また明日
家族は私が作った食事を無言で食べる。美味いとも不味いとも言わずに。
それがずっと不満だったが、何10年もこの状態だと、これが日常になる。しかも、食事の時間すらバラバラなのだからそれはもう文字通り、味気ない食卓なのだ。
上手に作ろうが、そうでなかろうがこの人たちには関係ないことのように思う。必死になって予算内で賄える献立を考え、重い買い物袋を下げて、材料切って煮て炒めて、そんな私がバカみたいだ。
ただでさえ得意でない料理がますます億劫になっていく。
とは言え、どんなに不味くとも無言で食べてくれるのだから、こちらとしては内心失敗したと思っても、知らぬ存ぜぬで食卓に出せる。
見方を変えればいいことではないか、こんな冷めた思いを持つようになったのはいつからか。
これでも若い頃は悔しさと怒りでこんな考えに至らなかった。歳をとって余裕が出てきたのかもしれない。
違う、諦めたのだ。
ドラマでよく見る家族風景。ダイニングテーブルいっぱいに並べられた食事、家族揃って向かい合い、好きなおかずを頬張りながら今日あった出来事を各々が話す賑やかな食卓。これに憧れていた。
残念ながら我が家にはない。だから諦めた。
悲しいようだが、この方がいらぬ精神を削られなくていい。
家族はまた明日も無言で食するだろう。その次の日も、そのまた次の日も。
そして私も作るのだろう。その次も、そのまた次の日も。
しかし、子供が大きくなった今、いつまで家族分の食事を作れるだろうと思うと寂しさが募るのも事実。
いつかは訪れるであろう孤食の日々。それを思えば、ありがたいことなのかもしれない。
さあ、明日は何を並べようか。
我が家の無言の食卓へ。
end
5/22/2024, 12:59:40 PM