【イルミネーション】
私は分厚いジャケットを羽織り、小ぶりなバッグを持って1階に降りた。
「お母さん、9時に帰るね」
お母さんは洗い物をする手を止めた。
「うん、気をつけてね。
帰るの遅くなりそうだったら、必ず連絡するんだよ」
私はこくっと頷き、靴を履いて外に出た。
「行ってきまーす!」、お母さんに、オトウサンに。
12月に入り、気温は10℃を下回る日が多くなった。
今は午後4時だから、もう少し気温が低いだろうか。
いずれにせよ、寒い。寒すぎる。
私は氷のように冷えた手を擦りながら、駅前行きのバスを待ち続けた。
白い息が宙に消えていく。
駅前のバス停で降り、徒歩3分のところにあるショッピングモールの中に入った。
友達との待ち合わせ場所は、ショッピングモールの1階にある休憩所。
休憩所にはベンチがあるから、私はそこに座って友達を待った。
友達を待っている間、私は考え事をしていた。
年の瀬が近づいているからだろうか、なんだか1年を振り返りたくなった。
「去年の今頃から不登校生活が始まったんだなぁ」とか、
「でも今年の9月で、不登校生活は終わったんだ」とか、
「家出して東京まで行ったなぁ」とか。
今年は濃い1年だった。
濃いのではない、私が自ら濃くしたんだ。
私が自ら濃くした1年。
そう思うと、達成感が湧いてくる。
きっと誰も手にすることができない、私だけの達成感。
外は、澄んだ青色から、ミカンのようなオレンジに染まり、魔法が掛かった紫色へと移り変わっていく。
「海愛ちゃん〜、お待たせ!」
後ろを振り向くと、見慣れた2人がいた。
キャラメル色のコートを着ているのはかのんちゃん、
ピンクのマフラーを巻いているのはあいりちゃん。
「ごめん、待たした?」
「ううん、全然。私もさっき着いたばっかり」
「えっと、夜ご飯はあそこでどうかな?」
そう言ってかのんちゃんが指差したのは、向かいにあるファミレスだった。
「いやぁ、今年もええ1年やったなぁ」
今年1年の振り返りをしながら、みんなで夜ご飯を食べた。
「うん、濃い1年だった。
いや、自分で濃くした1年だった」
「めっちゃカッコいいこと言うなぁ…!」
「私もそうかも。
今年ね、色々頑張ったんだ。
学級委員長に立候補したり、ボランティアに参加したり。
生徒副会長にも立候補したけど、結局落ちちゃった」
そういえばかのんちゃん、今年は学級委員長やってるんだったな。
「え、今年が初めてだったの?」
「うん、そうだよ」
「へえ〜、すごいなぁ。
今までは立候補したこと無かったん?」
「あったけど、駄目だった。
でも、今ならできるかなって。
小学生とか中学生の時は、クラスがアレだったから…」
「アレ、って?」
「まあ、簡単に言えば『学級崩壊』。
問題児とか仕切りたがり屋が多かったんだよね。
あとは、シンプルにいじめ。
ちょっとだけ泣き虫な子とか少食な子、給食食べるのが遅い子はよく標的にされてた。
酷いときは、自分の気に食わない子に嫌がらせしたりとか。」
「うわぁ……怖いなぁ」
「うん。自分も、学級委員に立候補しただけで『調子乗ってる』って言われて嫌がらせされたりしたなー。」
かのんちゃんは笑顔で話していた。
でも、少しだけ引きつっていた。
きっと無理してる。
本当は、その笑顔の裏側に「無理矢理押し殺した過去の自分」がいるのだろう。
夜6時。辺りは暗い。
私達はショッピングモールから徒歩2分のところにある広場に移動した。
ここでは期間限定でイルミネーションが観られるのだ。
「え、めっちゃピカピカだ!」
「すごいね〜!かわいい!」
右も左もイルミネーションでいっぱいだ。
この光景は毎年見るけれど、今年は一層輝いて見える。
「あ、あそこにでっかいクリスマスツリーーあるよ!」
私は前を指差した。
カラフルなLEDライトで装飾された、大きなクリスマスツリーだ。
「ね、あそこで写真撮ろうよ」
近くにいる人に声をかけて、クリスマスツリーの下で写真を撮ってもらうことにした。
「準備いいですかー?」
「はい、お願いします!」
「それじゃ、5枚ほど撮りますね」
私達はお決まりのピースをした。
私が真ん中で、かのんちゃんは私の右、あいりちゃんは私の左にいる。
ああ、満たされてる。
そう感じた。
私が求めてたのは、これだったんだ。
こうやって、一緒に笑い合える友達。
昔の私が、喉から手が出るほど欲しかったものだ。
私は「オトウサンがいない」という事実によって他の人との間に溝ができてしまった事がある。
除け者にされていたわけではないけど、あらゆる場面で「私はみんなとは違う」ということを突きつけられた。
だから、「友達なんか要らない」と思って、一人で過ごすようにした。
でも、本当は友達が欲しかった。
暗い部屋に篭っていた私は、今では輝かしい景色を友達と観ている。
あいりちゃんは、お父さんとお母さんが離婚する前の最後の旅行がイルミネーションだった。
でも、そこで夫婦喧嘩が始まって、その記憶が頭の中から離れないと言う。
この前だって、イルミネーションの話題を出したら顔色が変わっていた。
それでも、その記憶を塗り替えようとしている。
だから、今日ここに来ている。
かのんちゃんは、小・中学生の時にあまり上手くいってなかった。
いじめが日常茶飯事な中で、かのんちゃん自身も「調子に乗ってる」と嫌がらせをされて、次第に自信を失った。
それでも、腐ることなく戦い続けている。
「友達が欲しい」という願いを叶えた私。
トラウマを克服しようとしているあいりちゃん。
辛い過去に負けることなく頑張っているかのんちゃん。
この3人が一緒にいられるのは、きっと奇跡とか偶然とかじゃない。
「じゃ、いきますよー。はい、チーズ!」
パシャッと音がした。
写真に投影されたのは、眩しいクリスマスツリーと、今を生きる私達だ。
【心の裏】
「心って書いて、なんて読むと思う?」
当たり前じゃないか、「こころ」と読むに決まっているだろう。
「『こころ』じゃないの?」
「まあ、そうとも読むけど、別の読み方があるんだよ」
君は椅子から立ち上がり、教室の前にある黒板へと向かった。
白いチョークを手に取り、君は字を書き始めた。
カツッカツッという音が教室中に響き渡る。
僕は、それを教室の後ろから見る。
「心と書いて、『うら』と読むんだよ」
君は振り向いて言った。
「そうなんだ…」
「『心もなし(うらもなし)』って言う言葉があるんだけど、意味わかる?」
再び、君からの質問を考える。
心が無い、それすなわち……
「優しく無いってこと?」
「ちょっと違うねー。
『心もなし』っていうのはね、相手に気を遣ったり遠慮したりしないって意味なんだよ」
僕はそれを言われて、はっとした。
「……なんで、その話をしたんだよ」
すると君はふふっと笑って言った。
「私が失恋したからって、気なんか遣わないでね」
【温かい冬】
中村さんから話を聞いて以来、私の心は深く沈んでいた。
奥さん、病気で苦しみながら亡くなったんだ。
「サヨナラ」も言えなかったって。
この話を消化するには、とてつもない労力が要るみたいだ。
あれから、中村さんと会うことは無かった。
―――――――――――――――――――――
「今度の土曜日、3人で駅前のイルミネーション観に行こうよ」
と言って誘うと、あいりちゃんは少しだけ渋い顔をした。
「イルミ、かぁ……」
「だめ、かな?」
「いや、だめやないけど…行けるかなぁ…」
「もしかして、用事あったりする?」
かのんちゃんがお弁当を頬張りながら訊いた。
「うーん……、行けんかも。
ちょっと考えとくな。」
あいりちゃんにしては元気が無い。
そんな気がした。
気のせいだろうか。
「ま、まあ、イルミなんていつでも行けるし…」
少しだけ浮かない顔をして俯くあいりちゃんが見えた。
その途端、何を言えばいいのか分からなくなってしまった。
私は家に帰ると、電気もエアコンもつけずにソファに倒れ込んだ。
「はあぁぁぁ」と特大の溜息をついてみるも、部屋中に虚しく響くだけだった。
お母さんは仕事だし、オトウサンは天の上だ。
こんな溜息、誰も聞いちゃいない。
私は額に手を当てて、暫く考え事をした。
中村さんの奥さんのこともあるけれど、やっぱり気になるのはあいりちゃんのこと。
いつも元気なあいりちゃんが、あんな顔をしたのがショックだった。
「イルミ、行きたくないのかな」
ぽつんと漏れたその声は、やはり虚しく響いた。
翌日。
私達はいつもと同じように会話して、笑っていた。
いつもと同じ。
あいりちゃんも、いつもと同じだった。
私達は、いつも2階のテラスみたいなところで昼ごはんを食べる。
今日も変わらず、テラスで昼ごはんを食べる。
「あ、そういえば、イルミどうかな?
都合悪かったりする?」
かのんちゃんが、今日はおにぎりを頬張りながら訊いた。
「あぁ、イルミ…な。」
あいりちゃんの顔から、さっきまで浮かべていた笑顔が消えた。
やっぱり、昨日のアレは気のせいではなかった。
「……、これ、今話すようなことじゃ無いと思うけど、ええかな?」
「うん」
私は頷いた。
隣を見ると、かのんちゃんも頷いていた。
「実はな、」
「…うん」
「ウチの親、再婚しとんの。
ウチが小学4年の冬の終わりに親が離婚して、中1の夏に再婚したんや。
再婚するまでの間はずっとおとんと2人暮らしやってんけど、今は新しいお母さんと3人で暮らしとる」
「そうなんだ…」
「ほんでな、離婚する前の最後のお出かけがイルミネーションやった。
途中までは楽しかったんやけどな、
おかんが少し神経質なところがあって、
些細なことで夫婦喧嘩が始まったんや。
それでどんどんエスカレートしていって、
周りの人も観とるし、
あまりに辛ぉて泣いてもた。 」
あいりちゃんはご飯を食べる手を止めて、俯いた。
その表情は、前髪に隠れてよく見えなかった。
今、どんな顔をしてるんだろう。
涙を堪えてるのかもしれない。
歯を食いしばって、自分が背負っているものの重みに耐えているのかもしれない。
「……今はな、素敵なお母さんと頼れるおとんがいて、毎日楽しい」
「……そっか」
そんなことしか言えなかった。
「……なんか、めっちゃスッキリしたわ!
やっぱり、イルミ行きたいわ」
あまりに唐突で、ビックリした。
かのんちゃんはキョトンとしている。
「いや、今まで、イルミ避けとったんよ。
っちゅうのも、イルミ見たらあの日の事を思い出して苦しなってもうて。
せやけど、友達と一緒なら楽しいはずやし。 やっぱり行きたいわ」
私はかのんちゃんと顔を見合わせて、ふふっと笑った。
きっと、かのんちゃんも心配していたんだと思う。
でも、私達が思っているよりもあいりちゃんは強い子だった。
なんだか、安心した。
「じゃ、土曜日の5時に駅前集合でどう?」
「うん、いいね!」
「楽しみやわぁ!」
こうして、土曜日の予定はすんなりと決まった。
寒いはずなのにポカポカする。
それくらい、私達の関係は温かくて優しいのだ。
【横並び】
2:1。
前に2人、後ろに1人。
決まって私は後ろ側だ。
3人で帰る道は、楽しそうに話す2人を眺めるばかりでつまらない。
もし私に、ほんのちょっとだけ勇気があったならば。
「あ、そのドラマ観てるよ!」とか言えて、
会話に混ざることができるのだろうけど。
私にはあと一歩、踏み出す勇気が足りない。
今日こそは、今日こそは。
私は鞄をぎゅっと握りしめた。
誰も気づかないくらい静かな深呼吸をして、
私は一歩踏み出した。
ガサッ
少し背の低い木にぶつかった。
葉っぱが邪魔すぎる。
前の2人は話に夢中で、私になんか目もくれない。
はぁ…。
私は溜息をついた。
やっぱり私は、2人にとって「友達」では無いのかもしれない。
この大きな溜息すら、2人は気づいていないから。
「仲間」がいれば、と考えた。
「仲間」というのは、ある目標に向かって一緒に頑張る人のことだ。
仲間がいれば、私は横並びになれるのに。
ただの友達じゃ、私は横に並ぶことを許されないのだ。
私は空を見上げた。
雨が降れば、こんな時間は直ぐに終わってくれるのだろうか。
【トラジェディ】
暑さが和らぎ始めた10月の始め。
私は帰り道にある人を見掛けた。
その人はベンチに座っていて、独りで海を眺めていた。
鼓動が高まり、頬が熱くなる。
2年ぶりだ、会いたかった。
私はゆっくりと近づき、その人に声を掛けた。
「あの……、私のこと、覚えてますか?」
その人は振り向いた。
「あなたは…」
「お久しぶりです、中村さん」
目の前にいるのは、私の町に2年前まであった楽器店の店主・中村さんだ。
私達はベンチに腰掛け、しばらく話をすることにした。
「いやぁ、実に2年ぶりですね。
元気にしていましたか?」
「はい!中村さんも、お元気でしたか?」
私はニコニコ笑顔で答えた。
「ええ。この2年間、色々ありましたけど、何だかんだ元気ですよ。」
私は中村さんが言った「色々」に深い意味があるのを分かっていた。
去年、奥さんを癌で亡くしたと噂で聞いた。
それを思い出して、少しだけ胸が重くなったような気がした。
「……私も、何だかんだ元気にやってます!」
私は笑顔を作った。
それから私達は、この2年間の話をした。
高校に進学したこと。
友達が出来たこと。
今年、東京に行ったこと(家出したことは隠あえて言わなかった)。
中村さんはうんうんと頷いて私の話を聞いてくれた。
前と変わらない、柔和な笑顔。
寡黙で落ち着いていて、とても優しいところは変わらないみたいだ。
「あ、そういえばこれって言いましたっけ?」
「はい?」
「私、実は去年に妻を亡くしたんです。」
海風が急に冷たく感じられた。
脳がどんどん冷えて固まっていく。
中村さんの背後には、動かない白い雲が見える。
「…えっと、」
「ステルス胃癌で、亡くなったんです」
中村さんは視線を海に移し、こう切り出した。
「少しだけ、妻の話をしてもいいですか?」
―――――――――――――――――――――
2年半前から、妻がよく「食欲が無い」と言うようになったんです。
その頃は暑さが厳しい7月で、夏バテで食欲が失せてしまったのだろうと思っていたんです。
ですが、夏が終わっても一向に食欲は戻らず、冬には食事を戻すようになったんです。
ある日血を吐いてしまい、「これは只事では無い」と思って病院に行きました。
結果は、ステルス胃癌のステージ3でした。
それからは店を閉めて、妻の回復を優先するようになりました。
最初は手術も検討されていましたが、どうやら他の臓器に転移しているのが見つかって、手術はできないということで薬物療法を行なうことになりました。
最初の頃は、辛い入院生活でも笑顔を浮かべていたんです。
ですが、癌が骨にも転移して、次第に骨の痛みを訴えるようになりました。
日に日に笑顔が消えていくのを見るのは、本当に辛かったです。
ある日、先生から「今夜が山場かもしれません」と言われて、一晩中付き添いました。
夜中に「痛い、体が痛い」と呻けば、私は妻の体を擦ってあげました。
泣きながら擦りました。
もう、こんな姿は見たくないとも思いました。
そして翌日の朝、妻は亡くなりました。
苦しみながら亡くなりました。
サヨナラの言葉すら言えませんでした。
―――――――――――――――――――――
「ごめんなさい。
こんな話、外でするようなことでは無いですよね。」
そう言うと、中村さんは立ち上がった。
手には杖が握られていた。
「さて……、もうそろそろ行きますね。
それでは、お元気で。」
中村さんは杖をついて、地面と靴が擦れる音を立てて去っていった。
私はその背中を見送ることしかできなかった。
私は海を眺めながら、しばらく考え事をしていた。
中村さんは、もう楽器店は経営しないのだろうか。
今年の4月、閉店した楽器店が取り壊されているのを見た。
跡地にはコンビニができるらしい。
中村さんは「サヨナラの言葉すら言えなかった」と言っていた。
中村さんは、後悔しているだろうか。
しているだろうな。
こんな別れ方、望んでいなかっただろうな。
「来世でも会いましょう」なんて言ったりするドラマチックな別れではなく、
ただ苦しむことしかできないなんて。
こんな酷いことがあったなんて。
この苦しさは、今まで私が味わったものの中でもトップクラスに酷かった。