『雫』
「あっ」
聞こえた声に隣の友人の顔を見上げると、額に雨粒が1つ落ちてきた。
「え、うそ、雨?」
一歩踏み出していた駅の構内に舞い戻り、屋根の下でにわかに雨脚を強める空を見上げる。
「天気予報で雨なんて言ってなかったじゃん。ついてないな〜」
今日は、間の悪いことにいつも入れている折り畳み傘もバッグの中にない。前回使って入れ忘れたか。
痛い出費だが、コンビニでビニール傘を買うしかないか。雨は土砂降りに近い勢いで、この中を傘なしで帰るのは結構な難題に思えた。
困っている私をよそに自分のバックパックを漁っていた友人は、折り畳み傘を取り出して私に向かって放り投げた。
「ほれ」
「え、なに」
「使えよ。俺んち近いから、走って帰るし」
「はぁ!? あ、ちょっと待て!」
言い置いて走り出そうとした友人の上着を掴んで引き止める。何度も言うが土砂降りである。いくら友人が馬鹿でも、こんな雨に濡れて帰れば風邪を引きかねない。
「なんだよ、お前傘ないんだろ?」
「だからってあんたの傘横取りするみたいな真似出来ないでしょ。あんたもいくら家近いって言ってもこの雨の強さじゃ無茶だよ」
私のように傘を持っていない人々は、傘を買いにコンビニへ行くかタクシー乗り場に長い列を作り始めている。
「そう言っても傘は一本しかねぇからなぁ」
「……じゃあ、家まで送ってよ。そしたら、私も傘に入れるしあんたも濡れないでしょ」
私の家は、駅を中心にして友人の家の反対側にある。最寄りは一緒だが生活圏の被らない立地だ。
友人にはだいぶ遠回りになってしまうが、この雨の中走るよりはマシではなかろうか。うちもそんなに遠くないし。
私の提案に、友人は砂糖と思って食べたら塩だったような妙な顔をしている。
「……お前のことだから絶対言葉通りの意味なんだよなぁ」
「何だって?」
「なんでもねぇよ。送ってやるから行くぞ」
「やった。まぁ、お礼にコーヒーくらいなら出してやってもいい」
「お前はさー、すぐそういうことをさー」
「えー?」
濡れないように、折り畳み傘の狭い空間で身を寄せ合う。
口の中で何事かモゴモゴと悪態をついている友人に、ひっそりと笑う。傘に当たる雨粒の音が大きすぎて、きっと気付かれはしない。
ばかめ、気がなければこんな事言うわけないじゃないか。
折り畳み傘すら借りずに、「私タクシーで帰るから」で終わりだ。
見上げた顔の向こう、傘から滴る雫で濡れる彼の肩を見ながら、そろそろ「友人」じゃなくなってもいいかな、と考えるのだった。
2023.04.21
『何もいらない』
「欲望は果てしないよねぇ」
人をダメにするソファに寝そべりながらポテチを食べつつビールを飲むという、堕落という言葉を体現したような姿の彼女はそう言った。説得力がすごい。
「なんなの、次は何が欲しいの」
「んー、別に欲しいわけじゃなくてさー。いや欲しいんだけどね?」
ソファからよっこらせとばかりに起き上がった彼女は、私を手招きする。なんだ、そのソファに二人は流石に難しいぞ。
「ここ、座って」
自分の足の間を叩く彼女に、首をひねりながらも従って、私は彼女の両足の間に座る。
最初彼女の方を向いていたら向きを修正され、彼女に背を向ける形に。
「よいしょー」
「わっ!」
彼女に引き寄せられて、後ろから抱きしめられる。私は、彼女の立てた膝に両腕が引っかかってずり下がるのをしのいでいるような体勢である。
「最初はさあ。見てるだけでいいと思ったんだよね。でも、君が告白してくれて、恋人になれて」
なにそれ初耳。ダメ元で告っといてよかった。
「君と恋人ってだけで毎日幸せだったのに、離れてる時間が惜しくて一緒に住むようになって」
「待って、君、家賃もったいないから一緒に住もうって言ったよね?」
「毎日君の一番近くに居られて、もうこれ以上なんにもいらない、って思ってたんだけどさぁ」
お、無視か? 後で詳しいところ聞くからな??
詳細の尋問を決意していると、彼女は私の左手を取った。
「あたし、君のこれからの人生全部欲しくなっちゃったの」
その言葉と、左の薬指に感じる硬質な感触に息を飲む。
「あたしと、結婚してください」
身動き取れないくらいにぎゅうぎゅう私を抱きしめてくる彼女に、無理やり振り向けばその顔は真っ赤で、今にも泣きそうな不安顔。
思わず笑った私を、彼女が恨めしげに睨む。
「そんなの、喜んで、以外あると思う?」
抱きしめてキスすると、堰を切ったようにわんわんと泣き始める。
彼女が泣き止んだら、私が買った指輪も嵌めてもらおう。
2023.04.20
『もしも未来を見れるなら』
「そんなもん、万馬券よ万馬券」
とても姉らしい答えに、僕は肩を落とした。
「俗の極み」
「うっさいわね。金があれば大抵の夢は叶うのよ。そういうあんたはどうなのよ」
水を向けられて、言葉に詰まる。
「…………将来当たる会社の株を買っておくとか」
「ほーーーーら! あんただってあたしと変わんないじゃない。世の中金よ金」
「くっ、確実に悪役のセリフなのに否定できない」
けらけらと笑う姉は、僕が持っているポテトチップスの袋からチップスを鷲掴みにしてもっていく。え、それ一口で行くの? あ、敷いたティッシュに避けた。さすがに姉さんでもその量を一口で食べはしないか。
思わず見送ってしまったけれど、僕のお小遣いで買ったポテトチップスは三分の一くらい減っている。
お返しにと姉さんが食べていたクッキーに手を伸ばすと、はたき落とされた。
「姉さん僕の食べてるんだから僕だって食べて良くない!?」
「単価が違うのよ単価が。こっちのチョコなら許す」
差し出されたのは大袋のキャンディタイプのお得用チョコレートだった。
確かにクッキーは缶入りの高そうなのだけど! 一枚くらいいいと思う! 怖いから言わないけど!
僕がチョコレートを口の中に放り込むと、ポテトチップスを食べていた姉が口を開いた。
「……まぁ、さ。百年後とかだと近すぎるけど、何百万年て先の地球がどうなってるかは、ちょっと見てみたいかも」
口の中でチョコレートを転がしながら、僕もまた考える。
僕も姉も、下手したら人類さえも死に絶えて、また新しい種族が文明を作っているかもしれない。或いは、地球自体が滅んでいたりして。
僕たちが、想像は出来てもけしてみることはない未来。
「……確かに面白そうかも。偶にはいいこというね、姉さんも」
「はぁ〜〜〜〜〜〜〜? お姉様はいつでも良いこと言ってますけどぉ〜〜〜〜〜〜」
「痛い痛い痛い蹴らないでください痛い」
そういう事するから、良いこと言っても印象に残らないんだよ!
2023.04.19
『無色の世界』
君が死んで、僕の世界から色は消えた。
もちろん、比喩表現だ。僕の目に色は変わらず映っている。
けれど、何も美しいとは思わない。思えない。
君のために用意した宝石も、君の為に作らせた服も、僕が君のために選んだ美しい物たちみんな、君がいなくなったらガラクタも同然だ。
色の褪せた世界で、僕はただ君を待つ。
「ちゃんと、お前のもとに帰ってきますから。待っていて」
そう、約束したから。
君が、生まれてくるのを待っている。
君が、僕を見つけてくれるのを待っている。
本当は、今すぐ君を探しに世界中を回りたいけれど、あのいけ好かない皇帝陛下を守ると約束してしまったし。君との約束を破ることなんて出来ないし。
僕は、今日も君を待ち続ける。
早く帰ってきて、僕の番。
2023.04.18
長命種×人間(この後根性でちょっぱやで生まれ変わってくる)
『桜散る』
サクラチル。
滑り止めの大学からの不合格通知を手に、僕はため息を付いた。
本命の国公立より少し偏差値の高い大学とはいえ、滑り止めに落ちていては話にならない。
奮起して机に向かう――という気にもなれず、ベッドに体を投げ出したところにスマホに着信が来た。
「はいはい〜」
『よぉ、どうだった』
相手は一つ年上の幼馴染。僕は起き上がらぬままに答えた。
「だめだったー」
『まじか。あー、まぁ、今年はあそこ倍率上がったって話あったしなぁ』
「やめてよー僕が行く年に上がんなくてもいいじゃんー」
模試の結果で倍率はある程度わかっては居たが、実際上がったらしく僕はぼやいた。
『他の大学で受かってるとこはあるんだろ? 気楽にいけよ』
「あるけど、都内だもん。そっちに行くには国立かここしかないのにさ」
僕が拗ねた声を出すと、電話の向こうで笑う気配がした。
『そんなに俺に会いたい?』
「会いたいよ。…………その、今まで毎日顔合わせてたのに、半年に一回しか会ってないしさ」
即答して、すこし恥ずかしくなって、言い訳がましくごにょごにょと言葉を続ける。
『はは、嬉しいよ。俺も、いつお前が来てもいいように部屋引っ越したんだから、ちゃんと合格しろよ』
「え、なにそれ聞いてないんだけど」
『俺と一緒に住むならっておふくろさん折れたんだけど、知らなかった?』
「そんな事一言も聞いてないんだけど!? だから急にOK出たの!?」
『俺、めちゃくちゃお前のおふくろさんに信頼されてるからな』
最初、家から通えるところでいいだろうと反対されていたのが、急にOKが出たのはそういうことだったのか。
『親公認で同棲出来るんだから頑張れよ』
「……ん、頑張る」
それから少し雑談してから通話を切って、僕は机に向かった。現金なもので、勉強するやる気が出てきた。
4月、桜咲く中で幼馴染と一緒に歩くために、頑張ろう。
サクラチルのはこれが最後だ。
2023.04.17
付き合ってます。