善次

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1/23/2023, 2:35:09 PM

こんな夢を見た

「ほぎゃあっ! ほぎゃあっ! あんまぁ!」
「よしよし、いいこ、いいこ。いいこだね〜」
 毎朝、リビングへの扉を開けると赤ん坊プレイにいそしむ父と母の姿を見せつけられるのが優斗の日常だった。父・篤志は中堅企業に務める管理職なのだが、数年前過労により倒れ、以来「心身のケア」のため赤ん坊プレイを毎朝行ってから出勤している。
 初めて父のおむつ姿を見た優斗はさすがにやめてほしいと訴えたが、父いわく、
「無垢な心をシミュレーションすることで己の心と向き合うことができる」
 らしく、背広に着替えたあとはさっぱりとした好中年にさえ見える。
 愛用のトヨタ・カムリに乗り出勤していった父を見送り、優斗は朝食の残りをコーヒーと一緒に胃へ流し込む。今日は午後からの講義しかないのでのんびり登校できるのだが、そうなると両親の赤ん坊プレイを最後まで見届けねばならないため非常に憂鬱になるのだった。
「母さん的にはいいの、あれ」
「え? なんで? お父さんのああいうとこ、好きよ」
 母の目のくもりは乙女の頃と変わらぬだろう。そう確信し、優斗は両親に対して諦めの気持ちを抱いた。
 おれもいつか恋人や妻に赤ん坊プレイをねだるようになるのだろうか――両親の痴態を見せつけられると、どうしてもそう考えてしまう。赤ん坊プレイでなくとも、アブノーマルな関係でなければ満足できなくなってしまうのでは? それは平穏を愛する優斗としては、認めたくない未来だった。
 多少苦労したっていい、平和で一般的な関係を恋人と築きたい……それが優斗の夢でもあった。
 時は流れ大学を卒業し、独り立ちを果たした優斗は社会の荒波に揉まれながらも人生を謳歌した。かわいい恋人もでき、婚約も申し込んだ。涙を流してイエスと答えてくれた恋人を抱きしめ、優斗は〈平穏な家庭〉が夢ではなく目標へと変わるのを感じた。
 しかし――優斗もまた父と同じく、責任を背負う立場になると、体調を崩した。腹を壊し、胃に穴があき、起き上がることさえ体が痛んでできない。だが休職するわけにはいかなかった。
「赤ん坊プレイだ」
 優斗は決意した。長らく連絡をとっていなかった父へメッセージを送り、赤ん坊プレイの詳細について尋ねた。父は安全な赤ん坊プレイの行い方とともにおむつや粉ミルク、大人用の哺乳瓶、浣腸用のシリンジまで送ってくれた。
 恋人と何度も話し合い、最初は拒否されたが、やがて納得してくれた。赤ん坊プレイは優斗のためだけでなく、恋人のためでもあった。ふたりの間の愛を再確認するため、やる必要があった。
「ぁんまぁ」
 おむつのみの姿でそう泣くと、優斗は不思議と安らかさに包まれた。自然と涙があふれ、こぼれる涙をぬぐわれるたび、恋人との愛を感じた。
 朝、起きるたび、おむつ姿で寝転がる父を思い出す――絶対的に信頼を置ける人間が横にいることへの安堵。父は母との信頼を確かめていたのだ。
 ――おれは、これを夢見ていたのかもしれない。
 ふつうの家庭でありたいと願いながら、その異様さに惹かれもしていた。全力で〈ママ〉を演じる恋人に、いままでになく熱い想いが胸からあふれ出る。
「おれは、こんな〈夢〉を、見ていたのか」
 情けなく、同時にやっと満たされたという多幸感に包まれていた。優斗の尻を拭く恋人が「優斗ちゃんは元気だねえ」と笑顔で言う。
 ひと通りの赤ん坊プレイを終え、いつもの部屋着に袖を通すと見知った男がいた。優斗自身だった。疲れ果てた幽鬼のような相貌ではない、かつて見た、出勤していく父と同じ顔をしていた。
 鏡を見つめる優斗を、うしろから恋人が抱きしめてくれる。その震える手に優斗は手を重ね、「ありがとう」を呟いた。

1/23/2023, 4:06:37 AM

タイムマシン

 タイムマシンの定義を「時間旅行を可能にする機械、または機能」としたとき、次に必要になる定義は「時間旅行」についてだ。
 ヒト(知能強化霊長類とかサイボーグクジラや高性能人工知能などもここでは含めている)は〈時間〉を不可逆なものとしているが、その原因はヒトがヒト的思考――時間の〈流れ〉に沿った一方向に向けて進行する機能――を前提として生きているからであり、言いかえれば〈時間〉は必ずしも一定の方向へ流れることが確定しているわけではない。
 我々ヒトが生きるために〈未来〉と〈現在〉と〈過去〉を決めざるを得なかっただけで、〈時間〉そのものは不可逆なものではないのだ。
「それで?」とおれは言う。「肝心のタイムマシンはどうする。ヒト的思考とやらをおれたちが捨てられない限り、時間旅行は無理だと言いたいのか」
「いいや、時間旅行は可能だ」
 昼食代わりの液体寿司をジュルジュルやりながら藤原が答えた。
 藤原とは学生のときからの腐れ縁で、人手が足りないときやめんどうな問題が発生しそうなときは必ずおれを呼びつけてくる。他人からは信頼されているのだろう、という無責任な言葉をかけてもらえるが、おれとしては迷惑極まりない。
「ようするにヒト的思考、おれたちの思考、広義の意識が時間の流れを一方向にしか捉えられないのが問題であって、思考が時間の順序から解き放たれれば時間旅行は可能だと言えるんだ」
「それは……ただの妄想や幻覚となにが違う。証拠があってこその時間旅行じゃないか」
「物理的な旅行だって体験していない者からすれば幻覚と同じだ。絵はがきだってどこからでも送れるんだ。そうだろう」
「詭弁だ」
「考えてもみろよ、物理的な時間旅行はリスクが多すぎる。リソースも必要だし、個人の頭だけで時間旅行ができるってんなら社会に迷惑もおよびにくい。安全で楽しい時間旅行が成立すれば稼げるかもしれない」
 巷で流行っているフルダイブ式の仮想体験と同じじゃないか、とおれは思うのだが、藤原を自称・時間旅行から諦めさせるだけの気力はない。おれは大人しく従う。
「で、おれはなにをすればいい?」
「なにもしなくていい、というより、おれ自身が時間旅行をする。それを第三者として観測してくれればいい。泡を吹いて倒れたりとか、けいれんしたら助けてくれ」
「わかった。いまから救急に連絡しておく」
「ちょっとそりや早いな。まあいいさ、成功してからごめんなさいさえ言ってくれればな。見てろよ」
 藤原がケーブルをつなげた薄いジェルシートをうなじに貼りつける。それから古いデスクトップ型のパーソナルコンピュータみたいな機器の電源を入れた。見かけとは異なり、機器は素早く起動すると正体不明のライトをチカチカやり、その点滅具合に藤原はにやりと笑った。
 特に合図もなく藤原は右手に握っていた端末をタップすると、気持ち悪い笑みを浮かべたままぶっ倒れた。鈍い音はしたが目立った外傷はない。おれは勝手に用意したコーヒーとビスケットをおやつに食べながら、自分の端末で暇を潰す。
 一時間ほど経つと藤原は身を起こした。
「おう、どうだった」
「清水、飯はまだか」
 タイムマシン完成はどうも遠いようだ、とおれは結論づけた。