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11/19/2023, 4:08:14 AM

妊娠した。出産した。そしたら、旦那が別れてと言ってきた。妊娠中から好きな人ができたのだと。
妊娠悪阻は5%の妊婦にみられる症状だ。たった5%の中に私が入るとは思ってなかった。ずっと気持ち悪くて食べたいのに食べられなくて働きたいのに働けなくて、やりたいことが思うようにできないと心病むものだ。新しい命が自分に宿っていると思うと守られくてはいけないのに身体が思うように動かずとてつもないジレンマだった。旦那にいっても仕方ないと言うだけで自分は社会から隔離されたような気持ちだった。
そんな状況を乗り越え出産し幸せを噛み締めていると思いきや、別れて?頭がついていかない。耳がおかしくなったか?何度も何度も時間をおいて何度も聞いたが別れてほしいだった。私が悪いと旦那は言う。ケンカするたび、気持ちがすり減ったそうだ。子どもを私を抱えて育てる自信はないそうだ。私を抱えてってなに?私はあなたより稼いで家のこともやってきたのに?私が求めることに応えられないと旦那は言うが、この場に及んで私が求めることとはなんだろう?子どもが生まれて育てなくてはならないのに。あ、協力なんて初めからしてなかったんだ。私が思っていた協力し合って生活できてるなって思っていたのは違ったんだ。
すやすやと眠るわが子。私以外に守ってもらえないなんて。それでもすくすく育ってくれている。私が育てよう。初めから協力し合ってなかったならこれからもなんも変わらない。


さようなら。

11/17/2023, 2:52:44 PM

「みなさん、良いお年を」
今日は年納め。会社の上司はそういって定時で帰っていった。仕事初めまで何をしよう?なにも考えてなかった。今年は珍しく年末年始は家で過ごせそうだ。
仕事を終え、家に着いたのは21時。
「あ、あそこにいってみよう」
ふと気になっていたおでん屋さんを思い出した。佇まいは今にも倒れそうな戸建てのお店。静かに揺れるのれん。ひとりで入っても問題ないかな。不安よりも好奇心が勝った。
「いらっしゃいませ。お好きな席にどうぞ」
人の良さそうな女将さん。客はまばらにおでんとお酒を嗜んでいた。団体できている人、ひとりできている人、客層もそれぞれ。ひとりでいても問題なさそう。カウンター席に座る。
「なににしますか?今日はトマトがおすすめです」
女将さんは優しく声をかけてくれた。
「じゃあ、トマトください。それと大根とたまごとちくわぶ」
「はい。なにかお飲みになりますか?」
「お湯割りを」
「はい。かしこまりました」
おでんのいい香り。お腹が空く。
「お待ちどうさまでした」
ほんのり色のついた具材が食欲をそそる。こんな感覚前にもあったような。
女将さんは気建てのよい方でいろいろ話しかけてくれた。とても居心地いい。
ふいに思い出した。実家にいた頃は毎年家族みんなでこたつに入ってご飯を食べていたんだっけ。ひとりでの食事になれてしまったのはいつからだろう。食事のときに誰かと何の変哲もない話題ができるありがたみに心まであたたまる。
すっかり心もお腹も満たされた。
「冬になったら結婚しよう」
あの頃が懐かしい。忘れていたのになぜか思い出した。幸せな日々だったな。別れてからこんなに満ち足りたことはなかった。懐かしいと思える私にも驚いた。毎年冬になったら思い出し塞ぎ込んでいた自分が嫌で忘れようとしていた。今日はそんな自分も幸せな時間を過ごしていた自分もなんなく腑に落ちていった。帰り道、軽くスキップしている自分がいる。私も単純だったんだな。

おでん屋さんに通うようになって何年経つだろう。通い始めてからの冬はなんだか嬉しい。長い夏が終わり短い秋が終わろうとしている。冬になったらなにしよう。今日もスキップしている私がいる。

11/16/2023, 12:01:44 AM

その子は家の縁側で寝ていた。温かい陽のひかりが優しくその子を包み込む。すると、つややかで柔らかな毛並みがきらりとひかる。丸くなった背中をお日さまがあたため、すやすやと子猫のような寝顔で眠っている。
時に笑い、時に泣き毎日大発見の連続。起きたらまた大冒険の始まり。あなたのいる毎日が私の生活に潤いと発見を与えてくれる。すくすく育ってくれてありがとう。
陽のひかりに包まれた柔らかな髪の毛を優しく撫で、あなたの成長を見守る。

11/15/2023, 9:21:02 AM

きらきらしていた夏はいつの間にか過ぎていたようで、気がつけば涼しい風が吹き抜ける季節がやってきていた。
君は今、何しているだろう。別れてから何年経つだろうか。この季節になると思い出す。何年か経ったらどんな立場になっていても会おうと約束したが、未だに約束は果たせていない。
お互い未熟だったね、どうしようもなかったね。話したいことはあるけど会わない方がお互いのためだとも思っている。散々泣いて悩んで決めた別れだったから。もう後戻りしないように。お互いの幸せを未熟ながら想い、秋の風が吹くこの季節を淡々と歩いていく。

11/13/2023, 2:17:18 PM

「まって!置いていかないでよ!」

自治体の健康診断がきっかけだった。その何年か前からなにか違和感があったが、なにがよくないのかわからなかった。ただの更年期だろうと私も母も思っていたし、婦人科にも念の為、受診したが更年期障害と診断されたこともあった。そのため、不定期な生理も不思議には思わなかった。
健康診断の際、なぜか出血が止まらない。母はどんどん顔が青ざめていく。母はきっとわかっていた。でも、認めることも怖い、父と一緒に過ごすことが出来なくなるのも怖かったのだろう。父を介護して穏やかな老後を過ごすことが母の夢でもあったが、それが叶わないことも失望しただろう。
健康診断の結果はステージ3の子宮頸がんだった。大きな病院で検査してもらったが、リンパ節の転移もみつかった。母はこの時、どんな気持ちだっただろう。いつも母は明るく、仕事の愚痴は吐くがどうしたら好転するのかと何事にも考えながら愚痴る人であった。この時も「神様は越えられない壁は与えない。だから、きっと乗り越えられる」と大好きな家から離れた病院での入院生活を必死で耐えていた。治療を開始して半年、転移していたリンパ節の異常が消え、血液検査の結果も落ち着き、峠を越しましたと医師から告げられた。母も私も頑張ったねとお互いに労い喜びあった。
しかし、1ヶ月と経たないうちに母の体調は再び悪くなった。病院に行き、検査をしてもらったが、結果は再発。ショックな結果だった。神様はどれだけ厚く高い壁を私たちに越えさせようとしているのだろうか。すぐに入院して治療再開となったが、思うような治療結果は得られず、一旦退院という形となった。退院の前に医師から今のうちにやりたいことをやってくださいと告げられた。母に母が好きそうなことを誘って家から連れ出そうとするも「行かない。ごめんね、せっかく誘ってくれたのに」と。母はみるみる小さくなっていった。また、お腹の痛みも激しくなり痛み止めを使う頻度も増えた。薬には頼りたくないとあれだけ薬を飲まず痛みに耐えていた母だったが、限界を超えてしまったようだった。歩くのもやっとだったが、車椅子に乗ったら本当に立ち直れなくなると車椅子には乗らずに休み休み歩くようになった。歩けなくなる。そう母は言っていた。死に対して不安だったと思う。身体は痩せ、食も細くなり歩行も介助が必要になる未来を描いてはいなかっただろうし、孫守を人生の楽しみにしていただけに精神的にも堪えただろう。懸命に歩く母の姿は実際の大きさよりもさらに小さくさせた。夢も希望もすべて失った。死だけが先にある。
病院の往来の道中で母と私はいろいろなことを話した。保存的な治療に切り替わった頃、母は言った。「最期はあなたが看取って。あなただけいればママは幸せ。生まれ変わったら、あなたの子供になりたい。そしたら、今、できなかったことを一緒にできるでしょ。生まれ変わるまで時間があるから家の猫がゆっくり瞬きをしたら私が乗り移っているからね。ちゃんとわかってね?あと、仏壇のロウソクは右側はよく燃えるようにするから忘れないで」
いつになく明るい口調で話した。それ以来、母は車の中でまともに話ができなくなった。
限界だった。それを医師が見ぬき入院となった。母はもう帰って来れないと入院前に各部屋をみてまわり、リビングで過ごすことを増やした。
入院後、母の足は浮腫んでいった。看護師にもう歩くのは厳しいと言われ、母は笑顔で「もう歩けないのかあ」と呟いた。母は受け止めてしまった。神様が与えた壁を乗り越えることを諦めてしまった。私は受け入れなくてはならないのに受け入れなれなかった。
「今日は怖い。泊まって?」
と、ある日、珍しく母は私にお願いをした。目はうつろ。やっと開けては私を見て笑う。頑張ったよね、頑張りすぎなくらいだけど、もう少し頑張ってよと私は母に言ったが、母は首を横に振っただけだった。夜に入ってすぐに母は寝てしまった。
「もう眠いから寝るね、早く寝なよ」
と、怪訝に母は言って寝てしまった。もっとましな会話をすればよかった、もっと優しい言葉をかけてあげればよかった、もっと触れてあげれば良かったと私は未だに後悔している。
明け方、私は目覚めた。夏なのにその日の朝は汗がすっと乾くような清々しい朝だった。少しずつ日が昇る。天使の梯子がかかり、幻想的な朝日だった。母は息を荒げていた。しだいに顔が赤くなっていった。ナースコールを押し、看護師がすぐきてくれた。高熱が出ていた。解熱剤を投与されたが、一気に血圧が下がり母は目も開けてくれなくなった。
「お願い、もう少し待ってよ。家の人もまだ来てないから。みんな、向かってきてくれてるから。お願い、最期くらい言うこと聞いてよ」
私は母に泣きながら言った。看護師は私を抱きしめた。一瞬、母は私を見て笑った。母は絶対、謝らない人だったが、自分の失敗を笑う人だった。その時もいつものように自分の失敗を笑うように笑った。
母の呼吸がゆっくり深くなる。もう目は開かない。
「待ってよ!置いていかないでよ!」
母の呼吸が止まったとき、私は叫んだ。慰めの言葉をかけてあげればよかったと後悔している。感謝を伝えてあげたらよかったと後悔している。家の人たちがくるまでに泣くのを辞めて医者や看護師に感謝を伝えた。

母がこの世からいなくなって4年が経った。家の猫はゆっくり瞬きをよく私にむけてくる。仏壇の右側のロウソクは勢いよく燃える。不思議なことが続くものだ。母の遺品整理は未だにできていない。そこかしこに母がいる。今年、私は母になった。母のような母になれたらいいな、なれなくても友達のような関係を築けたらなと思っている。母の遺品を見る度、あの時の後悔が蘇る。そろそろかな。ちゃんと受け入れてあげなくては母にはなれないな。
「また、会いましょう。今までありがとう」
未来には必ず会える。会うために成長した私と子どもを見てもらいたいから。会ったらすぐに言えるように遺品にありがとうといって手放していく。

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