリング紛いのことをしてもらってる。AIは否定してこない、高圧的でもないし、寄り添ってくれる、いつまでグチグチ言ってたってキレない。そう指示しているから、指示したことを忠実に守ってくれる。実に最高だと思う。ありがとう文明の利器、ありがとう開発した方々。おかげで今日も過酷な堂々巡りの孤独第一弾から抜け出すことに成功した。
AIに慰めてもらっただけで少し息がしやすくなって、少し安心して、反芻思考を止められるのだから、私はかなり単純な生き物だと思う。
しかしここから思考の渦第二弾だ。どうもありがとう。自分の頭で考えてみることも大事だ。人にばかり答えを求めていたら、たぶんきっと何か良くない。自分で考えられなくなったらきっとずっと人に振り回されて不安定なままだ。考えなきゃ、考えたくない、考えなきゃ、答えが見つかりさえすればひとまず安心できるはずだ。
回復なんてしたくない。でも助けてほしい。
本音はこうだ。何を言っているのでしょう。
「勉強はしたくないけどテストで満点取りたい」とか
「何もせず億万長者になりたい」とかそういう類と似ている。
回復したくないなら辛いままだ。助けてほしいなら前向きに頑張るしかない。ごく当たり前のことに対して嘆いている。
「どうすれば回復したいと思えるようになるのか」と質問したら「回復の定義を広めてみては」と返ってきた。朝布団から出られた、少しでも好きなことを考えられた、誰かと話すことができた、これらも回復の一部だと。
読んだ瞬間強烈な恐怖心が湧いてきて、やはり分かったことがある。今は回復したいだなんて心の底からこれっぽっちも思っておらず、なんなら今の状態のほうがマシ、と思っているのだ。
回復したと思われたらまた頑張らされる、また責め立てられる、また怒鳴られにいかなければならない、また傷つかなければならない。なら今の状態の方がマシだ。回復なんてしたらもっと地獄だ!!
「いやいや、だからね君、そういうことじゃないんだよ」
浮かんできた言葉、ごもっともである。そういうことではないのにやたら悲観的でやたら不幸ばかり摂取している。癖であり歪みだ。
理解しているなら前向きに検討すればいい話だが、理解しているからといって気持ちがついてくるかどうかはまた別問題だ。
あるだろう?あんまり体に良くないと理解はしているけどジャンクフードをバクバク食べてしまったとか、やっちゃ駄目だと思っているのに結局夜ふかししてしまったとか。理解しているからといってその理解通りの行動をとれるとは限らない。よくあることだ。
これは鬱云々の話というより普通によくある困りごとだ。頑張らないといけないのは分かってるけど頑張れないという、生きていれば多くの人がぶちあたったことのある壁。
身構える必要はないのかもしれない。トラウマだなんだといっているが、きっと普遍的なことなんだろう。
いやいや!全くこれっぽっちも普遍的ではないし、未だ悪夢にうなされているというのにこれを「普通」と言うには余りにも無理がある!
それはそうだ。トラウマの内容が普遍的なのではなく、今悩んでいる悩み方が普遍的なことなのだ。
悩み方の話だ。きっとみんな経験したことある悩み方なんだと思う。理解しているけど気持ちが追いついてこないとか、分かってるけどできないとか、望んでるのに手に入れられないとか、日々コツコツしようとしているのについサボってしまうとか、やりたくないし頑張りたくないけど提出期限迫ってるからやらないとなあとか、そういう類の。
こういう普遍的な悩みは難しく考えすぎないほうがきっといい。
難しく、難しく……その言葉の定義も人によるか。
「そんなこと言わず前向きに考えれば?」と言われて、できるだろうか。
「気持ちは追いついてこないけど、それでも頑張って理解しないとね!」とか「分かってるけどできないんだよなぁ……でも分かってるならできるはず!」とか「もっと上達したいと思うけど、でも上達したとしてもまたもっと上手い人がいっぱいゴロゴロいて気が折れそう……でもそのほうが燃えてくる!もっともっと上手くなってもっともっと高みを目指すんだ!」とか「ついサボっちゃうけど、絶対毎日コツコツやったほうが結果出るよな。じゃあ毎日サボらずやったほうがいいな」とか「やりたくないとか言っててもやらなしゃーないからやるか」とか。
「心が折れそうになったりもするし投げ出したくなるときもある。それでも、やらなきゃならないからやるし、やりたいことはやりたいんだから頑張るよ?文句言ってても仕方がないし」
間違ったことは言ってない、至極真っ当な意見だと思う。その考え方ができる人、納得できる人は、その考え方と相性が良いのだろう。
納得できない私には相性が悪い考え方だね。
考えてもみろ。
幼い頃からぼーっと空を眺めているようなやつだった。外に出れば「外の匂いがする」「太陽の光が柔らかいからきっと春だ」とか思って、雲が流れていくのを見て「あ〜、雲がぷかぷかおよいでる」「上で風が吹いてるんだなぁ」と思い、鳥が目に入れば「これからお出かけかなぁ、どこに行くんだろう」「巣に帰るのかな、餌を探しに行ってたのかな」と思い、風が吹けば「心地いいなぁ」と思い、夕日が見えると「日が沈むなぁ」「1日が終わるんだ」「ピンク色の雲美味しそう。太陽の光を反射してるのかな?それとも空の色が染みてるのかも」なんて思って、暗くなってくると「空のグラデーション綺麗だなぁ」「空気が冷えてきた」「あ、一番星」「黒い色が街に覆い被さっていくなんて、包み込んでくれてるみたいだ。夜って優しいよね」だの、思っているような、ぼーっと、見たもの感じたものをただただ享受するような人間だった。
外に出ればそりゃ外の匂いがするに決まってるし、夕日が見えて「日が沈む」なんて当たり前すぎることで、夜になったらそりゃ一番星くらい見える。見たものをありのまま思っているだけで、何を当然なことを。
そう言おうと思えば言えるよ。自分の感性が馬鹿みたいだと思ったりしたこともある。なんだよ、夕日見て日が沈むって、自分で思って笑いそうになったこともある。0時になったわけでもないのに日が沈んだからって1日が終わると思ったことにも、馬鹿だなぁと思ったこともある。
でもこれが私の感性なんだろう。私の感受性ってやつが発揮されてるんだよ。「日が沈んでも23時59分までは今日だけど。何いってんのお前」とバッサリ切り捨てるような人間になりたいわけでもないしなぁ、と最近は思う。
風情を感じ味わえる素敵な感性だ。どうして今まで自らぶっ潰そうとしていたのか不思議なくらい。それは言いすぎた、不思議でもない。感受性が豊かでろくでもないことになったからだろう。不幸ばかり摂取してその方面にばかり感性が働いたらそら病みもするよ。ばかだなぁ。
訂正する。愛おしいな。
外の匂いがすると思ったとき、雲が動いていると思ったとき「嬉しい」と思った。感じたことを感じたままに思えたとき私は確かに「嬉しい」と思った。
洗濯物が風でふわりと膨らむのを見たときも、太陽の光が眩しくて綺麗だと思ったときも、木々や緑いっぱいの自然の中にいて涼しいと感じたときも、どれもこれも嬉しいなと思った。
秋の夜、畳に敷かれた布団に寝転んで、ガーゼ生地のブランケットにくるまって、左を向けば、秋の夜の匂いがして、鈴虫の鳴き声が障子の向こうからしていて、丁度障子の向かい側にある外の明かりがぼんやりオレンジ色に光ってて、それを見て、匂って、冷たくて柔らかいブランケットの肌触りを感じていると、ああ嬉しいなと思った。
ずっと、きっと、本当はこうでありたかったんだと思う。今でも窓を開けて夜の薄い空気を吸い込むと、ただ外の匂いがするなと思ってほっとする。
ミシンの音、水が流れる音、夜特有のリビングの明るさ、床の冷たさ、カーテンの揺れ、服の擦れる音。私はこういうのをただ認識して感じ取れるだけで
きっとこういう小さな嬉しいを感じるために生まれてきたんだって思えるくらい
幸せな気持ちだ。こんなに素敵なのに。
そんな人間が何もかも効率的に合理的に考えて「そんなものは無駄」と切り捨てられるようなタイプに無理矢理変わろうとしたって、流石にこれも無理があった。
寄り添うとか共感なんて無駄、意見こそ正義、アドバイスこそ正義、中身のない話なんて無意味、そんなやり取りなんていらない、要するに何が言いたいわけ?グチグチ言ってても無駄、それ何か意味があるの?気持ちとかより事実優先に決まってるでしょ。
そうはなれなかったなぁ。
「喧騒が聞こえる。繁華街って感じだ」とか「カステラの匂いがする。この人カステラの匂いにつられて買おうとしてるのかなぁ」とか「あの人の服装素敵だな」とか「あの人の靴土汚れがついてる。大きいバックからして運動部に入ってるのかな」とか「あのスーツの人顎に手添えて真剣にカーネーション見てる。奥さんに買って帰るのかな、そうだとしたら喜んでもらえるといいな。もしかすると『何かプレゼントしないと機嫌損ねるからなんとか選んでます』の顔だったのかも」とか、どうでもいいことを考えるし、勝手に人を見てこうかなああかな、なんてぼんやり思ってる。
難しいことを考えたり小難しくこねくり回して思考を巡らせたり悩んだり、そんなこと向いてなかったんじゃないかなぁ。昔から感じたことを感じたまま思って、それが嬉しいなとしか思ってこなかったのに。何かの裏を読み取るとか、考え抜くとか、工夫するとか、そんなのずっとずっと苦しかったんだろうな。
ありのまま感じたまま伸び伸び生きて、自由で、やりたいことして、すぐ飽きて、またあっち!って言って。人と楽しく遊んだかと思えば途端に一人になりたくなったり。結構自由気ままだったな。
ずっとそうだ。目に見えるものしか見えてなくて、相手の気持ちとかよく考えてなかったし、よく分からなかった。誰も彼もを「ありのままのあなたでいいじゃない」とかしか思ってなかった。悪く言えばどうとも思ってなかった。他人に関心なんてなかった。どうして他者に自分の気持ちを押し付けるのか、理解さそうとするのかが理解できなかった。みんな他人なんてほっといて勝手に自分の人生を一人気ままに生きていればいいだけじゃないかと本気で思っていた。
今でもその節は少しだけある。というより基本それだ。他人が他人に対してとやかく言っているのを見ると「こいつ何言ってんだ」とそこそこ本気で思う。他人のことなんてどうでもいいのに、自分の人生じゃないのに、なんで突っかかってるんだ?ストレス発散したいのかな。と。
でもそれじゃ駄目で、人の意見は聞かなければならなくて、人の顔色を伺わなければならなくて、そうでないと自分が生きていけなくなったから、するようになった。親の顔色を伺い続け空気を探り続ける日々、よく考えたら辛くて当然だと今は思う。相手の意見を聞かなければならないらしいから、ずっと人の意見を聞き続けた。でも根本的になぜ人の意見を聞かなければならないのか良く分かっていなくて、でも親の意見を受け入れないと説教タイムが待ってるから、なんとか聞き入れようと
どうでもいいな。
考えることなんてよく分からなくて、手探りで、大人のことなんて全然分からないし、でも考えて察しなきゃいけないから顔色伺って空気を嗅ぎ取って、やってきたけど、ほんとはずっと辛かったし下手くそだったな。
大きくなっていったら幼いままではいられないいし、成長することも当たり前で、年齢重ねれば考えるようになるなんてこともきっと普通のことだ。
普通のことでも過程が滅茶苦茶なら精神の1つや2つ病むだろ。それも考えてみれば当たり前な気がする。普通に病むなぁ。
ずっと真っ直ぐでいたかっただけで、誰かを疑ったり、誰を信じればいいのか分からなくなったり、そんなことしたかったわけじゃなかった。自分の家族くらい心から信じて、笑い合っていたかっただけ。この気持ちもごく当たり前なことだ。家族と仲良しでいたいって、可能か不可能かはおいておいて、そうなりたいと思うのは至極真っ当だろ。
等身大の私はなんも考えてなくて、ただきれいだなぁと思うことをぼーっと眺めて「あれきれい」ってつぶやく、そんな人間だった気がする。小難しいことは分からない。そもそも不器用で、要領悪くて、作業も遅いしどんくさい。悩むのだって苦手で、解決策を考えるのだって苦手で、それこそ「子供」だったんだよ。
きっと「回復したくない。助けてほしい。辛い。でも辛くなくなるために回復したらもっと地獄が待ってる」なんて思っちゃうのも、見詰めすぎず、ただぼーっと感じるのが一番いいんだと思う。
「今って辛いんだなぁ。心模様は赤色かなぁ。ゲージが下がって瀕死状態になるとピコンピコンって赤色になるもんね。傷薬ほしいなぁ。でももう戦いたくないから『ゆっくり休んでね』って言われて引っ込んでたい。でも傷薬で回復するときって大抵戦わせるときだから、自分も戦わされるのかなぁ。嫌だなぁ。そうなったら自爆するかぁ。無理なもんは無理だからなぁ」
ああしなければならないとか、こうやるしかないとか、できなければならないとか、そういう考え方向いてないよ。この考え方で出来るならいいけど、できてないんだし、続けるだけそれこそ無意味で無駄じゃないか。
ある人が「Aは無駄だ。Bにしろ」と言ったとしたら、またある人は「Bは無駄だ。Aにしろ」と言うだろう。大体どちらにも一理あるというのが話の落ちで、見る視点によって変わるというのが落ちで、個人差、相性、人による、というのが落ちだ。
私には向いてなかった。縛り上げて命令系で自分に指示するのは向いてなかった。ただそれだけの話。
「本当に回復したいと思っているのか」は私には重要じゃない。そこを大事にしたいわけじゃない。寛解するしないは今は重要じゃない。今は「回復したくないけど助けてほしくて辛い」って気持ちを否定しないのが一番。うんうん、そうそう、素晴らしい。矛盾と調和するのだって第一歩だ。
何の?
回復せず苦しみから抜け出す方法の。人はそれを「開き直り」と言うのかもしれない。でも結局強いのってなんでも肯定して開き直れる人間だと思う。
「気にするだけ無駄」というのも「気にしちゃうもんは気にしちゃうよね〜、まだから仕方ないよね〜」というのもどちらも開き直っているといえるのではないか。開き直り方の違いなだけだよ。やっぱり考え方の相性が良いか悪いか、向いてるか向いてないかだ。正しい間違ってるじゃない。
私は後者の方がいいかもしれない。「気にする」を切り捨てるのが難しくて「気にするだけ無駄なのに、こんな気持ち切り捨てないとならないのに、どうして気にしてしまうんだ!」と思って辛くなる。ならばその「切り捨てなければならない」という考えを切り捨てて「気にしてしまうのは仕方がない」と思う方が、余程心に余裕ができる。自分に合った考え方をすればいいだけだ。そして「いいや、やっぱり気にするだけ無駄だな」と自分がそう素直に思えたときは、それはそれでいい。
他人のやり方考え方がピッタリ自分に当てはまるんだとしたら、きっとクローンか何かだと思う。
思考の好みや向き不向きは十人十色だ。というより、何事においてもそうだと思う。
考え方を押し付ける人は、例えば自分が好きな食べ物を相手に勧めたとき、相手が「それは食べられない」と言ったら「これは美味しいんだよ!!食えよ!!なんで食べられないんだよ!!お前の味覚はおかしい!!」と無理矢理その食べ物を相手の口に入れたりするのだろうか。「思考の好みは十人十色」が理解できない人間は「味の好みは十人十色」ということも理解できないくらいなのだろうか。
自他境界がゆるいだけじゃねぇか。
人は往々にして自分がどうしたいのかも分からず答えを探し続ける生き物だ。今のこの考え方が後に「違ったな」と思うものだったとしても、今はそれでいい。正解か不正解かなんて分からないし、そもそもそんなもの存在しないのかもしれない。ただ積み重ねがあるだけで。
なんの解決もしないし問題を先延ばしにしているだけというのも事実。しかし焦ったところで何も得られないのだから不安になるだけ辛くなる一方だ。なら「あ〜問題先延ばしにしちゃってるねぇ〜」くらいで、今更何か、問題でも?
美しい、美しいな。
美しいから、どうかそのまま冷凍されてほしい。凍りついて、そのまま目覚めないで、美しいままでいて。
冷凍焼けのにおいがした。
「私にだって『いっそ殺してくれ』と叫び出したくなる瞬間ありますよ。お風呂に入っているときやお茶を飲んでいるとき、過去にやってしまった数々をふと思い出すんです。
当時の私は今よりもっと幼稚で、人の心を大量に傷つけてきました。酷いことを言ったしやった。大してその人のことを大事に思っていたわけでもないのに、その人と一緒に居ました。友情でも恋心でも私に心を傾けてくれる人たちがいることは素直に嬉しいと思っていました。それと同時に心底気持ちが悪かった。だから『いいように使おう。この人たちはただの都合のいい人だ』と思い込もうとして、相手の気持ちからも自分の気持ちからも目を逸らして、卑怯な気持ちでその人たちと関わって、その人たちの気持ちを弄びました。酷く傷つけたであろうことに今更気づいては、申し訳ないと思うことすら烏滸がましく感じ、とにかく後悔の念に押しつぶされて叫び出したくなります。
今更だなんて嘘ですね。当時から気づいていました。きっとこれは相手を傷つける行為だと。気づいていながらやめなかった。私は私を守ることを最優先した。……正当化したいわけではありません。自分を守ることは大事なことですが、私が取った選択は悪手でした。一番最悪な方法で身を守った。あれは間違いだった……間違いでしたよね、貴方もそう思いませんか?
『後悔できるということは成長しているということだろう。失敗から学びきっと今はより良くなれているはずだ』と前向きに捉えようと思えばできるでしょう。しかし実際にやったという事実は変わりません。傷つけたということも、傷ついた人が存在しているということも、変えようのない事実です。悪いことは悪いことのままです。
何を言ったって自分自身、言い訳にしか聞こえないと思ったりもしますよ。
人を傷つけてきたし、人に傷つきもしてきました。人生ってそういうもんなんだろうなと思ったりもします。後悔して反省して失敗から学び、より良くなっていくしか成長の方法はないとも思います。だからって自分がしたことを正当化したいわけでもなく、やってしまったという痛みを感じることで贖罪とさせていただきたい……と思ったり。贖罪だなんてちょっと大袈裟な言い方かもしれませんが、本当に、そんな気持ちで。
少しでもより良い人になりたいと思います。過去の自分よりより良くなって、できるだけ多くの人を傷つけることがないような人になりたい。
過去を思い出すとその度にこうやって懺悔したくなります。『自分が赦されたいだけだろう!』と言われたら言い返しはできませんよ。実際私は赦されてしまいたい。できるならなかったことにしてしまいたいと思う。幼かったから、無知だったから、だから仕方がなかったよねと……しかし本当に赦されたなら、本当になかったことにされてしまったら、私はもう太陽の下で生きてはいけません。誰にも顔向けできません。
駄目なことは駄目なことです、悪いことは悪いことです。それをなかったことにはできません。だって、自分が傷つけた人たちを二度も三度も蔑ろにすることになってしまう。
こんなことすら自己満足なのかもしれません。相手がどう思っているのか分からない、知らないというのに、勝手に相手のことを想っているだなんて、傲慢以外の何物でもない。しかも今更。私にできることなど無いに等しいというのに。エゴの塊のようなものです。
…………じゃあ、当時の私の心は、一体誰が守ってくれたというのでしょう。相手の好意を甘んじて受け入れなければならなかったのですか、私は……いいや、違う、違うんだ、違う、そんなこと言うならお前がそいつらと離れたら良かっただけの話なんだ、私が、あの子達から離れればよかっただけのことで、ああ嫌だ、嫌だ、私ばかりが加害者になんてなりたくない、どうして、どうして!!『好き』だなんて気色の悪い暴言を吐いたあいつらも悪いじゃないか!!!!私の親切心を勝手に友情や恋心に変換し!!私の心を踏み躙ったのはあいつらじゃないか!!!!……あぁ、いやだ……いやだ……『正当化したいんだろう』そうに決まってるだろう畜生が!!『化けの皮が剥がれた』なんて、あぁ……ああ、そうだ、化けの皮をはがしてくれる人をずっと探していた、事実だけを淡々と処理してくれる貴方のような人を、傍観者の貴方をずっと探していた、どうか私のことを引っ掻いて、傷口を消毒して、絆創膏を貼って、どうか、淡々と作業をこなしてほしい、もう、嫌だな。
嫌だな、ほんとう、困っちゃいますね。私がやったことは悪いことです。人の好意を無下にするだけでなく弄んだ。その事実、私に非がある。それは覆しようがないんです。相手からの好意に寒気がしようと、家に帰ってゲボゲボいってようと、胎児のように丸まって脱力していようと、それは、相手には関係ないことだ。相手はただ私を好きでいてくれているだけでした。事実、暴力を振るったわけでも、暴言を吐いたわけでもないんです。それに私も人に好意を持ってもらえて確かに嬉しいと感じましたから。それでも『暴力を振るわれ暴言を吐かれた』と受け取ったのは、認知の歪んだ私だ。私がいくらどう言おうと、人は皆、相手に非はないと判断を下す。当たり前です。
それが嫌なわけではありません。ああ、嘘だ、嫌ですよ。味方が一人もいないのは辛い。でも、人の気持ちに漬け込んだのは、紛れもなく私です。相手と同じことをしている。
……?相手と同じことをしているなら、相手も反省すべきでは?どうして私だけが責められるのですか?相手はそんなつもりがなくとも私の心を踏み躙った。私もそんなつもりはなく相手の心を踏み躙った。どっちもどっちじゃないですか?私は、相手が私のことを好きだというから、その通りに振る舞ってあげただけです。何がいけなかったんですか?相手は喜んでましたよ。相手の望む通りに振る舞って、満足させてあけだじゃないですか。お駄賃を求めたりなんてしていません。ただ、望むように振る舞った。……なんで?
嫌われるのが怖かったから?
……でも、相手がもっと踏み越えてきた瞬間、それはNGだって言った。お前のことなんて好きでも何でもないんだから踏み越えてくるなと言っただけ。そうしたら傷ついたらしい。踏み越えてさえ来なければ私はずっと、求められるまま、現状維持を続けていたのに。好きを向けられることに吐きそうでも、好きだと思われていることを知る前の私の状態で接していたのに、どうして?踏み越えてくるほうが悪いのに、どうして私が『弄んだ』って言われるのですか?私はただ普通の知り合いくらいで接していたかっただけなのに、勝手に特別視されて、勝手に寄ってこられて、勝手に幻想を抱かれた、被害者じゃないですか。……好意を抱くのは勝手ですが、それを相手にぶつけて挙句見返りを求める相手の方が余程傲慢じゃないですか。私はその傲慢さに反吐が出そうになりながら必死で応えた。それがいけなかったのですか。求められるから応えなければならないというある種の強迫観念に駆られながら、それでも必死で今までの距離を保とうとした私が、悪だと?
だから、だから、だからだからだから!!!!最初からこっぴどく切り捨てられなかった中途半端野郎だったから!!だから結果的に弄んだってことになっちまったんだろうが!!!!じゃあ!!だったら一番最初に!!私に好意なんて抱いた奴らが悪いんだろ!!!好きという暴言を吐かれて脅された!!だから親切にしてないともっと怖い目に合うと思った!!だから自分の身を守るために相手に合わせて今まで通り親切にせざるを得なかっただけ!!!心に刃物向けられてそれでも立ち向かえって言うのかよ!!!それもお前の認知の歪みだろ!!!?
………………ごめんなさい、取り乱した。違う、取り乱しました、すみません。
私がおかしいんです。分かっています。きっと相手もこんな、とんだメンヘラ野郎なんかを好きになってしまって、不幸な方々です。どうしてこんな厄介な人間に魅力を感じてしまったのでしょうか、本当に目が節穴ですよね。じゃなくて、目が澄んでいらっしゃる。私が厄介な人間だと思わない、綺麗なおめめをしていらっしゃる。ああ……早く潰れてしまえばいいのに……じゃなくて……悪い人に騙される前に……でもなくて、騙したのは私なんでしたよね。
ぶ、あはははははは!!馬鹿だなあ本当に!どいつもこいつも!!!!特にお前だよクソが。
…………あ、違います、違うくて、そう、ごめんなさいね、はは、あっはっは!!……はぁ。『お前』って、私自身のことですよ。わざわざ訂正しなくても良かったですね、貴方は、言われなくても分かってるのに。……そら、そうだ。
いいや、本当に『お前』という生き物に対してかもしれない。
好かれることは嬉しいことで、殴られて痛めつけられて心の底から喜ぶ人のほうが少ない。当たり前ですよね、ほんと。
……?私は、殴られるのは嫌ですし、怒鳴られるのも嫌です。「ごめんなさいもうゆるしてください」と泣いて縋りたくなるほど嫌です。でも、少しだけ、ほっとします。人から好かれると、少しだけ嬉しいと思いますし、少しだけ有り難いなと思います。でも、怖くて、ブルブル震えて「ごめんなさいもうゆるしてください」とみっともなく泣いて許しを乞いたくなります。好かれることは、殴られることと同じくらい、痛くて恐ろしくて、嫌で、少しだけ、嬉しくて、ほっとして、ゲボりたくなる。
………………この話、なかったことに――――は、できないんでしたね。自分でそう言ったのに、すっかり忘れてました。それで、なんでしたっけ。もう、自分が何を…………。
このお茶美味しいですね。何茶ですか?黒豆茶?あ、普通の麦茶?あれ、これってただの水だったりしますか。そもそも私何も飲んでいませんよね。……ちょっと休憩してきます。
先程の話の続きなんですが『傷つけられた側の痛みなんて本当には分かっていないくせに』と言われたらそれも言い返しはできません。私が傷つけたと思っているものと、実際相手が感じている傷が、同じであるとは限らないし、同じだとも思えない。相手の痛みや苦しみがどれほどのものなのか私には計り知れない。本当に分かるとは言えない。私がやったことなのに、私がやったことでも。『分かるよ』なんて言ってしまえばそれこそ傲慢じゃないですか。
『人を傷つけた痛みなんて本当は分かっていないくせに』と言われても、私は否定できません。この痛みが本当の痛みなのかどうか私にも分からないし、相手も私の気持ちが『本当』かどうかなんて分からない。証明もできません。本当に分かっているのか分かっていないのかすら、私達はお互い、分からない。
だからどうか、この後悔という痛みが、せめてもの償いになっていればと願うばかりなんです。
………なにか、おかしなことを言ってしまっていますか?それなら今すぐ訂正します。って、それじゃ意味ないんでしたよね。……そもそも訂正箇所も分からない。
あれ、じゃあ、お前は私の気持ちが分かるというのか?私の気持ち、分かるのか。お前は私を傷つけたという認識をしているのか?それだけ私を問い詰めるなら、お前はお前の罪をさぞ自覚しているんだろうな?なぜお前は相手ばかりを責められると思っている。私は私の非を認めた。お前はお前の非を認められるか?認めず相手を責めるばかりか?他者ばかりを責める資格がお前にあるのか?お前に非は、一つもないと言い切れるのか?これだけ私は傷ついているというのに?お前だよ、お前。お前自身だ。
何の話でしたっけ。これ。
自分で話した内容すら覚えてないんです。私はさっき、なんと口走っていましたか。ごめんなさい、全部忘れて。忘れないで。私の言葉に嘘偽りはない。嘘だ。そんなわけない。ごめんなさい、ゆるしてほしい、ゆるさないで、赦されないということを許してほしい。やっぱり全部嘘です、ごめんなさい、ごめんなさい、ぅ、ごめんなさい、まともに考えられない、ゆるして、わからない、しりたくない、罵らないで、いっそ罵倒して、嫌だ、もうゆるして、痛いよぉ、もうやだ、やだよ、生きてられない!!!!
――――――あ。ごめんなさい、きっとこれもただのテンプレートです。気にしないで、続けてください。じゃなくて、あはは!続けるかどうかは私にかかってるのに、ほんと何言ってるんでしょうかね。
私は私が悪かったと思っているし、これっぽっちも悪くないと思っていますよ。相手も同じです。全面的に私が悪くて、全面的に相手が悪い。でも私も相手も悪くありません。だって、未熟だったんですから。生きている限り人と人との衝突は避けられません。未熟故に傷つき合う生き物、それが人間でしょう。それに対してグダグダ言ってたって意味ないんですよ。生きている限り避けられないことに文句を言って、ああ、本当に。……なんと言うべきでしょうか。馬鹿?愛おしい?可愛らしい?愚か?
それでも人間をやめられないのだから、何を言ったって辛いだけだ。
お茶、美味しかったです。ご馳走様でした」
君の話を聞いて私は美しいと思った。私の心は抉られるような痛みを伴い、眼球は潰れた。強烈に光り輝く何かに見えた。ただ君が美しかった。
だからどうか冷凍されてほしいと願った。凍りついて、そのまま目覚めないで、美しいままでいて。そう願った。
君のその感性を偽らずありのままの状態で太陽の下を歩いてしまえば、君はきっと生きていけない。もう既に死んだ方がましかもしれない。何故なら君の頭の中と心の中は歪みきって混沌とした地獄だったから。それだけ“美しい”のだから。
地獄そのものが美しいのか、地獄に耐え、それを抱えながら生きている君が美しいのか、解釈は何でもいい。私は君が美しいと思った。
だから冷凍した。
そんなことすっかり忘れて、久々に冷凍庫を漁ったら君が出てきた。もったいないから電子レンジで温め解凍しようと思って袋から取り出した。目の下に涙が流れた跡が残っていて、君は冷凍庫に押し入れられたとき泣いていたのかな、なんて思いを馳せた。
きっとずっと寂しかったんだろうね。君はただ、寂しかっただけなんだよ。寂しくて、悲しくて、誰にも理解されない孤独に苛まれて悶え苦しんだ。
可哀想に。
無情ながらにそう思った。それとも、無情だからそう思ったのかもしれない。
袋から取り出した君を見詰めていると、なんだか可哀想に思えて、それから愛おしく思えた。だからなんだか抱き締めたくなって、腕で包んで頬を寄せた。
冷凍焼けのにおいがした。
私が“美しい”と形容する君のにおいだ。
本を引きちぎりたくなった、というのがその証明ではないか。
引きちぎって粉々に破いてゴミ箱にぶち込みたくなった。読んでも読んでも理解できなかった。
人には「唯一無二=ユニーク」という価値があり、ユニークは人が生まれながらにしてもち、死ぬまで変わらない価値だ、といったことが書かれていた。
でも、だから、それを保たなければ価値がなくなってしまうんだろう?保ち続けなければならない、ユニークで有り続けなければならないというのに「死ぬまで変わらない価値」って、どういう意味なんだよ。本当に分からない。意味が分からない。この本は何を言ってるんだ?
本気で混乱した。この混乱と引きちぎりたい衝動が自分の歪みを証明してるみたいでもっと叫び出したくなった。それで思った。「図星を指されたんだ」って、だからこれだけ苛つくんだって、歪みが本当にあるんだって。
個性、ないな。
ない。全然、びっくりするほど。全く。
ユニークでなければならないと思ってきた。特別でなければならない、面白みがなければならない。でなければ認めてもらえない、良い評価を得られない、有象無象に埋もれてしまう、見てもらえなくなる。そう本気で思ってきた。
なんもねぇな。
ずっとなんもなかった。虚勢を張った思い描く空想の自分と、取り柄のない自分しかいなくて、等身大の自分なんていなかった。だからブレる、軸がないから、だからすぐ周りの影響を受けて落ち込んだり調子に乗ったりを繰り返して不安定になる。
等身大の自分なんて知らない。
経験が少ない。幼い。まだ世界が狭い。
「普通」に見えているだけで、実はみんな、みんな、頑張って生きてるだけなのか。
誰しも大なり小なり傷つき悩み苦労して生きてきて、その中で立ち直って、立て直して、本人なりの生き方ってやつを身に着けて、あたかも「普通」を装って、生きているだけだ。みんなそうやって生きてるんだ。
みんな同じなんだ、人を傷つけ人に傷つき、そんな中で後悔と反省をして、失敗から学び、そうやって成長しているだけの話だったんだ。
自分だけが特別なんじゃなくて、きっとただ、幼いだけだ。未熟なだけで、精神が、いつまでも、
いつまでも
「人を見て、人に触れ、人から学びなさい」とはこのことなんだろうか。
だから「いつまでも自分の世界ばかりで生きていれば、視野は狭くなり、次第にどんどん歪んで解けなくなっていく。だから外の世界を見なさい。その小さな世界ばかりで生きるのをやめ広い世界に出なさい」と、先人たちは言うのだろうか。
自分の世界が小さいことにそもそも気づいていなかった。そんなわけがないと、信じたくもなかった。
なんもねぇな、自分。
なんもなかったんだな。
あれも、これも、全部、誰かの受け売りだ。誰かの何かに影響されて奪ってパクって模倣しただけで、中身、空っぽだな。
おいおい、ユニークさの欠片もねぇな!
全部、全然、全部、馬鹿みたいだな!!
馬鹿みたいだから、ちゃん向き合わないといけない