:逃げられない
「自己肯定感」と「自信」は別物というのを忘れてる。
成功体験を積み重ねようとか、自分が出来ることを褒めてみようとか、そういったものは「自信」を育むものだけど、君に今必要なものは自分のことを否定しない、ありのままの自分を認める、という自己肯定感だよ。
「自分に自信を持つことで自己肯定できる」というのは危ない。
例えば、君は料理が得意で料理の腕に自信を持っていたとしよう。そんな自分が好きだ!と思っているとしよう。そうすると、腕を骨折して料理ができなくなったときに「料理ができない自分は価値がないんだ」「こんな自分は生きている価値がない」挙げ句の果てには「死んでしまいたい」と自己否定してしまう。
では、もしここで「料理ができなくても自分は大切」と思えたら?「料理ができなくても自分は大切」というのが自己を肯定するということ。「死にたい」という大きな不安も少しはなくなる。
君は自信もなければ自己肯定感もない。
ならまず、がむしゃらに何かをして自分に自信をつけるより先に、今の自分を認めることが必要だよ。
もちろん、何かをがむしゃらにやって何かを習得して先に自信をつけてから自己肯定感を高めていく、というのに向いてる人はいると思うよ。
けど君、それで失敗してきてるじゃないか。何かを習得しても出来なくなっては自信をなくして、そしてまた何かを得ようと必死で頑張ってまた出来なくなって落ち込んで。
「何もできない無力な自分」を認めたらどうかなぁ。何もできない自分を認められないから自信が欲しくて必死なんだ。それで首を絞めてるのに。
だからいちど手放しましょうね。
「しなければならない」「できないのは可笑しい」「やらなければ」という高い高い理想から。
べつにね、なんだっていいと思うよ。
後悔するぞとか、甘えるなとか、ツケが回ってくるぞとか、これってもうずっとそうじゃないか。
なんとなくなるようになるんだよ。
なるようにしかならないともいうのかもしれないけど。
それでいいんじゃないかなぁ。
どの道を選んだってどうなろうとそうなってしまったものは「仕方がない」の一言じゃないか。
そんなに気にすることなのかなぁ。
それに「今更」だよ。
どうのこうのマイナスにネガティブに考えて、それ、何かになるのかなぁ。
君はずっとマイナスだったのに、今更そんなことを気にして考えているんだね。
今からでもより良くしていこう!とか、今からでもまたやり直そう!とか、そういうことかい。
よけいにいつまで経っても苦しいままなんだなぁ。
君は思っているよりなんにもできないんだよ。
「自分は能力がない」なんて口にしてみてるだけでね、そのじつ自己評価がとっても高いんだ。
だからみのたけにあわない高い理想を掲げる。
でも何もできないから高い理想を前に苦しんでる。
これから良くなっていくという期待をするほど苦しい、今からでもやり直そうとするほど悲しい、
だからいちど手放してみましょうね。
悪いことじゃないよ。
手放しすぎで取りあえずは丁度いいのさ。
:透明
ぷかぷか、ぷかぷか、海に浮かんでる。
波の赴くまま、流されるまま。
ぷかぷか、ぷかぷか、月を見上げる。
ぼんやり宇宙に浮かんでる、月。
ぼくとおそろい。
ぷかぷか、ぷかぷか
くふふ、くふふ
ぼくたち、いっしょ
ざざーん、くふふ
ぼくたち、とうめい
誰かが照らし出すから見えちゃうんだ。
ぼくたち、静かに浮かんでるだけ。
静かに、ぷかぷか、くふふ、くふふ
:後悔
どうしてあのとき慈しんでしまったのだろう。肩に寄りかかって眠る貴方の頭をそっと抱き寄せて、髪の感触を確かめて、そっと、頬を寄せてしまった。
大事なものは増やしたくなかった。増えるほど管理が複雑になる。何より全てを大事にできるほど器用ではない。そのくせあれもこれも大事にしよう、取りこぼさないようにしようとしてしまう。結果的に全てを失ってしまった。だからもう大事なものは増やさないと決めていた。
のに、どうしてか、あのとき、たった数分、貴方に慈しみを注いでしまった。心を注いでしまった。そんなつもりではなかったのに。貴方があまりにも安らかに眠るものだから。
失くしたくない、この感情の揺れも、慈しむ心も、貴方のことも。失いたくないならば始めから手にしなければいい、と、もう何年も思い続けてきたというのに。貴方のことを慈しんでしまった。
:失われた時間
■
言葉の重みが違うのは心臓の密度差の所為さ。
ならば、ならばならばわたくしの心臓がこうも唸っているのですからわたくしのことばには、しんぞうには、みつどがございますか。
重い心臓を抱えて息をしている
私の言葉はには
何か、重みがあるのですか。
あると言えますか。
■
いつでも手放せるように
いつでも手を切り落としてしまえるように
もちろん、心残りがないように
それを温もりだと勘違いしないように
大事なものはゆるく握っておくだけ。
■
自殺を決める一言なんてありきたりなことだろうし、自殺を決める出来事だってありきたりなことだろう。
日常を生きているだけで。
唯一の温もりが傷口しかないような、そんな癒やしの中で生きてる。
■
依存なんてちょっと物騒な言い方をしているだけで、ただとっても大好きなだけよ。何も問題ないんだから、悩みすぎないでよ。じゃなきゃ僕、弱っちゃうよ。
■
最初は甘いガムを何度も何度も噛んでいると味がなくなってつまらなくなってしまう。なんでもガムみたいなものだ。好きな曲を何度も何度も聞いているとそのうち最初のときめきを忘れてしまう。絵も、文章も、景色もそうだ。人は慣れる。慣れるからつまらなくなったと言う。
そのくせもう好きでも何でもないのに惰性でガムを噛み続けるのだ。
■
優しい感触がする。
しっとりして、水の中を漂っているような。
心地よく眠りに落ちる寸前のような、優しい浮遊感。
暴力的な話はもちろん好きだ。刺激的なものはクセになるからね。
ただ、こうやって、柔らかなクッションに沈むようなしっとりした話も、嫌いではない。というより、元来の性質はそうなのだから。
ああ、懐かしい私を思い出す。
:子供のままで
じゃれつくようなついばむキスをした。くすぐったそうに小さく笑う無垢な顔と、ゆっくりと指を絡めキュッと握る手のチグハグさ。
を、感じた瞬間押し殺そうとした。だってこんな変な感覚はきっと体感しないほうがいい。
なのに、握り返してくる手が堪らなく嬉しいと思ってしまうから、どうしたら良いものか。
自分ではない何かが腹の底から湧き上がり登ってくる感覚がする。きっと今が境目なんだ。大人と子供の境目、動物と人間の境目。
なら、このままでいい。子供のままでいい。純粋で無垢でまっさらなまま、この愛おしさが欲に呑み込まれて消えてしまうことなく綺麗なまま終わりますように。どうかこのまま貴方だけが忘れてしまいますように。