93歳の母は大腿骨を骨折し
施設暮らしもすでに5年を過ぎた
長男夫婦と同居だった事もあり
娘の私が自由になる事は限られている
1つは、毎日電話をかけ様子を聞く事
もう1つは、週1で面会に行き身の周りの
世話をすること…
幸い、認知症はなく精神はしっかりして
いるが、1日のほとんどをベッドの上で
過ごし、時たま車椅子で廊下に出て
気分転換をする事が日課だ…
それでも、毎日頑張って生き抜いている
母を心底尊敬し愛している
身を持って生き様を見せてくれる
立派な母だ…
ここ半年ほど前から、面会が終わり
帰路につく私に毎回母は握手を求める
ようになった…
「何…大げさだね〜」最初は笑顔で
軽く返していたが、最近は違う
母と私の「別れ際に」は大きな意味がある
93歳の高齢なのだ…明日がわからない。
お互いにそれがよくわかっている
「また、来週ね」名残惜しい気持ちで
しっかり握手を交わし「来週も元気で」と
願いながら毎回施設を後にする
数年ぶりに熱を出し床に伏せっている
38℃位の熱なら気合で動いていたが
コロナからこっち、今のご時世は
風邪さえ大病扱いで寄るな触るな…だ
だから、私も世の中の流れに身を任せ
仕事はあっさり諦めた…
気候も人生も一緒だな…
昨夜はピンピンしてたのに一寸先は
わからない。
さっきまで青空だったのに、急に真っ黒な
雲に覆われどしゃ降りになる空と一緒
まるで「通り雨」のようだ…
私の身体…明日はスッキリ晴れますように
良いですよね……秋🍁
けれど、すごく良かったのは
ちょっと前までの秋…
最近は、気象が本当におかしい
10月目前だと言うのに夏衣装…
やっと、窓を開けて冷房を止めて
眠る事が叶ったのはほんの数日前
食卓に並ぶ、秋の味覚もしかり…
サンマは庶民の楽しみだったのに
あまりに高価になって…
「あ〜…無理だ高すぎる…」と
旬のはずの食材を横目に通過する
政治家はたらふく食べて、懐にも
たらふくお金を隠して…
普通の家の普通の人たちがどんだけ
頑張ってやってるか、しばらく
ホームステイすればいいよ…
「窓から見える景色」が旅先ならば
気持ちも上がってるから違って見えて
当たり前なんだけれど…
自宅で同じ景色を毎日、毎日眺めて
いるはずが、ある時だけは違って見えた
経験がある…
それは、病気で入院し病院から退院して
自宅に帰って来た時だった
日々が同じ調子で流れているようで、
実は、平凡で何もない平和な日常を
続けられる有難さを、身を持って実感したからだろう…
家に戻り、我が家からいつもの景色を
見ているはずなのに、何もかもが輝いて
「家って良いなぁ…幸せだなぁ」
つくづくそんな風に感じられた瞬間だった
多分、ずっと健康ならわからなかった
何事も、経験からしか得られない
不思議な感覚だった
日常に生活していると
色々な物が壊れる…例えば食器
何だかどんどん枚数が減っていく…
割れたお気に入りの茶碗や皿を溜息を
つきながら見つめたところで、2度と
くっつく事はないが、しばらくパズルの
ように合わせてみる…悪あがきだ(笑)
「形ある物」は、いつしか必ず壊れる
では、「形のないもの」が壊れると
したら…やはり「心」だろうか…
人の心なんて本当にもろい
だから、日常茶飯事に傷つき
よく壊れてしまう…
しかし、泣いても騒いでも傷ついても
時間さえあれば、いつの間にか
なんとなくそれなりにひっついて復活し
また、たくましく生きている
「形の無いもの」の底力とは、自分が思うより計り知れない位に強靭なんだろう…