降り止まない雨
突然ですが、子宮の問題を抱えている私。
命に関わらないとは言え、それなりの症状が出るゆえ、それなりに“しんどい”。もっと“しんどい”のは、人に理解してもらえないこと。男性は特に。
女性特有の日(めんどうだから生理とはっきり言いますね)は、その日から数日が“しんどい”のではない。私に関しては、その10日前から、ずぅっっと“しんどい”のだ。
身体が重く、頭痛に吐き気、昨日までのやる気も失せ、塞ぎ込む日もあればひたすらイライラが募る日もある。私じゃない私がいるのを身をもって知ることになります。
とあるサイトの女子の投稿文。
「女の身体に産まれただけで一ヶ月のうちおよそ半分は正常でいられない、それに関わる日用品代、ひどい人は通院もするでしょう。当然費用もかかる。男性は軽く考えている人が多い気がする。もっと生理に関して補助が出たり、休日が増えてもいいと思う」
これにうなずくばかり。ありがたいことに私の若い頃は生理痛はほとんどなく、腰あたりに鈍痛があるくらいで済んだ。
それが、そのはずだったのに。
歳をとるに従って重くなっていった。異変を感じて病院に行ったら、問題ありと。
今年の3月なんて、それをきっかけに起き上がれなくなってしまった。さすがに初めての経験。ほんとーーーに起きてられないのだ。何のために生きてるんだと自分に問うのも諦める日々。しんどかったな。
いつの日か、これらから解放される日が来たなら、降り続く雨が止んだなら。傘を投げ捨てて颯爽とおばちゃんステップを踏み、第二の人生といきましょうか。
我が子宮よ、その日まで出来るだけ穏便にしていただけるとありがたいよ。
end
あの頃の私へ
もっと多くの人といーーーっぱい恋愛しなさい!
結婚適齢期なんかに縛られないで納得いくまで独身でいなさい
なんなら一生独身でもよき
いいと思った人には振られてもいいから自分から告白しなさい
案外うまくいくかも
もっと積極的に動いて人と関わりなさい
自分と合わないと思った人に興味を持ちなさい
見た目で判断してはいけないよ
自分の見た目は磨け!
自惚れは恥ずかしいぞ!
見下す前に見下されてることに気づけ!
相当嫌われてることに気づけ‼️
家族がいつでも味方なんて戯言
他人を信用するんじゃない
結婚はしてはいけないというよりも向いてないぞ
常識的な幸せは不幸だと気づけ
興味のないことに少しでいいから足を踏み入れてみろ
離れるのはそれからでいい
何やっても後悔ばかりだから
バカやった方がいい
女らしさも学ぶといいぞ!
(来世人間なら大忙しだな)
end
逃れられない
本日、体調が悪いです。
にも関わらず書いています。
こんなことせず休めばいいのに、毎日投稿するという自分ルールに縛られて書いています。
ジム通いとかストレッチとか掃除とかルールなら他にもあるのに、それらは平気でサボる私。
否、それこそが本来の私なのです。毎日続いている方がレアなのです。
にしてもこの謎の倦怠感。少し前なら太陽フレアのせいに出来たのに。
更年期の症状とピッタリなのは気のせいだと思いたい。
思いたいが、“間違いないよ”ともう一人の私が囁いてくる。
更年期
寝れば明日は
二十歳かな
おやすみなさい。
end
また明日
家族は私が作った食事を無言で食べる。美味いとも不味いとも言わずに。
それがずっと不満だったが、何10年もこの状態だと、これが日常になる。しかも、食事の時間すらバラバラなのだからそれはもう文字通り、味気ない食卓なのだ。
上手に作ろうが、そうでなかろうがこの人たちには関係ないことのように思う。必死になって予算内で賄える献立を考え、重い買い物袋を下げて、材料切って煮て炒めて、そんな私がバカみたいだ。
ただでさえ得意でない料理がますます億劫になっていく。
とは言え、どんなに不味くとも無言で食べてくれるのだから、こちらとしては内心失敗したと思っても、知らぬ存ぜぬで食卓に出せる。
見方を変えればいいことではないか、こんな冷めた思いを持つようになったのはいつからか。
これでも若い頃は悔しさと怒りでこんな考えに至らなかった。歳をとって余裕が出てきたのかもしれない。
違う、諦めたのだ。
ドラマでよく見る家族風景。ダイニングテーブルいっぱいに並べられた食事、家族揃って向かい合い、好きなおかずを頬張りながら今日あった出来事を各々が話す賑やかな食卓。これに憧れていた。
残念ながら我が家にはない。だから諦めた。
悲しいようだが、この方がいらぬ精神を削られなくていい。
家族はまた明日も無言で食するだろう。その次の日も、そのまた次の日も。
そして私も作るのだろう。その次も、そのまた次の日も。
しかし、子供が大きくなった今、いつまで家族分の食事を作れるだろうと思うと寂しさが募るのも事実。
いつかは訪れるであろう孤食の日々。それを思えば、ありがたいことなのかもしれない。
さあ、明日は何を並べようか。
我が家の無言の食卓へ。
end
透明
この頃、小1時間ほど飛ばして海辺でぼーっとするのがお気に入りです。
海面が透きとおって美しいうえに、日陰は暑すぎず、心地よい風が吹いて、それはもう最高のロケーションなのです。
当然、“ぼっちの野良おばさん”ですけど。
いつも室内に篭りがちな私が昼間の太陽を燦々と浴びている、お天道様の下を歩いている、気分はもうドラマの主人公です。
はれて収容所から出られた前科、、違う違う、ワンピースをひらひらとなびかせて可憐に振る舞うラブストーリーの主人公のよう。(こーゆー発想が昭和)
ここで昨日のお題の“理想のあなた様”が現れた日にはもう、、。
なんてねー、濁りきった性格の持ち主にそんなマンガみたいなことは起こらないって分かってるんです。
いつの時代も、理想の人に出会うのは心のきれいな頑張り屋さんだけなんです。
やさぐれ野良はきれいな海を見ても、何も変わらない。これに気づいてますますやさぐれてしまう私でした。
海まで出かけた意味があったんでしょうか?
野良に真珠end