「喪失感」か…
何を無くしたか考えてみた
多分、数えきれない位いっぱいある
それは、物質的な物だったり
精神的な物だったり…
逆に1つだけって聞かれても
わからない…
最近は、忙し過ぎて「喪失感」を
感じて感傷に浸っている暇もない
長い時間の中では、きっとその場
その場では嘆いたり、傷ついたり
……と、きっともがきながら
乗り切ってきたんだろう
しかし、なんやかんやと嘆いていても
今、こうしてそこそこ落ち着いている
ところを見ると、当時はこの世の終わり
みたいに感じていた事も、案外と
無くした物はそんなにたいした事
でもなかったのかもしれない…
私は、陶芸教室に約15年通った
土を捏ねて形を作り段階を経て
仕上がっていく過程は奥が深い
自分で作るようになり、市販されて
いる食器をみる目も変わった
どんな器も、手にするまでには
大変な手間がかかっていると
知ったからだ…
百均の大量生産さえ愛しい
だから、我が家には私が焼いた
手作りの「世界に1つだけ」の
器が沢山ある…
自分で野菜を育て、自分で作った料理を
自分で焼いた器に盛り食す…
これが、私の「世界に1つだけ」の
幸せな日常でもある
「胸の鼓動」は年齢によって
意味を変える…
青春の頃は片思いの彼が偶然
近くに来たりするとドキドキ
…と言うよりはバクバクな感じだ…
就活の年代になれば、人生を左右する
職業を決める時、ここは鼓動を
隠して「私はいつも冷静です」
なんて、焦らず慌てずの使える人材を
演じねばならない。
上手く仕事について、人生の伴侶に
出会えば、次は子育てだ…
今度は、思うように歩まない子供たちに
振り回されて鼓動はハラハラである
そんなこんなで人生なんて言うのは
あっと言う間に時間が過ぎる…
長い時間をず〜っと頑張っている
「胸の鼓動」は、「動け!」と
命令している訳でもないのにほんとに
働き者だ…日々自分の体に感謝を忘れず
大切にしなければならない。
人は嬉しい事があると
「踊るように」ステップを踏んでしまう
回ったり、バンザイをしたりと忙しい
自然界の生き物たちもしかり…
求愛のダンスを踊り相手探しに余念が無い
例えば人の場合も…
美味しい物を食べると拍手を
したり、小さくガッツポーズをしたり
最後は、両手でほっぺたを挟んで
「美味しい!」を色んな形で表現する
身振り手振りというか…
生き物すべてが色んな形と習性で必死に
自分をアピールしながら生きる様は
周りから見ても微笑ましく可愛い
無意識にやっている行動や仕草が
知らぬ間に自分をアピールして
時には運命の人と恋に落ちたり
するのだろうか…
人生は苦労が7割…
良い事が3割…まあ、比重で言うなら
そんな感じかな…
一生で考えても、1日で振り返っても
楽しくて良い事の方が断然少ない…
修行に来ているのだから当たり前なんだが
しんどい事がず〜っと続くと頭では理解
していても、気持ち的には段々キツくなる
どんなに大変な案件にぶち当たったとて…
「あと、1年の辛抱だから頑張れ!」
…なんて、終了の「時を告げる」システムがあれば、もっと楽に構えられるのに…
後は、いかに自分自身が物事をふわっと
受け流すかだけだな…
結局、苦か楽かを決めているのも
我が心ひとつでどうにでもなる訳だ…