飛べない翼を持つ者は、存在していると言えるのか。
晴天の下で、伸びやかに舞う鷹の様子は実に愉快だ。飽きもしない。
地上に降りてよたよた歩く姿も、捕食する際の獰猛な目。全てに魅了されている。飛べない者が飛べる者に憧れるのは、誰しも経験したことがあるだろう?
俺も、あの鳥のような自由の翼を持ちたかった。今からでも遅くないし、いつだって神様は見ている。やらないなんてない。
まあ、この世から消えても翼は生えないけどな。
そんな事を考えながら、身を投げ出した。
【僕たちに何があっても、ずーっと愛してるよ。】
なんて安っぽいのだろう。同じような言葉を別の人間に吐いている男が?それとも、純粋故にこの男に騙されていることも知らず、頬を染めている女が?
馬鹿馬鹿しい。人間の一生に永遠など存在しない。
死を迎える。それは生物として生きている限り必ず起こることだ。
目の前の画面では既にクライマックスを迎えている。いつ見ても吐き気がする最期だ。
永遠を夢見て、寝室に女を誘う。
【今日は君と一緒に寝たいんだ。....ダメかな?】
そうして浮かれた女は巣に捕まり逃げられない。
無抵抗の女を押し倒し、キスをする。一瞬のうちに白いシーツが赤く染まっていく。苦しむ程の痛みと怒り。それらが混じった顔で死を迎える彼女の姿は、微笑む男と相まってとても気持ち悪い。
最初は何が起こったか分からなかった。男が同じ手口を使って女を撃ち殺していること、__この場面を俺に見せるため、自前のカメラで中継していることを。
画面が切り替わったタイミングで部屋の扉が開く。
「ただいまー!...ちゃんと見てた?」
椅子に座っている俺を背後から抱きしめる。女物の香水と微かな血液の匂いが混ざりあっている。
「今回の女は厄介だったんだよ。ずーっと君に付き纏ってたから妨害のために話かけに言ってたの。そうしたら僕を好きになっちゃってさ!尻軽な女はダメだね〜。
その点では君を選んでよかった!一途最高〜。」
ぐりぐりと自分の匂いを擦り付けるようにマーキングされる。こいつが帰宅してからのルーティーン。ブツブツと呟く姿は完全に不審者である。
俺はこいつに衣食住を握られている。移動するにしても1人で歩くことは禁じられている。食事、排泄、風呂もだ。
性欲を満たすこともそのうちに入っている。
今日は人を殺めた。ハイになっているから1日コースだ。
ひとしきり満足したこいつに、椅子から持ち上げられベッドに下ろされる。
「ねえ、ずーっと一緒にいてね。死ぬ時は一緒だよ。」
不意に喋った男の顔は何故か泣いているような気がした。
俺は、いつになったら解放されるのだろう。
そう考えながら、近付く顔から逃げるように目を閉じた。
目が覚めるまで、傍にいてほしい。
あわよくば、僕を抱きしめて、もう二度と離さないと誓って。
また一緒に出掛けたい。
歩けるようになったら、馬と触れ合いたい。
近くまで行った時に、体調崩しちゃったからリベンジね。
一緒に乗ってくれるかな?
ふふ、話したいことが沢山あるんだ。
皮肉にも、この口は動いてくれやしない。
生まれた時から、人生が定められていた。
長く生きれないことがわかりきっていた。
君に出会うまでは。
白色のキャンバスに紫色を勢いよく塗り
「どうだ、汚してやったぞ。」
と不敵に笑う顔があまりにも眩しくて。
その瞬間に、心が動いた気がしたんだ。
気付けば、白色のキャンバスではなく、他の色が混じった美しいキャンバスになっていた。
振り返りはしない。
どこにいくにしても、このキャンバスだけは持っていく。
さようなら、愛しい人。
それでも、僕は君の中で生き続けるよ。
太陽みたいな人だった。いつも校内を走り回って先生に怒られるような明るくて眩しい人。クラスの中心になって皆を引っ張っていく存在。
余命が決まっていた僕にとって関わることは一生ないと思っていた。ジャングルジムから落ちて骨折した、という人気者の彼と同室になって毎日が楽しかった。自分がすることに興味を示してくれたり、知らない世界を教えてくれた。
それから、骨折が治ってからも度々訪問があった。日ごとにパチパチと弾けるような火花から、太陽のようにキラキラと、周りと照らす存在に。そんな姿がいっとう好きだった。
神様はいつも残酷だ。
いつもの簡単な手術が終わって、自分の部屋に運ばれる。
慌ただしく走る音と、声。ここまでの焦りようは事故で大怪我を起こして、生存が難しいと言われる程のことだ。
すれ違いざまに顔が見えた。
血まみれの顔が。僕がよく知っている顔が。
その後、一命を取り留めたがドナーが必要だと風の噂で聞いた。ほかの先生がヒソヒソと話をしている場所に行ってみたり、それとなく情報を集める。いつもは不自由な体が、ここまで動けるのかが不思議だった。....彼のためのドナー登録をしておいて良かった。
いつもの身体検査が終わり、なにか要望があればという所で伝えてみる。
「ねえ先生、僕長くないですよね。」
小さな頃からの主治医だ。
「.....君たちの関係を長くみていたからこそ、君が何を言おうとしていることもわかっている。...君の意思は変わらない?」
肯定の代わりにニッコリと笑う。あなたが本物の親だったら良かったのに。
「...はあ、わかったよ。担当に伝えておく。」
先生が僕の病室から出ていく。自分の手すらもぼやけていて、あまり長くないことは悟っていた。
それならば。
他でもない、君のためになるならば。この命、差し出すことも厭わない。
眠る瞬間、カサついた大きな手が頭を撫でてくれた、気がした。
誰かから呼ばれたような気がして、深い眠りから覚める。体が鉛のように重たくて動かない。
....ここは、どこだろうか。
「...起きたね。」
見覚えのある先生が俺の顔を覗き込んでくる。目元が微かに赤い。情報がまとまらない俺を他所に、先生はストレッチャーを使って俺の体をどこかに連れていくようだ。
起きてくれなかったら、アイツの顔が立てられないからな...と移動中に呟く。
そこは冷房が付いているのか肌寒いを通り越して、刺すような痛みを感じるほど。
いくつかの部屋を通り過ぎたあとに、目的の部屋についた。
冷えた部屋の真ん中に安らかな顔で目を閉じているアイツがいた。
どうして、こんな場所にいるんだ。
「...本来は2~3時間程度までだが.....今回はトクベツだ。私のわがままで面会できるように、と院長に頭を下げて頼み込んだ。...1日で目が覚めたのは僥倖だな。」
ストレッチャーに乗せられたまま隣に寄せられる。痛みで動かない体に鞭を打って、なんとか顔をアイツの方に向ける。
...あーあ。いつ見ても綺麗な顔してやがる。
腕はさすがに動かなかったから、先生に持ち上げてもらった。
ずっと、手を繋ぎたかった。
夢でもいいから、と願うほどに。
握った手からは何も伝わらないが、ここに、一緒に生きていた証があった。
折り紙で蛙足の鶴をやたらと見せてきたり、体調が悪い日でも毛糸を編んでいて、それが自分のためのマフラーだと知らずにモヤモヤしていた頃もあった。
俺を見つめる目が、部屋に差し込む光でキラキラとしている。眩しくて少し、顔を見れない事が何回か。
余命だとしても、アンタに出会えて、くだらない事で笑いあって、その上生命をもらった。いまでも貰った鶴は机の上に置いてあるし、マフラーは冬になると肌身離さず付けている。
世界で1番幸せだった。出会えて良かった。
神様、どうか声を聞かせて。
叶うなら、二度と離れないように、もう一度結んで欲しいんだ。
僕の太陽。
あなたがそこにいてくれたなら、それでいいんだ。
俺の淡月。
出会えたことに感謝を。
元々、ただの狐だった。
他の狐と毛並みが異なるため産みの親からも見捨てられ、周りと馴染めず1人で動くことが多かった。日々やせ細っていく様はあまりにも惨めだったろう。まるで狐とは似ても似つかない俺を横目に、周りの連中は群れで狩った獲物を食い荒らす。この世は弱肉強食の世界だ。弱いヤツが死ぬ。ただそれだけのことだ。
死ぬまで残り数時間。ふと、物音がして目を開けた。ねぐらにしている場所からそう遠くない。微かな呻き声と肉の臭いがする。
あぁ、久しぶりの獲物だ。
そこからは記憶がない。意識を取り戻した時には腹の底にあった空腹感は消え、代わりに"もう一度味わいたい"という渇望するほどの欲が残された。
血の匂いを嗅ぎつけてのこのことやってきた1匹を"人型のまま"殺す。その日から俺はよくわからないナニカになった。
他の同胞は全て喰うた。人間から討伐対象にされようが、山にいる奴らから襲われようが、全て返り討ちにしてやった。食料に困ることがなかったし俺の姿を見ただけで襲ってくるヤツも居なくなった。
そして、良いこともあった。友達が出来たのだ。そやつは俺が狐の姿になっていても人の姿になっていても態度が変わらずにいた。
『僕たちはずーっと一緒だよ!』
その言葉が胸に突き刺さったまま。俺はあいつに呪いの言葉をかけられた。
あくる日、社に友達を連れてくる!と約束していたのに、どうしてか1人だった。駆け寄って顔を覗くとソワソワと落ち着かない様子で今にも涙がこぼれ落ちそうだ。
『....ごめんね。』
ふいに呟かれた言葉に嫌な予感がして咄嗟に距離をとる。左腕を撃たれている。もう使い物にならない。撃った方角に向かっていくが、2発、3発撃たれる。血が出るのもかまわず銃を持った老いぼれに致命傷を負わせる。
限界を迎え、人型に戻れなくなった。老いぼれと同時に倒れ込み、鳥居の後ろからガキが泣きながら走ってきた。介抱しているガキに老いぼれが耳打ちをし、腰につけていた鉈を渡した。ガキが受け取った直後に死んだらしい。目を閉じてピクリとも動かなくなった。静かに横たえて、ようやく決心がついたのか俺の元に寄ってくる。鉈を振り上げたことで首を切られるとわかった。苦しいのは、ごめんだ。
2度目の死。これでお別れだと思ったが、実体がないだけで意識は残っているらしい。これも呪いの1部だろうか。
体が死んだあと、呪いは祓わねばならぬと村の法師から告げられていたのを見た。二度と悪さをしないように首と胴体を分けて石像にし、山の奥深い場所に封印された。だがわたしの存在は風化されて、知る人も死んで行った。
また陽の光を浴びて、かつての友人とそっくりな顔を持つ子供に出会うなんて思いもしなかった。
と、わたしの昔話はここいらで終わりにしよう。愛し子が起きてしまう。昨夜は泣かせすぎたから少しでも休ませたいのが本心だ。
そばに寄ってきたモンシロチョウと軽く遊んでやる。真っ白で何にも染まらない、無垢な瞳。掌に止まり、羽休めしているところを握り潰す。
ふふ、かわいそうになァ。