また明日
家族は私が作った食事を無言で食べる。美味いとも不味いとも言わずに。
それがずっと不満だったが、何10年もこの状態だと、これが日常になる。しかも、食事の時間すらバラバラなのだからそれはもう文字通り、味気ない食卓なのだ。
上手に作ろうが、そうでなかろうがこの人たちには関係ないことのように思う。必死になって予算内で賄える献立を考え、重い買い物袋を下げて、材料切って煮て炒めて、そんな私がバカみたいだ。
ただでさえ得意でない料理がますます億劫になっていく。
とは言え、どんなに不味くとも無言で食べてくれるのだから、こちらとしては内心失敗したと思っても、知らぬ存ぜぬで食卓に出せる。
見方を変えればいいことではないか、こんな冷めた思いを持つようになったのはいつからか。
これでも若い頃は悔しさと怒りでこんな考えに至らなかった。歳をとって余裕が出てきたのかもしれない。
違う、諦めたのだ。
ドラマでよく見る家族風景。ダイニングテーブルいっぱいに並べられた食事、家族揃って向かい合い、好きなおかずを頬張りながら今日あった出来事を各々が話す賑やかな食卓。これに憧れていた。
残念ながら我が家にはない。だから諦めた。
悲しいようだが、この方がいらぬ精神を削られなくていい。
家族はまた明日も無言で食するだろう。その次の日も、そのまた次の日も。
そして私も作るのだろう。その次も、そのまた次の日も。
しかし、子供が大きくなった今、いつまで家族分の食事を作れるだろうと思うと寂しさが募るのも事実。
いつかは訪れるであろう孤食の日々。それを思えば、ありがたいことなのかもしれない。
さあ、明日は何を並べようか。
我が家の無言の食卓へ。
end
透明
この頃、小1時間ほど飛ばして海辺でぼーっとするのがお気に入りです。
海面が透きとおって美しいうえに、日陰は暑すぎず、心地よい風が吹いて、それはもう最高のロケーションなのです。
当然、“ぼっちの野良おばさん”ですけど。
いつも室内に篭りがちな私が昼間の太陽を燦々と浴びている、お天道様の下を歩いている、気分はもうドラマの主人公です。
はれて収容所から出られた前科、、違う違う、ワンピースをひらひらとなびかせて可憐に振る舞うラブストーリーの主人公のよう。(こーゆー発想が昭和)
ここで昨日のお題の“理想のあなた様”が現れた日にはもう、、。
なんてねー、濁りきった性格の持ち主にそんなマンガみたいなことは起こらないって分かってるんです。
いつの時代も、理想の人に出会うのは心のきれいな頑張り屋さんだけなんです。
やさぐれ野良はきれいな海を見ても、何も変わらない。これに気づいてますますやさぐれてしまう私でした。
海まで出かけた意味があったんでしょうか?
野良に真珠end
理想のあなた
この場合の“あなた”とは?
私のこと?それとも“私の理想とする人”のこと?
どちらでしょう。
今回は後者でいきましょ。
まずは私だけを愛してくれるのは当然、加えて喧嘩が強い、それから長身、バカだけど性格がまっすぐで優しくて私の守護神みたいな人。あ、当然私好みのお顔です。
はい、これは推し彼ですね。
そこに、実は大企業の御曹司、もしくは社長でいることを隠してて、私を陰ながら応援してくれて、ここぞという時に正体を知らされて、感動のフィナーレなんてことになったら最高です。
なんかもうアレですね、「一生マンガ喫茶こもってろ」って言われてもしょうがないですね。実は行ったことがないので行ってみたい領域ではあります。
いい歳でこもり気味の私。“もっと行動の幅を拡げねば”とは思ってます。うん、思いきって行ってみようかな。
まさにマンガ喫茶で“領域展開”です。
はい、失礼します。
“虎杖すくな”が好みend
突然の別れ
さいごまで
よんでくれない
うそつきの君
なくのは飽きた
らいん消す
end
恋物語
薫風や
頬打ち胸踊る
汽車の窓
end