一人でいた頃は宝物が沢山あった。
お気に入りの手帖。
お気に入りの腕時計。
お気に入りの服。
一緒に遊べる友達、仲間。
そんなものが全て宝物だった。
結婚して最初の頃は彼女が宝物だった。
やがて子供が出来て子育てが始まり
だんだん宝物とかどうでもよくなっていた。
手帳も買わなくなった。
腕時計もはずして
服なんかも着られればなんでもいい感じになった。
友達とも会わなくなって、
仲間みたいな関係の人も
職場に行けばギリギリいるかな?
みたいな感じになっていた。
子供たちが巣立ち、僕は猫を飼った。
猫はいつもそばにいてくれてすぐに僕の宝物になった。
でも一年足らずで彼は逝ってしまった。
その時はじめて妻と二人、向かい合って泣いた。
二人で一緒に泣いた時、
もしかしたら宝物はずっと
そばにあったのかもしれないと思った。
特別な何かでは無い。
誰の周りにもあるような普遍のもの。
それが宝物であるかどうかは
自分が気づいているかどうか?だと言う事に
その時やっと気付けた気がした。
多くは要らない。
ほんのひと握り、
ありがとうと思える何かがそばにあるだけで
心は満たされるのかもしれない。
蝋燭のことをキャンドルという。
その時、日本人はなぜか結婚式の光景を思い浮かべる。
結婚式、最近はしない人の方が多い気がする。
みんな余裕ないんだよね。
できるものなら有無を言わせず
やった方がいい儀式だとは思う。
だけどそれをする意味みたいなものが曖昧だから、
曖昧なのに手間もお金もかかっちゃうから、
よほどじゃないとやろう!とはならない。
でも、やれば意味は生まれてくると思う。
二人だけでもいいから、
記憶に残る、思い出になる、
そんな場面が、いつか必要な時に思い出せる
何かになれば、
その時にならないと分からないけれど、
結構大きな意味は生まれてくるんだと思うんだ。
キャンドルを灯すように、
真っ暗な思いの中に、
その時の想いがリフレインしたなら
もしかしたら踏みとどまれるかもしれない。
だから、できるなら、
人なんか呼ばなくていいから、
結婚式は二人のためにやっておいて欲しいって思う。
冬になったら寒くなります。
みんな風邪などひかないように
暖かくしてお過ごしください。
ずっと一緒にいたくて
ちょっとだけ頑張ったけど
キミはあっちに行っちゃったね。
いまは離れ離れだけど、
また僕がそっちに行ったら
また一緒にいられたら嬉しいな。
大好きだった黒猫さんにむけて...。
かくれてる。
ふるえてる。
目は開いている?
鳴いている。
後ずさりする。
小さいのにシャーって怒ってる。
ころがって、
ひっかいて、
飛びついて、
足元にすりよって、
また転がってる。
かわいくて
いとおしくて
どうしていいかわからない。
差し出した手を嗅いで爪を立てたりして。
そんなきみが、たまらなくかわいい。
子猫ってずるい、子猫ってずるい。