すっかり緑が混ざってしまった桜は、私の目を釘付けにした。
その桜は通学路にあったものだから、桜の花の数がだんだん増えていくのを楽しみにしていたものだった。
けれど、その美しい花は青々しい緑色に侵食され、何故だか濁っているようにみえて、私はなんとも言えぬ胸の苦しさを覚えていた。
綺麗な桃色だった。それだけに、とても残念であった。
目線を地面に落とせば、泥に塗れ、無惨な色になった花弁がそこら中に撒き散らされているのが見えた。
人々は花弁を踏みつけて歩いていく。そこには哀れみもなく、かと言って悦びもなく、ただ、当たり前のものとして、気にもしていないのだ。
だが、それらに間違いはなく、当たり前であった。
その美しい桜は、永遠に続くものではないから。
そして、また春の巡りで出会えることを知っているから。
散りゆく定めのその花々が、なお美しく咲いていようとも、それは己に関係はないのだから。
当たり前に、気にする必要がない。
きっと、そうなのだろうとも。私はちゃんと分かっていた。
ああ、だが、それでも、悲しいのだ。
誰の目にも止まらなかったそれは、誰しもが美しいと思っていたものなのに。
なんども春の巡りが来るその中で、その桃色がグレイに変わりゆくその無情さが、私は痛ましく、憎らしく、そして、当たり前と思ってしまうことが、悲しかった。
風が吹いて、花弁が落ちる。
なんて綺麗で、優雅で、そして、弱いのだろうね。
今日、私にとっての初めての初恋が、散っていった。
人と人が、真に解り合うことは決してない。
内心の自由という言葉がある通り、
自身が抱える想いの矛盾も、広がる思考の真実も、他者からは決して見えることはない。
それらが気付かぬうちに、外界に滲み出たとしても。
君からは決して、君へ向けた、私の真実が解ることはない。
同じ様に、
君の内心も、私は知る由もない。
けれど、
生涯、知る事が出来ないことを解っていても、
私は君のことを知りたいと思ったのだ。
「忘れるな」と、生命のサイクルに逆らうことを強要してくるこの花は、なんとも滑稽で、不快極まりない象徴だ。
人間は都合の悪い真実を忘れ、幸せな記憶を苛む苦しみから逃れ、種を繋いできた生き物だというのに。
春を過ぎれば枯れ落ちる花風情に、このような花言葉を背負わせた人間は、きっと人の心というものがないのだ。
ぼくの見知った世界が、だんだんと遠くなっていく様子を、霜だらけの車窓から眺めていた。