中宮雷火

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10/24/2024, 11:29:41 AM

【春の来ない冬】

朝日の眩しさで目が覚めた。
見慣れない部屋、見慣れない布団。
そうだ、私、家出してるんだった。
寝ぼけた頭のままでいられたらどんなに幸せだっただろうか、そんなことを思いながら一階へ降りた。
「あ、海愛ちゃんおはよ!ぐっすり眠れた?」
「はい、」
「朝ご飯もうすぐできるから、着替えておいで」
私は眠気の残る体を引きずって洗面所に向かった。

ああ、家出2日目か。
お母さんはまだ家に帰っていないだろうか。
本当ならば、この時間には朝食を作っているところなんだろうけど。
私は不思議でならなかった。
なぜ自分がこんなことをしているのか、
なぜ自分は家出をしようと思ったのか、
何の計画性も無い家出が、なぜ上手くいっているのか。
自分の身に起こっていることが不思議だった。
それも、全て自分が起こしたことなのに。

朝食を食べ終わった後、私はある人に電話をした。
流石に何とかしなければ。
もう誤魔化せないから。

「えー、本当にいいの?もう一日泊まっても良いんだよ?」
「これから大丈夫?ほら、東京って広いからさ、迷子になっちゃったり…」
槇原さん夫婦から心配されるも、私は強く言った。
「大丈夫です。
昨日から色々とありがとうございました。
本当に、本当に感謝しています。
でも、もうこれ以上迷惑はかけられないので。
…あの、何かお礼をさせてください。
こんなにお世話になったから、何かお礼をしないと気が済まないです」
これは本心だ。
これ以上お世話になってはいけない。
私は「ちょっと早めの夏休みなので旅行しにやってきた」のでは無い。
これは家出なのだ。
私は槇原さん夫婦に嘘を吐いている。
これ以上は、もう誤魔化せない。
「…そっか、寂しくなっちゃうね」
夏子さんは寂しそうに言った。
きっとこれも本心だ。
「またいつでもおいで、私たちはどこにも行かないからさ」
「また会える日を待ってるよ」
最初は敬語だった晋也さんも、今では柔和な口調になっている。
「…最後に、お願いを聞いてくれないかな?
わがままかもしれないけど。」
晋也さんは私をじっと見つめて言った。
「海愛ちゃんの歌声を、聴かせてほしいんだ」

…え?

一瞬、何が起こったのか分からなかった。
3秒経ってから、脳がやっと言葉を食べ始めた。
私の歌声を、聴かせてほしい…?
「いや、やっぱり大智の子供なんだなって。
喋り方も振る舞いも、どこか似ているんだよ。
なんだか…懐かしくなっちゃって。
あれからずっと、大智の歌声を聴いたことがなかったから。
聴きたくなっちゃって。」
夏子さんも「うんうん」と頷いている。
「え…そんなの、無理ですよ…
私、そこまで上手くないし…」
しかし、晋也さんの目を見て、そんなことは言えなくなってしまった。
砂漠で水を求めるような、欠けたピースが埋まらないことを悲しむ目。
ああ、私はオトウサンの代わりに晋也さんの心を埋められる人なんだ。
私はギターを手に取った。
「えっと、上手くないんですけど、弾いてみます…」
私は息を吸った。
自分の部屋で、何回も何十回もやってきたじゃないか。

ピックがギターの弦に当たるのを感じながら、喉が確かに声を出しているのを感じながら、
私はずっと考えていた。
晋也さんは、何年も耐えてきたのだろう。
親友を失った悲しみ。
親友の最期に立ち会えなかった悲しみ。
心に穴が空いて、風が吹いて「寒い」と独りで凍えることの辛さ。 
それらを消化することはできないから、ずっとモヤモヤしている。
学生時代が夏ならば、今は冬だ。
春の来ない冬。
オトウサンは先に逝ってしまって、「いかないで」って晋也さんが叫んでる。
オトウサンも冬に取り残されたままなのに。
私はずっと変なことを考えていた。
歌いながら考えて、「私はなんてヘンなことを考えているのだろう」と思うも、また考え始める。

気がつけば、歌い終わっていた。
思考に囚われすぎて、自分が歌っているという感覚を見失っていた。
次に拍手が聴こえてきた。
「すごい、すごいよ。海愛ちゃん、すごいよ!」
夏子さんは興奮しながら言った。
「こんなに素敵な歌、聴いたことない!」
一方、夏子さんの隣で晋也さんは
泣いていた。
「…やっぱり、大智にそっくりだよ。
大智が帰ってきたって、そう思ったよ…」
晋也さんは「こんな恥ずかしい姿、見せられない」と言わんばかりにゴシゴシと涙を拭いて、
「さ、行こっか。」
と鼻声で言った。

車に乗せてもらって20分。
「わあ、すご…」
東京駅が見えた。
テレビで見てたやつだ!
「東京駅、すごいよね」
晋也さんは、すっかり元の声に戻ったみたいだ。
近くのコンビニに停めてもらって、私は車を降りた。
「本当に、本当にありがとうございました!」
「また弾き語り聴かせてね」
「お互い元気で!」
「また手紙送ります!」
私たちは別れた。
槇原さん夫婦は車に乗って走り去っていった。
少しだけ寂しくて「行かないで」と思ってしまったけど。
私は私で、やるべきことを進めなくちゃいけないから。
いつかまた会えることを信じて。
私は歩き出した。

約束の場所は東京駅。
そこには、おばあちゃんが待っている。

10/23/2024, 2:06:25 PM

【次なんて】

2009/07/14
今日は海愛を連れて散歩をした。
この前買った麦わら帽子を被せて、背に乗せてひまわり畑を目指した。
トウモロコシ畑とか、駄菓子屋がすごく懐かしい。
ひまわり畑で遊ぶ娘は本当に可愛らしくて、思わず写真に収めたくなって、
次はここでギターを弾いてあげる、なんて言ったり。
青空がどこまでも続いていて、太陽はずっと眩しくて。
この風景をみながら、「次なんて、いつあるのだろう」と考えてしまった。
こんなによく見える青空は最後かもしれない。
こんなに太陽が眩しく感じられるのは最後かもしれない。
次なんて、本当に来るのだろうか。

10/22/2024, 1:27:46 PM

今まで半袖だったから、
長袖を着ると「覆われている感覚」が感じられて
これはこれで良いと思うのです。
なんだか冬が恋しくなるのです。

10/21/2024, 12:37:31 PM

【海のギター、風の歌声】

お風呂から上がった後、晋也さんとのオトウサン巡りの旅はまた始まった。
「大学はお互い別々の所に進学して、しばらく疎遠だったんだ。
年賀状のやりとりだけになっちゃって。
だけど、『大智くんが病気になった』ってお袋から聞いて、それからお見舞いに行くようになったんだ。
最初の頃はとても病気とは思えないほど元気で、外出許可が降りたらうちの楽器店に来てくれたりしたな。
あと、病院で弾き語りのライブをしてるっていうので有名で。
だけど、晩年は本当に弱っていたみたいで、面会を拒絶された時期もあった。
それでそのまま亡くなってしまった。
ショックだったよ、友達の最期に立ち会えないなんて。
まだ『ありがとう』も伝えてないのに。」
私は黙って話を聞いた。
これは、日記にも書かれてあった。

2010/09/01
今日、ぼくとの面会をやめてもらうようにお願いした。
僕はかなり弱ってきていて、もう人に見せられるような姿ではない。
たとえ友達でも親でも家族でも、こんな姿を見せたくないないと思った。
本当にひどいことをしたと思う。
僕はひどいやつだ、そう思われても構わない。
もういっそのこと、僕のことを忘れてほしい。
全部無かったことにしてほしい。

私は最初にこの日記を読んだ時、「オトウサンはなんでこれを選んだんだろう?」と不思議だった。
面会謝絶を選ぶ人なんているのだろうか、と。
しかし、きっとオトウサンは負けず嫌いなんだと思う。
他の人に弱いところを見せたくない。
それは一種のプロ根性かもしれない。
オトウサンは決して国民的なミュージシャンでは無いし、知っている人はごく少数だと思う。
だからこそ、舐められたくなくて、「自分はこんなところで止まらない」という想いを抱えていた。
だから、どんなに大切な人の前でも弱みを見せたくなかった。
オトウサンが選んだ苦渋の決断だった。

夜9時。
私は布団を借りて寝ることにした。
私は寝る前に色々と考える癖がある。
今日も例外ではなかった。
この一日でたくさんオトウサンのことを知ることができたこと。
しかし、所詮私には「知ること」しかできなくて、それが寂しいと思ってしまう。
それでも、オトウサンの生きた証が確かに残っていることが堪らなく嬉しい。

それと、あとはお母さんのことが心配だ。
今頃、何してるかな。
恐らく今日は当直の日だ。
翌朝、もしかすると昼まで帰ってこないかもしれない。
私が家出しているなんて、知る由もないのだろう。
連絡しておくべきだろうか、
いやそれは家出じゃないでしょ。 
そもそも私はお母さんの言葉にムカついて、
もう嫌になって、それで家を出たのに。
そんなことを考えているうちに瞼が重くなってきて、いつしか私は深い眠りに誘われてしまった。

私は夢の中にいる。
と、私は自覚している。
そしてここは、中山総合病院の中庭。
なんでこんなところにいるんだろう、と不思議に思い始めた時、どこからかギターの音色が聴こえてきた。
私は吸い寄せられるように歩くと、やがて人だかりが見えてきた。
子供から高齢者まで集まっていて、その中心には
「…オトウサン?」
流れるようにギターを弾くオトウサンは、本当に楽しそうだ。
聴く人もうっとりと笑顔を浮かべている。
なんだか、海みたいな音。
オトウサンはギターに合わせて歌い始めた。
歌はやがて風を起こした。
声が枯れてもどうでもいいと言わんばかりに
一生懸命歌っていた。

忘れたくない、忘れちゃいけない。
そう思っていたはずなのに。
朝、目が覚めると記憶は朧気になっていた。

10/20/2024, 10:58:59 AM

【憧れ焦がれて】

「あの人に憧れて始めたんだ」
赤井さんはそう言うと、酒をグイッと飲み干した。
「憧れ、ですか?」
「俺たちが小学生の時、グラスホッパーっていうバンドが流行ってただろ?
僕はグラスホッパーが大好きだったんだよ。」
満面の笑みを浮かべながら赤井さんは言った。

僕と赤井さんは共にボカロPだ。
僕は7年前から、赤井さんは8年前からだから、赤井さんが先輩。
バンドをやっていた時期も含めると、音楽歴は10年以上にも及ぶ。
そんな大先輩に「一緒に飲まない?」と誘われ、こうして居酒屋で顔を合わせているのだ。

「グラスホッパーかあ、懐かしいなあ。」
「音楽番組には必ず出てただろ?
学校でも話のネタになってたし。
グラスホッパーが新曲出したなら、一番にCDショップに行ってたよ。
まあ、最近はサブスクでも聴けるのか。」
「グラスホッパー、何で好きだったんですか?」
「うーん、あくまで一部なんだけど、誠実なんだよね。人間性も、音楽も。
俺、いちばん印象に残ってるのが、
『今までは正直者が馬鹿を見る世界だった。
でも、これからは正直者がスターになる。』
って歌詞だよ。
あの言葉に痺れちゃってさ。
俺もこの人達みたいになろうって決めたんだよね。」
僕は他のミュージシャンの方とお話させていただく機会がよくあるが、音楽を始めた理由を訊くと「憧れて始めた」とよく返ってくる。
赤井さんも、誰かに憧れた時代があったんだなあ。

「まあ、グラスホッパーは解散しちゃったけどね。」
赤井さんはテンションを少し落として言った。
「あ…。確か、方向性の違いでしたっけ…?」
「方向性の違いだけど、噂によれば結構壮絶らしいよ。」
「え?」
「これは教えられないんだけどね。ごめん」
赤井さんは2杯目の酒を飲み始めた。
「でも、いちファンとして言うと、大きな賞を貰い始めて国民的バンドになってから、変わってしまったと思う。
売れることを意識した歌になったり、
いかに金を稼げるか考えるようになったというか。
そうしたら、いくら良い歌詞でも発言でも、
ただの綺麗事というか、適当な事言ってるように感じちゃうんだよね。
だから、解散するって聞いて驚かなかった。
そう遠くないうちに解散するだろうなって。
最後のほうはグラスホッパーにあまり興味無かった。
素直に新曲聴けなかった。
生配信の解散ライブも、実は全然見てない。」
いつも皆を喜ばせている赤井さんの、こんなに悲しそうな目を僕は初めて見た。
「ごめん、こんな暗い話で。
あと、自分から話しておいて難だけど、さっきの話は秘密にしておいてほしい。
あんなの知られちゃまずいからね。」
僕は素直に頷くことしかできなかった。
何の言葉も出てこなかった。

「じゃ、またいつか一緒に飲も!
あと、一緒に曲作ろ!」
赤井さんは大きく手を振って、夜の繁華街に消えていった。
僕はその背中を見送りながら思った。
そういえば、僕にも憧れの人がいたな。

※この物語はフィクションです

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