海へ
私が住んでいる街は、車で小一時間飛ばせば、海へ行ける何かと便利な地方都市。マリンなスポーツなんて縁がないくせに、海にはよく行く。
と言っても、海沿いをドライブするだけ。
毎日が色褪せて、味気なくて、自分以外の人達が色鮮やかに見えてしまう時。
“妬み僻み嫉み”持ってはならない負の感情に心がコントロールされてしまいそうになった時。
キラキラする海面を見るだけでも気持ちは上向くもので、随分と助けられてきた。
車を降りて、海風に当たってると心が和らぐ。
「また頑張ろう」
と思える大事な場所。
なのに、この狂暑の日々。
車から降りようなんて、1ミリも思いませんでしたよ。
珍しくいい日陰を見つけたから車から降りてゆっくり海を眺めても、いざ帰ろうと車に戻り、エアコンつければ吹き出す熱風。
バ◯なの?
思わず、誰に向かってでもない、ただの暴言を吐く。
私から貴重な海ライフを奪った、この夏。許すまじ。
結局グチね。
今夜は涼しいよend
裏返し
まだ暑い日々だけど、ようやっと季節が変わりそう。
「あと少し、あと少しであんた達とお別れだよ」目の前の未だ現役を退かない入道雲を睨みながら、そんなことを思ってる。
彼等とお別れすることは、一昔前だと寂しい印象だったように思う。“夏の終わり”を憂う素敵な曲がたくさんあって
胸がキュンとしたものです。
正直、今はほとんどの人が喜びや安堵を歌うと思う。
反対に悲しむのは、マリンなスポーツなんぞ楽しむ日焼けした陽キャな“メン アンド ウーマン”くらいだと。(偏見が過ぎる)
「外出を控えましょう」なんて言われる昨今、天気がいいからどこか出掛けよう”なんて思わないです。
そもそも夏に強い人間て、どこでも生きていけると思う。私が弱過ぎるのか?
って、こんなに夏を愚痴る女って珍しいと自分でも思う。
いや、マリンなスポーツを楽しむ人達が内心羨ましいとかじゃないですよ、違いますよ。
海辺のバーベキューテラスで「サイコー」とか言いながらお肉を頬張りたいとか、新しい水着で海から夕日見て「写真撮ろうよー」とか言ってみたいとか思ってないですからね。
end
鳥のように
どこまでも行けるなら、いっそのこと過去まで戻って欲しい。
私として、ではなく鳥のまま、鳥目線で過去の時代を見てみたいのだ。
例えば、平安時代の貴族が豪華絢爛な着物を着て、寝殿造のお屋敷を歩いているところ、江戸時代の庶民の活気の良い暮らしや遊郭の花魁道中、明治大正の着物と洋服が入り混じる男女の服装だとか、、。
ため息が出る。
あぁ、戦国時代はちょっと遠慮したい。飛んできた矢が当たりそうだから、なるべく高く飛ばねば。
そして、今の時代に戻ってきた時に何を感じるのかを知りたい。
安堵感か、落胆か、喜びか絶望か。
ご興味ある方、一緒に鳥飛行しませんか?
end
さよならを言う前に
誰かとの約束は足枷、なんて思うようになったのはいつからだろう。
多分、いっぱい嘘をつかれたから。
私も、嘘をいっぱいついたから。
「絶対ね」と言われると、胸がギュッとなる。
“いい嘘”“誰かを傷つけないための嘘”そんな「優しい嘘」と呼ばれる嘘の檻に知らないうちに閉じ込められてたら。
その後、何かの折に、暴かれる真実は簡単に人を壊してしまうだろう。人は脆い。
それでも嘘をつく。
愛のため
守るべき誰かのため
名誉のため
利益のため
嘘なんてない世の中になればいいのに。
そうしたら、、
立ちはだかるルックス問題。
若く見えますね
センスいい
いつもお綺麗ですよね
カッコいいからモテるでしょ
なんて会話も絶滅する。
そして、その正反対の会話が飛び交う世の中に。
「優しい嘘」は偉大なり。
人生の最後が来た時、さよならを言う前に口にする言葉は、嘘のない「優しい言葉」でありたいと願う。
end
空模様
しのぶれど 色に出でにけり わが恋は
ものや思ふと 人の問ふまで
六歌仙の一人の短歌。
今も昔も、恋をした人は顔に出てしまうようで。
恋焦がれる想いをひたすら隠していたのに、
「何をにやにやしてんだ?彼女でも出来たかこのやろー」
と指摘され「もはや隠せぬほどになってしまったのか」と驚いた時の心情を謳ったもの。(だと思う)
推し彼にハマった時の私はまさにそれでしたよ、わかりますよー、「よっ六歌仙!」と一声掛けたいくらいです。
空模様。素敵なお題だから私が一句詠みたかったところですが、頭が追いつかず(腕はかなり追いつかず)、諦めた次第でございます。
本日8月19日は「俳句の日」。
よって、このような投稿になりましたとさ。って、ごめんなさい、短歌です。
「バイクの日」として書くなら“東京リベンジャーズ”「ハイキューの日」なら、それこそ“ハイキュー熱”をアツく語れるのですが、あまりにもアニメ熱がウザがられる気がして自制しました。
成長しましたね、私。
end