「カラフル」
沢山の刺繍糸や、ビーズや、リボン。お姉ちゃんの手にかかると全部全部魔法の道具になる。
「お姉ちゃん、新しいスカート作って」
「お、今度はどんなのにしようか」
7つ上のお姉ちゃんは、今は服飾の専門学校に通っている。でも、もっと昔から、わたしの服を沢山作ってくれた。私のお気にいりの服は殆どがおねえちゃんの作ってくれた服。
お姉ちゃんが広げた布を見ながら、ああでもないこうでもないと相談する時間も楽しい。
「裾にレースつける?」
「んー、可愛いのよりキラキラしたのがいい!」
「えー、それじゃぁ、ビーズ縫いつけようか。これとか」
「あー、いいかも!」
可愛いストライプの生地に、ドロップ型の大ぶりのビーズやチロリアンテープを合わせて、お姉ちゃんはそれをもとにサラサラとデザイン画を描いていく。
「あー、やっぱ歌穂ちゃんの服作るときが一番楽しいなぁ」
お姉ちゃんは楽しそうに鉛筆を動かして、いくつかデザイン画を描いてくれる。
「シャツも作っていい?」
「いいの? 忙しくない?」
お母さんに、お姉ちゃんは忙しいからあんまり今までみたいに頼んじゃだめって言われてたんだけど。
お姉ちゃんは、しょんぼりと眉を下げる。
「忙しいけど息抜きしたい……。楽しいもの作らないとやってられない……」
「お姉ちゃんが大丈夫ならわたしは嬉しいよ」
「じゃあ作る! めっちゃ作る!」
めっちゃ作る、のは駄目じゃないかなぁ。そう思ったけど、お姉ちゃんが楽しそうだったから何も言わなかった。
「えへへ、お姉ちゃんの新しい服嬉しい」
「んん〜〜、歌穂ちゃん可愛いなぁ〜〜! やっぱあたしのミューズは歌穂ちゃんだな!」
お姉ちゃんはそう言って、私をぎゅうぎゅう抱きしめた。
「お姉ちゃんは、わたしの魔法使いだよ」
2023.05.01
『楽園』
その地は楽園と呼ばれていた。
「うああああ〜涼しい〜〜〜〜」
「今どき教室にクーラーないのマジ拷問だって」
「うるさいよ〜。涼むのはいいけど、静かにしなさい」
司書教諭に注意され、生徒たちは首を竦めて顔を見合わせた。
校内で、学生が使用できる施設で唯一クーラーの設置された場所、それが図書室。夏場のうだるような暑さは生徒たちの体力をガリガリと削っていき、限界が来た生徒たちが入れ代わり立ち代わり図書館でつかの間の休息を得ていくのだ。
生徒たちは、図書館を楽園と呼んだ。
楽園の管理者たる司書教諭は、真っ当な利用者の邪魔をしない限りは涼みに来る生徒たちを黙認してくれている。
なにせ、友達と喋ることもできず手持ち無沙汰の生徒たちは、本棚を眺めるともなしに眺めて気になった本を借りていくようになった。司書教諭としては、嬉しい効果である。
だが、昨今の夏の気温上昇は命の危険さえ感じる程だ。熱中症で倒れる生徒でも出てしまったら問題で、クーラーの各教室への設置は可及的速やかに解決されるべき課題である。まだ生徒たちには知らせていないが、設置の方向で学校も動いている。
そうなれば、この図書館の賑わいもおさまるだろう。つかの間の楽園である。
図書室に来なくなる生徒は多いだろうが、この冷房をきっかけに本に触れたものも居る。
司書教諭は、要望数の増えた本の購入リクエストに目を通しながら微笑む。
この図書室は涼を求めるための楽園でなくなるかもしれないが、本を求める者にとっては変わらず楽園であり続けるのだ。
2023.04.30
『風に乗って』
坂道を駆け下りる。両手に握ったバーに上への力を感じ、大地を蹴った。足元から地面が消え、空へと飛び上がる。
眼下に広がるのは陽光に輝く新緑と、咲き誇る野の花々。
耳元で風が唸る。大気が圧となって体を撫でる。
頭上のグライダーが風を受け、力強く体を支える。
ほんの束の間、風に乗り重力の軛から逃れ、自由を謳歌する。最高の瞬間だった。
ハング・グライダーは飛翔ではなく滑空である。自由はつかの間で、着地用のベースに降り立つことになる。
それを残念に思うと同時に、幾ばくかの安堵も感じる。やはり、翼持たぬ身では空にあることは爽快感と同時に緊張をもたらすのか。
だが、降り立った後はいつも、すぐに次のテイクオフに心が浮き立つのだ。
「ね、だから一緒にやってみようよ。二人で飛ぶこともできるからさぁ」
「高所恐怖症が今の話で『わぁ素敵!』ってなるはずねぇだろ一人でいけ。俺は地面から足を離さない」
2023.04.29
『刹那』
視界の外から迫ってきた軽自動車。
あ、と思った次の瞬間、空を飛んでいた。
「いやー、生きててよかったな!」
ケラケラと笑う友人は、自分で持ってきた土産の果物をもりもり食べている。
空を飛んだ俺は運良く歩道に落ち、全治ニヶ月の骨折と打撲と擦過傷で入院するだけで済んだ。
「相手の運転手、心臓発作だったんだって?」
「向こうのほうが重症なんだよ……。手術してまだ意識戻らないって言うし」
「ふーん……。お前は被害者だからな。あんまり気にすることないぞ」
葡萄をひと粒口に放り込んだ友人は、思ったより真面目な顔をしていた。
「お前も人がいいからな。自分は生きてたから、とか思ってるかもしれんが、ちゃんと貰うもんは貰えよ」
「わかってるよ。俺もそこまでお人好しじゃない。交渉は保険会社の方に任せてるから大丈夫だよ」
「ならいいけどな。なんかあったら言えよ」
「おう」
心配性な友人は、いつも我が事のように俺のことも心配してくれる。いいやつだが、お前持ってきた果物自分で食い尽くす気か。俺一口も食ってないんだが。
「お前、それ俺への見舞いじゃねぇのかよ」
「ん、なんか思ったより元気そうで安心したら腹減っちまってな」
「俺にもよこせ」
口を開けると、一口大に切ったメロンが放り込まれる。うまい。
飲み込んで口を開け、また果物を放り込まれる流れを繰り返す。
「ほういえばはぁ」
「飲み込んでから喋れよ。何言ってんのかわかんねぇ」
「空飛んだ時にさ、走馬灯っぽいものを見たわけよ。今までの人生がばーっと。今思うと、それがほとんどお前と一緒でさぁ。笑っちまうよな。どんだけ一緒にいるんだっての」
「……これからもぜってぇ離れねぇけどな」
「え、なんか言った?」
「いや? ほら、こっちも食えよ美味いぞ」
口にパイナップルを突っ込まれて大人しく咀嚼する。
「めちゃくちゃうまい」
「だろ。次もうまいもん持ってきてやるよ」
「やった〜。助かる〜」
食事制限がなくてよかった。友人の選ぶ食い物に外れはない。入院中の楽しみになりそうだ。
まさか、こいつがこれから毎日おやつを持って見舞いに来て、退院の日にはレンタカーで迎えに来て、いつの間にか一緒に暮らすことになるとはこの時の俺は想像もしていなかったのだった。
2023.04.28
『生きる意味』
ここまでか、と男は眼前の巨大な熊型のモンスターを睨みつけながらも覚悟する。
縦も横も男の倍はあるモンスターは、本来ならばチームを組んで討伐する類のもの。だがこの場には男の姿しかない。
受けた依頼は顔なじみの商人の護衛だが、このモンスターは本来こんな場所に出没するようなものではない。手負いらしい様子からして、誰かが討伐に失敗して逃したか。
商人を逃すため男はひとり残った。男一人の力ではモンスターを倒せる見込みは低かったが、二人逃げてもすぐに追いつかれる。商人が逃げる時間を稼ぐには、それしか無かった。
「ついてねぇな、全く。熊公とデートとはよ」
軽口を叩いて自分を鼓舞してみても、手負いで気が立っているモンスターの殺気に、構えた剣の切っ先を下げないようにするのが精一杯だ。
しかし、やるしかない。おそらく自分は死ぬだろうと男は理解していたが、それが遅くなればなるほど商人の生存率が上がることもわかっていた。だから、男は裂帛の気合とともにモンスターに斬りかかる。
熊型で怖いのはその爪だ。モンスターが振り回す豪腕とその先の巨大な爪に僅かでもかかれば、人間の装備も皮膚もたやすく引きちぎられ肉片に変わる。
間近を通り過ぎる死の旋風を辛うじて避けながら、男はそれでも少しずつモンスターに手傷を負わせる。
苛ついたモンスターが大振りに腕を薙いだ瞬間を逃さず、男の剣がモンスターの喉を貫く。しかし、その程度ではモンスターは死なない。痛みに怒りめちゃくちゃに暴れるモンスターに吹き飛ばされ、男は近くの木の幹に叩きつけられた。
衝撃に息が詰まり、モンスターの体から飛び散った血飛沫が目に入って視界が赤く染まる。
身動きの取れない男に、怒り狂うモンスターが肉薄する。
振り下ろされる爪をまるでスローモーションのように感じながら、男は嗤う。
時間は稼いだ。あいつを生かして死ねるなら、この命にも意味があったに違いない。
その瞬間を待つ男の目の前で、モンスターの頭が弾け飛んだ。
「はっ!?」
「このばかー!! ちゃんと生きてるんでしょうね!?」
「ちょっと隊列より前に出ないでください危ないから! 射線に入ったら当たりますからね!?」
聞こえた騒がしい声は、商人のもの。見れば、対大型魔獣用魔導銃を構える狩人たちと、彼らに怒られている商人の姿。
逃した商人が、助けを呼んだのだ。
狩人たちはモンスターにもう数発弾を撃ち込んで完全に動かなくなったことを確認してから、男の救助に向かう。
「大丈夫ですか、怪我は?」
「ふっ飛ばされて多分肋骨と片足折れてんな。あとはほとんどかすり傷だ。すげえな、新型か?」
「はい、配備されたばかりで。いやー、初めて的に当たりました」
不穏な一言は聞かなかったことにして、男は大きく息を吐いた。途端、胸に走る痛みに顔をしかめる。吸っても痛いし吐いても痛い。
「ばか! このバカ!」
「おう、無事か。ありがとな、助けを呼んでくれて」
商人は、めいっぱい眦を吊り上げた怒りの表情のまま、ぼろぼろと涙をこぼす。
「ばか! あた、あたしを死ぬ理由にするなんて許さないんだからね」
彼女の精一杯の力で、男の肩を叩く。正直、今の男であっても、大した衝撃ではない。けれど、それは男の胸に響いた。
「ばか、いてえよ」
「痛くしてんのよ。生きてる痛みでしょ」
だんだんしゃくり上げるようにして大泣きし始めた商人は、動けない男の肩に顔を伏せる。
「ばか。あたしのために死ぬんじゃないわよ。あたしのために生きなさいよ」
泣きながらそんなことを言う彼女に、男は苦笑する。
「そうだな、ごめんな」
「ぜったいゆるさないんだから」
狩人たちの生温い視線が突き刺さっているのを感じながら、男は胸の痛みを耐えて彼女の頭を撫でる。その表情は、たった今死にかけて肋骨も足も折れているとは思えない程緩みに緩んでいた。
「やっぱあれ、置いてっちゃだめですかね?」
「気持ちはわかるがだめだろ。一応怪我人だし」
2023.04.27