:一筋の光
何もできなくていい、何もなくていい。
不安でいい、分からなくていい、泣いてていい、大丈夫じゃないから、どんな自分でもいい。
日々はどんどん過ぎ去って、どこから手を付ければいいかも分からなくなったが、意味を見出すこともなくなったが、少しも「仕方がなかった」と思えないが「これで良かったんだ」とも言えないが。
もういいんだなんて聞き分けのいいことを心から思えるわけでもないけど、きっと生きてるって、人生ってこんなもんなんだろうとか飲み込めるわけでもないけど。
未来がどうなるかなんて分からない。時は流れる、だから何かは起こる、それしか分からない。それでもどうせ今とは違ってるんだ。同じなら同じでもいい。
一貫性がなくたっていい、一過性でもいい、何もできなくていい、浅い人間でいい、中身がなくたっていい。
失くしたくないものなんて臓器とスマホくらいだ。
そんでいいよ。どうなりたいとか、目標とか目的とか、成し遂げたいこととか、特技とか、大事にしてる格言とか、尊敬してる人とか、心惹かれた本とか、人生を大きく変えたものとか、そういうのもない自分で。
なんにも興味ない、どうでもいい、そう言い捨てるくらいでもいいし、それでもやっぱり音楽を聞いて涙を流すことがあっても。
褒められた人間じゃないとか、認められるような人間じゃないとか、なんてことないよ。生まれてきてしまったならもうそれだけで褒められ認められて当然だろ?生まれたいですなんて頼んだわけじゃないし、生まれてこさせられたんだから、生まれてきてやっただけで感謝されるべきだ。
みんな違ってみんな気持ち悪くてみんな違ってみんなクズでみんな違ってみんな素敵なんだ。
私もそれでいい。当たり前じゃないか。みんなが許されるなら私だって許されて当然だ。私が他人を許すんだから私だって許されて当然だ。横暴で構わない、暴論で構わない。私はいつだって私基準の「誠実」だから。
何もできなくたっていい、何もなくたっていい。私だって、私の一筋の光を掴んで、輝かしいものを握り締めて笑ってもいいし、握り潰して粉々にしてしまってもいい。
みんな勝手に生きてる、人の心を踏みにじって生きてる、なら私もそれでいい。みんな人を思いやって生きてる、人の心を愛して生きてる、なら私もそれでいい。私だって人の心を踏みにじって、人の心を愛して、それで生きたっていい。
自由に生きたっていいんだ。何もできないならできないでいいんだ。
否定してくる人にはそれこそ否定すればいいんだ。認めてくれる人のことは素直に認めればいいんだ。
私は私を好きでいられる!私は私を嫌いでいられる!
「貴方のことがよく分からない」だとか「本当の貴方はどれ?」だとか、それこそ訳の分からないこと言ってないで全部「味わい深い人間」って言い換えてくれよ。
実に味わい深い人間だろう!
私は私なりでいたっていい。ああ、本当にこんなに簡単なことが分からなかったんだ、できなかったんだ。だって否定されてばっかりだったんだから当然だろ?他責思考だって?安易にこちらのせいだなんて、それこそ責任転嫁しないでくれよ。
自分のことなんて自分でもよく分からないが、自分のことなんて自分でも制御できないけど、そんでいいよ。気分屋なんて言われたって、一貫性がないなんて言われたって、矛盾してるなんて言われたって、まあそんなもんだよ!
気ままに過ごすよ。
死ねたら死ぬよ。生きれたら生きるよ。気ままに。
:鏡の中の自分
ちゃんと自分だ。笑いかけてきたり、罵ってきたりしない。鏡の中にただの私がいる。ようやく普通になれたんだ。正常な判断ができてる気がする。良かった。
真面目になろうとか、普通になろうとか、一般的思考とか、そういうのを目指すだけ歪んでいくなら、いっそ開き直っておかしい自分でいるほうがよっぽどまともになれる。よっぽど普通だ。
私の普通、私のルール、私の基準。全部私には私なりの行動原理がある。矛盾してるだとか、理屈が通ってないだとか、暴論だとか、感情的だとか言われたって、なんだ、全然構わないじゃないか。私には私なりの何かがあるだけ、それに従って動いてるだけ。何もおかしくないじゃないか。漸く普通の自分になれた。
何だ、なんのズレもないじゃないか。何を以ておかしいなんて思い込んでいたんだろう。私何もおかしくない。普通じゃないか、あぁ良かった、本当に良かった。
鏡の中の自分は自分と同じことしかしない。良かった。勝手に動き出したりなんてしない。私が口を動かさない限り鏡の中の自分の口は動かないし、手を振らない限り鏡の中の自分は手を振らないし、何もしないなら何もしてこない。どうしてこんな当たり前のことに気づかなかったんだろう。
ああ良かった。ただの私がいる。
:永遠に
これからどうしよう。どうなるのかな。死んじゃうのかな。分からない。後悔ばかり?後悔はない。でも身辺整理なんてできるのかな。せっかく集めた物を全部捨てられるの?プレゼントで貰った物もゴミ袋に入れてしまえるの?ああ恐ろしい!恐ろしい、悲しい、寂しい、切ない。
少しの嬉しさがスパイス痺れる隠し味。
せんせいにはなんて言うの?「もう回復したと思うので次回の予約はとりません」って?なんてワクワクするんだろう!最低だ!他人の心と人生をなんだと思っているんだ!本当にな!だからこそじゃないか!
どうか私の心をぶち抜いて。
嗚呼神様 私の神様 なんて美しい御方。どうか手を引いて、どうか背中をそっと押して。
神様なんていないよ。けどいるの、あたしの神様はいるの。あの慈しむ瞳と体温のないぬくもりと空気が頬をなでたの、ああもう何を言っているのかも分からない!でも、そう、貴方は神様だけど、なんの力もない。私の手を握ることもできないし、背中に触れることすら。
高台から突き落とされる人を初めて見たときの吐き気を今でも思い出せる。あの気味悪さ、全身がじんわり痺れたような感覚、食事が喉を通らない、あの暑苦しい日を。
ステップを踏めばキラキラ金平糖が飛び出す。クルクル回ればふわふわ綿あめが生まれる。お財布の中からロリポップを取り出して、そちらのキャンディと交換してくださいな。手を叩けばチューインガムがパチンパチンと弾ける。ベトベトになった全身をジュースで洗って、チョコレートの湯舟に浸かって、シフォンケーキのベッドで眠る。
嗚呼神様! あたし、こんなに幸せ!
ずっとずっと夢を見させて!永遠に!
こんなに簡単に幸せになれるなら、体の1kgくらい捨ててしまって構わないわ。さあ早く脳みそを、早く!!
許してほしいの、間違ったことに手を付けたこと。許されないことを許されてしまいたい、この気持ちがどれほど甘酸っぱくて美味しいさくらんぼか知らないの?食べてみて、どれほどでも飲み込んで、毒ある種ごと2kg以上口にして。腹を壊してしまってよ、吐き気に身を任せてしまってよ。
味わってみせて。大丈夫!きっと幸せになれるから、さあベロ出して。
どうなっちゃうの?生きていけないよ、もう無理なんだ、耐えられない、早く、目がチカチカする、時計の針が全く進まない、なんで、なんでこんなに永遠に感じるのにどうして針がこんなに遅いの。
気がついたら数年経っちゃってた。永遠のように感じていたのに、私には空白の数年が存在している。きっと異世界にでも行っていたのよ。だってなんだか楽しかった感覚が残ってるもん。空を飛んでいたような気もするし、虹を滑ったりもした気がする!あの空に浮かぶ雲は、わあための味じゃなくて、あれ、食パンの味がしたの!青い世界に包まれて、嗚呼あたし、幸せだったなあ。
神様も天使様もいなくて、喋りかけてくれる存在は誰一人いなくて、あ、それは嘘かも。でもあたしはずっと動いているのかも分からない鈍い足を動かしながら、ふらふら眩しい世界を歩いていたの。何もかもがグルグル回りだしてジェットコースターに乗ったみたいになったり、グーーーーっと世界が一点に吸い込まれていったり、あるときはビカビカ!っと色が突然輝きだしたり、かと思えば、ただ、何かも分からない煙をボーッと眺めたり、重力にあまりにも引っ張られてずっと床と一体化してたり。あたしの焼死体がやっほ〜って喋りかけてきて、嬉しくなって抱きしめたら、ボロボロになっちゃって、体は煤だらけになっちゃった。臭い?どんなだったろう、臭かったような気もするし、焼鳥のような匂いがした気もするし、酸っぱかったのかな。
誰かがマフラーを巻いてくれたような気もする。クリスマスに貰ったかわいいチェック模様のマフラー。きっと誰かが私を愛してくれたんだわ。首を絞めるならもっと違うロープにするはずでしょう?大事なマフラーで首を絞めようだなんて、そんな悪魔いるはずないよ!
天使も悪魔もいなくて、現実はカビと埃と下水の臭いがしているだけで、ああ、冷蔵庫にレモンはあったかな。レモンって、常温だっけ。
許してほしい。もう生きていけない。どうして?どうしても。もし生きてしまったらどうしたらいい?私はまた慰めてもらえばいいの?神様みたいな存在に?孤独の成れの果てに?存在もしない存在に宥められて?
永遠にこのまま。努力でどうとでもなる?努力すれば、あたしは、あたしは、あたしは手っ取り早く。手っ取り早さなんて求めちゃだめ?コツコツ積み重ね、延々と?そんなことする気、ないんだけど。じゃあどうするの?どうにも。
ああ!思い出した!ピンク色のオーニングテントがあって、扉はちょっと古ぼけてたけど……でも中にはあたしよりも背の高いショーケースがズラっと並んでて、どこを見てもかわいいケーキばっかり!ケーキ、ケーキ、ケーキケーキケーキ!!ああずっっと食べたかったの!ホイップクリームが紫だったり、水色だったり、赤かったり、オレンジだったり、カラフル!カップケーキもおいてあったよ。これは黄緑色!どれも美味しそう!
ゴミまとめなくちゃ。
足りないんです、もっとほしい。もっと幸せになりたい、だからもっとその優しい愛の塊が欲しい。私を連れて行って、体重の1キロくらいなくなって構わない、どうか私の脳をぶち抜きたいの。
:理想郷
大丈夫、そんなの役に立たないから。
忘れていいよ。忘れられない?忘れようとしてみるだけでいいよ。忘れたくない?ならば抱えておけ。そのどちらでもない?ならば吐き捨ててまた拾って吐き捨ててまた拾ってを繰り返すのはどうだい。
頑張って頑張って、それで報われたらいーね。
「ただいま」って言ったら「おかえり」って返ってきて、スマホを置いてこっちを見てくれる。そこにどれだけの幸せが詰まっていたかなんて、今頃気づいちゃってさ。
優しさとか愛情とか、そういうのは目を凝らしてよ〜く見ないと分からないんだよ。
何を今更後悔しているんだい。いっそくり抜くこともせず中途半端片目で見ていたのか、それとも色眼鏡をかけていたんだろう?だからちゃんと見えていなかった。見ていなかった。見ようとしなかった。君は目薬が嫌いだったんだろう?だからいつまでも曇らせたままで見ていたのさ、なら仕方がないねえ。
「どうして」とは、愚か者を超えて行けないお前も随分愚か者だからさ。どんぐりの背くらべ。君が一歩大人になったら、そんな奴ちんけな存在だとしか思わなくなるよ。
大人ってなあに?それはもちろん、君が苦しめられている存在よりも上の存在ってやつさ。上の存在って何?精神的余裕?思慮深さ?人生経験の多さ?さあ、なんだろう。一歩大人になるってのは、お酒に溺れることかな?それとも性に溺れることかな?上の存在って、神様仏様?さあ、君が思い描く大人ってのはどんな人物なんだろう。
君の親かい。君の先生かい。君の憧れ?まともな人って基準が、お前の中にあるのか。
その、大事にしているつもりもなく抱え込んでいる、きっちゃない塊は、君にとって本当にいるものだと断言できるのかい。良いものだから抱えておく、悪いものだから捨てる、なんてのは極端な話さ。悪いものも含めて己を形作る要素だと信じ抜けるなら、君にとって必要なものだろう。汚いそれも君の要素の一つ。それも一つのあり方だけれど、君、それで、重苦しくて抱えてられなくて、心臓がずり下がって、今にも落っこちそうで、悲鳴を上げているよ。
頑張って頑張って抱え込んで、それで幸せになれたらいーね。君は報われるのか。
大丈夫、そんなの役に立たないから。必要になったらまた拾い上げればいいさ。だから一旦すみっこに。君という存在もすみっこに。
隠れてしまえばそこでは自由さ。理想郷など存在しないから、君は君の何かを追い求める他ない。
根性論じゃ解決できないことが山積みだけれど、結局気の持ちようで全てが変わるのだ。なら全て無くしてしまえばいい。その「気」とやらをなくしてしまえばいい。無感情になれとも言っていないし、何も感じるなとも言っていないし、全てに落胆して失望して呆れろとも言っていない。極端で、無知で、経験不足なお坊ちゃん、人からの説明で全てを分かった気になっても、お前が理解しているのはたった1割にも満たない。説明不足のこちらの落ち度だと、それは本気で?
あっはっは!それはそうだ。冴えてるじゃないか。いつでも言葉足らずで濁しているばかり。「お前は極端で無知で経験不足なお坊ちゃんじゃないと言えるのか」って?真逆!いつ自分はそうじゃありませんなんて言った。
大丈夫、なるようにしかならないのだから。
過去や未来がどこかに保存されているような気がしてやけに不安になったり怖くなったりする。でも気がしているだけで、現実、今、事象が起こっているだけに過ぎない。過去も未来もどこにもない。あるのはたった、今だけ。
大丈夫さ、既に手遅れなら、いつ始めたってよくて、いつまでも始めなくたっていいってことじゃないか。特別気にすることもない。好きなときに好きなようにしたってぜーんぶ今更なんだから、どっちでもいいのさ。
大丈夫、なんにも役に立たないし、いつか役に立つかもしれないし、役に立てるかもしれないし、やっぱり無駄かもしれない。そんなもんだよ。
だから忘れていいよ。好きに扱っていいよ。できないならできないでいいし、するならするでいい。もちろん何でも自由だ。選択したくないならしなくていいし、したいならすればいい。しなければならない状況だというなら仕方がないね、腹括って選ぼう。選べなくても選んでも何にせよ時間は進んでくんだ。どうとでもならないんだから、好きにすればいいさ。
どんなに世の中を恨もうが自分を恨もうが何にも変わりやしない。なら開き直って思うがままに過ごしたいね。
役に立たなかったけど役に立ったよ、今までの体験。意味が分からない?そんなもんさ。
:暗がりの中で
長い長い螺旋階段を下っているのか、上っているのか。思考の渦というものに台風の目のような場所はあったりするのだろうか。一瞬でもいいから光を差してくれ。
真っ暗でどこへ進んでいるのかも分からないし、何が言いたいのかも分からない。とにかく全てぶちまけて、安心を図ろう。
大丈夫、週末になったらカウンセリングに行ける。カウンセラーに話を聞いてもらえる。あの人に会える。話を聞いえもらえる。大丈夫だから、今はとにかく、とにかく、耐えよう。大丈夫、真っ暗でも、布団の中に隠れていれば、いずれ太陽は昇って、朝が来て、日が沈み、夜が来て、また太陽は昇って、そうして週末になるから。大丈夫、今はひとりぼっちじゃない。どうしようもない現実はあれど、今は孤独じゃない。大丈夫、カウンセラーさんに聞いてもらえる。大丈夫
ああ良かった!ちゃんと安全基地としてあの部屋は成り立ってるんだ。カウンセリング室がちゃんと、安全基地の役割を果たしてるから、だから今は、簡易、簡易、あー駄目だ。ダメだなぁダメだ。不安なこと、恐ろしいこと、耐えられないことから、布団を頭から被って丸まって身を守らないと、限界メーターが振り切れていよいよぶっ壊れる。
布団の中でゼェゼェ息をすると段々酸素が薄くなっているのか、息も強制的に落ち着いてくる。原理は分からない。布団にくるまっていれば息苦しくなって、呼吸のスピードが落ちて、落ちた頃に布団から顔を出してゆっくり息をすると、呼吸が治る。
それからドコンドコン鳴る心臓を落ち着かせるために自分を上から見下ろす。「大丈夫、無理矢理落ち着こうとしなくてもいいからね。よく頑張ってるよ。そう、そう、そうやって意識をじんわり痺れさせて、頭の中がジワジワしてくるイメージをしよう。そのまま身を任せて、大丈夫、よくできてる」。そう言いながら寝ている自分の頭の後ろに腰を落として、手を伸ばして撫でるイメージをする。
2、30分くらいそうやっていれば、その間に寝ていたり、寝ていなくても意識がどこか違うところへ行っていて、今この場所から逃れられたような気がしてホッとする。
自分で自分に語りかけるということを頻繁にしていた時期があった。あの頃は頭の中でいろんな自分の声が聞こえてきてしっちゃかめっちゃかで、あれしろこれしろいやそんな言い方は良くないどうのこうの、うるさかった。自分自身に語りかけているとき、まるで別人が語りかけてますよ、みたいな体でやっていたからおかしなことになっていたんだろうと、今は思う。久しいな、自分へ語りかけつつ、語りかける人は別人みたいなやつは。あの馬鹿うるさい口だけ揚げ足取りのクズは自分の中から死んでくれたのかな。なら良かった。
そうだよ。自分のことを守るって役割なら脳みそももっと賢くなりゃいいのに。何故わざわざ自己批判的な奴ばかり脳内で量産していたのか。大丈夫、よくできてると頭を撫でてくれるようなものばかりが自分の中に住んでいれば、もっと気楽で追い詰められることもなかったろうに。そうだぞ、もっと自分のこと褒めてくれよ。
なんで最近やってなかったんだろう、と思ったけど、辞めたくて辞めたんだった。自分で自分に語りかけることはやめようと思って辞めたんだった。しんどいし、精神が削られるし、なによりあれは気がおかしくになる。気違いを起こして変なこと言ったりおかしな妄想に囚われたり自分の中から湧き出てくる言葉や声が止められなかったり、それに言い返したり、突拍子もないことを突然しだしたり、あれは随分、その、随分、イカれてた。正気じゃなかった。
「あの人は病気だから」と言われたら「病状で苦しいんでいるのか、なんと辛いことだろう」と思うだけで、頭が変だとか思わないというのに「あなたは病気だから」と言われると「自分の頭が変なんだ!!気が狂ってるんだ!!治さないと!!!!イカレ野郎になんてなりたくない!!」と強く思ったり「いいや自分はおかしくなんてない!!周りのほうが変で頭が狂ってんだ!!自分だけが正しいんだ!!」と思ったり、とにかく振り切っていた。
やっぱりちょっと、いやだいぶ、気が狂ってたとしか思えない。言い換えよう。余裕がなかった、精神を病んでいた、追い詰められていた、苦しくて辛かった、ただ、それだけ。……いいや、別に自分は気違いでいいんだよ。個性的だとかそんなのではなく、単に常識がなく、普通というものが掴めず、口も上手くなく、これといった特技もなく、人と関われない社会不適合者である。という方が、よほど気楽だ。「あなたはまとも、あなたは普通、あなたは出来る」と言われる方がよっぽど傷つくし苦しい。自分で自分を貶めるなと言ったりするが、自分のことを自分がどう扱おうが自由さ。と言っても、恐らく自分で自分のことを貶していると周りの人が「この人自身がこの人を大事にしてないし、ならぞんざいに扱ってもいっか」と思いがちになって、他人からも攻撃されるからやめたほうがいい、ということだろうから、なるべくしないに越したことはないんだろう。
勘違いしないでいただきたい。「自分の症状を気が狂っていると言うなら、自分と似たような症状で苦しみ悩んでいる他人のことも気が狂っていると思うのか?」というのは愚問だ。「でも自分に対して思ってるってことは他人に対して思ってるからでしょ?」と言えるような人ともお話したくないしできない。考え方が端から違っていて伝えようとしても伝えられない。質問に上手く答えられない。そこは説明ができない私の未熟さだ。しかし自分の考え方を押し付けるようなお前も大概未熟な人間だろう!未熟者同士で会話しようとしても上手く行かない。お互い相手のことを受け入れられない、自分の事も上手く説明できない、相手の問に答えられない、できないこと尽くしだ。
とはいえ、疑問に思ったりはするよ。是非訊いてみたいさ。どうして自分と他人を同列に考えられる?お前の自己肯定感が高いからか?なぜ? はなっから聞く気もないがな!
「自分は駄目だが他人は良い」という考えがベースにある。例えば誰かがしんどくてもう辛いと言ったら「しんどいなら今すぐ休んで、体調第一だよ。辛いなら無理しないほうがいい、治るものも治らなくなってしまうよ。ゆっくりおやすみ」と声をかけるよ。他人は普段から頑張っている素晴らしい生き物だから尊重されるべきだ。自分がしんどくてもう辛いと思ったときは「何ほざいてんの?甘えやがって、しんどくてもやれ。体調第一とかそんなわけないやろ、目の前のことが第一。何ぬかしとんねんボケが。しんどかろうが辛かろうがキツかろうがそれくらいやれや。ただでさえ出来悪いのにそんな人間から『頑張る』を抜いて何が残る?がむしゃらに頑張ったところで必ず結果が出るわけでもないんやからさあ、せめて『数打ちゃ当たる』方針で頑張らんと、既に遅れを取ってるってのにどんどん周りと差つくけど、それで生きてけるわけ?それとも逃げるか?逃げた先に何があるか考えられんほど頭弱かったんかぁ」と、立派な活を入れる≒罵るわけだ。「自分に厳しく他人に甘く」これが基本さ。
自分を気違いであると言ってもいいと思っているのは私が不出来で評価に値しない人間であると思っているから。「じゃあ不出来で評価に値しないと思った他人のことはキチガイだって言うの!?」って、ははは、どうして私はきちんと教えられなかったんだろう。他人は基本的に、価値がある生き物ですから、他人に対しては思いませんよ。余程の犯罪者じゃなければ。人の体や命を侵害するような下衆に対してまで『価値がある』とはよう言いませんけどね。そういう人に対しては平気で頭イカれてんねやろ?って思いますよ。
例外ばかりありますけどね。強盗殺人者に大事な家族を殺されたから殺し返してやる復讐してやる、ということで強盗殺人者を殺した人がいたとしたら、私は頷いてしまうだろうし、殺人の罪に問われ犯罪者になったとしても私はその人に価値があると思うし、下衆野郎とは思わない。
簡単に言えば「自分が気に入らない人以外は価値がある」と思っているだけの話だ!
価値があるだろう人に対して貶すこともあるし、クズだと思ったりバカボケと思うこともあるし、イカれてんなと思うこともあるけど。しっかりとした基準なんてないな。気分によっても全部変わるし、あまり当てにならない。
そういえば、言葉のニュアンスも人によって受け取り方が全く違うんだったなあ。
1ヶ月前に茶色が好きと言ったからといって今も茶色が好きとは限らないし、今好きでハマってることを1年後も好きであり続けているかどうかなんて分からないだろ。この前はこう言ってたけど今は違う、なんてよくあることじゃないか。違うのか?人間1ヶ月もありゃ考え方や感じ方が変わることもある。いつまで過去の自分で居続けているつもりなんだ?考えれば考えるほど自分の価値観は変わっていくし、言葉や事象に対する受け止め方が変わったりもする。人は変化していく生き物だと思ってないのか?それともそんなにずっっと変わらないのか?「1年前に言ってたことと矛盾してる」って、矛盾しているのが人間じゃないのか?10代前半の自分、10代後半の自分、20代前半の自分、20代後半の自分、30代前半の自分、30代後半の自分、40代前半の自分、40代後半の自分、50代……と、全部自分ではあるが、ずっっっと変わりなく一緒、なことなんてあるのか?10代前半の自分と50代の自分が全く一緒だなんて、それいっそ怖いぞ。10代から考え方が安定していてずっと変わらず大人になれた人か、10代から何も学ばず変われず大人になってしまった人か、どっちかじゃないか……?
1年前に言っていたことと今言っていることと矛盾することは誰にでもある。人間1年もすれば変わるよ。大きく変わる人もいれば少しだけ変化するひともいるし、変わってないように感じても変わっていたりもする。変わらない人は成長がない人か、既に成熟している人か、とりあえず停滞している人か。試行錯誤の日々だとしたら一週間で変わったりもする。それを「矛盾してる」と言えるのは、むしろ、なぜ?
個人差はあれど変わる人は変わる。変わらないことが駄目なこととも思わない、その人なり、というのがあるだろうから。駄目だろ、嫌だな、と思うのは、何でもかんでもすぐに矛盾してると言う人だ。人は矛盾する生き物だろう。矛盾が良くないこともある。あるだろうが、何でもかんでも「矛盾だ!」と指摘すればいいとも限らな
「いやいや考え方って変わるし矛盾することもあるでしょ?」って言い訳に使われたらウザいな。
「そんなのも全部言い訳」と感じるのも無理ないか。大体のことはどちらの言い分にも一理ある、という落ちだし。
大丈夫、随分落ち着いてきた。あちこちに思考を飛ばせば不安も消える。このままどうでもいいことを考えて、矛盾しまくりわけのわからないと言われる持論を展開して、まあまあ、目の前にある問題から目を逸らして思考の渦に飛び込んでおけ。命大事、考えすぎて追い詰められて死にたくなれたらそれはそれでいいじゃないか。死にたいという願いが叶うかもしれない。どう転んでもハッピーだ。 それは言い過ぎた。
螺旋階段を下ってようが上ってようがどっちでもいい。下に行くならとことんまで落ちてやる。上ってるなら上ってるで楽になれそうだからいい。なんでもいい、大丈夫、どうせ螺旋階段は繋がってるんだから、考えるだけ無駄だ。それともただの輪っかの上をグルグル回っているだけかもしれない。スタートしたらまたスタートに戻ってきてまたスタートみたいな。
ああ、大丈夫だ。お布団は温かいし、スマホは使えるし、ご飯も食べられる。でもトイレがぶっ壊れたのはちょっと困ったなあ。今の所問題なくはないけど使えないこともない、とはいえいつ限界が来るかな。なんにせよゴミ屋敷だし業者とか呼べなさそうだし、不安になるだけ意味ないし。片付けろって?思う。でもほんと、どこからどうやって手を付ければいいのか分からないんだ。全部ゴミ袋に突っ込もうとしても「捨てちゃだめ」って言われるし。こんなゴミいらねぇだろ、と思っても、あの人にとっては宝物らしい。
分かった。とにかくまずは片付けの相談からすれば良かったんだ。なんで気づかなかったんだろう。……言っていい返事がきた試しがなくて、ショックと諦めと怖さで言わなくなったんだった。でもやっぱり、言わなきゃ伝わらないんだから、まず、今は、言ってみよう。キツく言い返されても心折れず、ちゃんと自分の考えを伝えないと。 伝えて、それで?また怒られに行くわけ?
まず、まず、やってみないと始まらないよ。分からないなら、とにかく頭を冷やそう。大丈夫、今は孤独じゃないしひとりぼっちじゃない。週末、カウンセリングに行って、人に話せば、少しはクリアになるかもしれない。ただ話を聞いてもらいたいって当たり前のような欲求をまず満たせたら、何か変わるかも。
ああ良かった!辛くなったり悩んだりやってる意味が分からなくなったり効果があるのか疑心暗鬼になりながらも、ちゃんとカウンセリングに行き続けて、本当に良かった!よかった、よかった、話を聞いてくれる人がいて、相槌を打ってくれる人がいるだけで、こんなに救われるような気持ちになれるなんて。よかった、よかった、お金を払っているという安心感がある。お金は減るけど安心感が買える。無償の愛とか絆とか情けとか、そんな不安定で不確定なものよりよっぽど安心で、ああ本当に有料で良かった。カウンセリングに行けると思えるだけで、気が狂いそうでも息ができる。良かった、カウンセラーさんと友達とかじゃなくて、カウンセラーはカウンセラーという仕事を全うしているだけで、それだけで安心できる。本当に良かった、カウンセラーさんがただの赤の他人で。ただお仕事を全うしているだけの人で、本当に良かった。
暗がりの不安の中で蹲っていても、一瞬だけ扉が現れて、一瞬だけでも逃げさせてくれる、安全地帯を作ってくれる、それだけで今は救われる。
あの部屋に行けば先生が待ってる。だから大丈夫。