きっと明日も、部活の先輩の愚痴を言ったり、出された課題をやっていないと焦ったり、面白い髪型のヤツをいじったりするだろう。こんな日々は、もう飽きた。
でも、おはようと朝お母さんに笑顔で挨拶したり、友達とくだらないことで笑ったり、先生や先輩から褒められてちょっぴり嬉しくなったりするだろう。
だから、少し飽きた、嫌なことを言われた、なんか面白くないからもう、明日なんてこなければいいなんて思わず、小さくてもいいから幸せだと思うことを見つけよう。そうすればきっと、
「明日なんてもう来るな。」から、
「早く明日にならないかな!」に変わる。
内山のシワが多い理由だ。
緊張感が走り続ける。先生が怒ってる。この怒号と静寂の繰り返しがいつまで続くのか心の中では楽しんでいる。またヤツのシワを数える。
一生の別れ。それは本当に辛いことだ。もう会えないとわかっているからこそ本当に辛い。僕は10歳の頃、カズヒロというおじいちゃんがいた。そのおじいちゃんはお母さんが言うには、本当に厳しいおじいちゃんだったらしい。勉強する時は毎回見張られながら勉強したり、外出するのは週に一回。そんな厳しいおじいちゃんがある日、膵臓がんになった。おじいちゃんは入院した。昔はあんなにも厳しく、しっかりとした人だったのに、今となってはガリガリで弱々しい顔になっていた。そんなおじいちゃんがある日、余命宣告を受けた。残り3ヶ月らしい。それを聞いたお母さんはこれまで見たことないくらいに泣いた。それはそのはず、お母さんのお父さんであり、ずっと一緒に暮らしていた仲だから。お母さんはそんな短い命なんだから、最後くらい何かしてあげようと思って、色々と計画した。おじいちゃんはお笑いが好きだったから、僕と妹と母で漫才をしたり、みんなで、クイズ大会をしたり。色んなことをした。短い3ヶ月と言う期間に、3年以上の思い出を作った。そして、余命宣告を受けて2ヶ月と3週間。おじいちゃんは前より痩せていた。「もうそろか」と、お母さんは言った。それは何かを確信したように。病院の一室はとても静まり返っていた。けど、みんな笑顔だった。おじいちゃんは言った。「ありがとうな。こんな死にかけの俺にいろいろしてくれて。」それを聞いた瞬間、僕はおじいちゃんとしたことが蘇ってきた。気づいたら目から涙が溢れていた。「こちらこそ。」僕は心の中でそう思った。
「おきろーーー!」大きな声と共に僕はベットから起き上がった。窓から差した日が眩しい。僕は今16歳。もう立派な大人になった。お母さんもシワが増えてきて、だいぶ歳をとったように見える。僕は朝から、ランニングに行こうと思った。歯を磨いて、ご飯を食べて、着替えて、準備万端だ。「行ってきまーす!」そんな声と共に僕はカズヒロおじいちゃんと一緒に太陽が差す眩しい外へと走って行った。
でもなぜだろう。なぜあの棺桶の中には内山がいたのだろうか。
たまに降る内山もよきかなでも、くさし
僕は毎年、秋のちょうど今の時期が好き。なぜかというと、母が栗ご飯を作ってくれるからだ。母の作る栗ご飯は他の家とは違って、皮をめくった栗をそのまんま入れる。だから、栗そのまんまの食感があり、とてもかみごたえがある。僕は他にも好きなものがある。それは、内山の顔だ。この頃から、内山は顔が臭くなくなり始める。これが僕の秋が好きな理由だ。