避けられない状況の中で—— 何もかも失いその挙句肉体的な生と死、精神的な生と死に直面し、自分に何が残されているのかを数えさせられる。
そして、最後に残るのが「命」だけだと知ったとき、その命をどう扱うか、諦めるか這いつくばるか、どう生きるか決断しなければならない。
結局、人間が本領を発揮できるのはその瞬間からなんだと生きていて思う。
本当にそれを経験してから全てが世の中がしょうもなく感じて何があっても動じることがなくなった。
警察来た時も親が逃げたときも、しょうも無い理由で親が多額の借金抱えてることを知っても常に心が平和だったのがもう、鋼のメンタル勝ち取ったよね。
正直、人生勝ち組だと思ってる。
自由を求めて、身と心を削って毎日命かけて生きてるのは幸せそのもの。
命かけられることがあるのと、ないのとでは人生の価値が違う。
ちゃんとけじめつけて毎日感謝して生きてる人は生と死に執着してない、他人の評価とかも他人そのものにも執着してない。
それが幸せそのもの。
人が亡くなるたびに、自分自身も生死を彷徨うたびに、覚悟がどんどん決まっていく。
毎日を懸命に生きるための、命を捨てる覚悟と命をかける覚悟が1日の価値をより大きくしていく。
去年は恐れを手放し覚悟を学ぶ年。
今年は生と死の執着を手放し、覚悟を決める年。
いわば、人生の中で最も大切な学びの最終章なのかもね。
愛とは私にとって1番難しいもの。
生と死の覚悟よりも難しい理解ができないもの。
必要な学びであればきっと愛を知る、
でも生と死をあえて先に学ばさせられているのは
きっと何かあるのだろう。
共存するためにやること全部やったとしてもどうしようもできない時が必ずくる。
そん時は辛抱強く静かに待ち、時が来たら見捨てて逃げるしか無い。
絶望するってのは命を捨てる覚悟を決めるか、ズルズル堕ちて狂って繰り返し死を図るか、命をかける覚悟を決めるかの3択が与えられること。
全てを失った人間には自分の命しか残ってないんだよ。
全てを失うってのはそう言うことなんだよ。
わかるか?命を本気で諦めたことがあるからこそ命をかける覚悟ができるんだよ。
血だらけになっても仁儀貫いて自身に誇りを持って生きるってのがけじめってやつちゃうんか?
これはきっと必要な人にしか届かないだろう。
もし、今あなたに響く言葉であれば覚えてほしい。
絶望の先に暗闇があるか光があるかはあなた次第、私は絶望を乗り越えて今ここにいる。
インスタである動画が流れてきたの、
“自分が成功した時、将来夢が叶った時、1番最初に伝えたい人は誰?”ってある男の人が言ってたの。
それで真っ先に想ったのは私のいとこだったの。
両親は毒親で妹は精神の病気にかかっちゃって。元々機能不全家族だからさ。
いとこにも完全に心を許してるわけじゃないけどいつもそっとみててくれる存在だから感謝してる。
そうしたらその男の人が
“今まっさきに思った人はあなたにとって大切な人なんだよ。だから今すぐ電話して感謝を伝えてみて。”
って言われてすぐに電話した。そうしたら従姉妹が
“私はあなたをいつも応援してるしあなたは長女でしかもヤングケアラー、持病持ちなのに勉強もスポーツも全て超人で誰よりも努力してる。機能不全家族で親のやることを子供が責任持ってやってる、そんな時にだれも寄り添ってくれる人もいない。私もその中の1人だから力になりたいの。”
って言われた瞬間嬉しくて泣きそうになっちゃった。
そっと見ていてくれている人がいるんだなって目を凝らしてみないと気づけないんだなって思った。
全てに一生懸命で目の前のことしか見えていなくて鬱になったりすることが多かった。でも今年は例年よりもはるかに残酷な年だったけど最悪な精神状態でも周りが見えるようになれたくらい成長できた。だから2024を憎もうと思えない。むしろ全てに感謝してる。