今年は、梅干しを10キロ漬けた
今回で梅干し作りも3度目を迎えた
まさか私が梅干しを作るなんて…
親と言う大きな存在を日常のふとした時に
つくづく感じる事がある…
梅干し作りもそのひとつだと思う…
たかが梅干しされど梅干しな訳だ
自分でやり始めた最初の頃は
何にもわからないから携帯片手に
必死に作り方を探した…
ひとつひとつの作業がすごく大切で
こんなにも手間がかかるもんなんだと
自分が動いてわかる事が沢山あった
「明日、もし晴れたら梅を干そう!」
そう思いながらも、なかなか丸々3日の
晴天は上手く巡って来なかったりする
最近、やっとお天気に恵まれて
三日三晩の土用干しが終了した…
「こんなに大変な事をずっとありがとう」
と、改めて両親に感謝の気持ちを持ちつつ
私も随分成長したでしょ…なんて
仕上がったばかりの梅を眺めながら
ちょっとニヤけてしまう自分がいるww
今、目の前には2人の娘と
2人の孫と、いい調子で酔っ払いの旦那
真横には、私をママだと思っている愛犬
右を見ても、左を見ても…
とにかくうるさく落ち着かない…
そんな中で文章を書いている
もうすぐ私の誕生日なんだけれど
「何がしたい?」「何食べる?」
これは、私が聞いている訳ではない
旦那と孫たちは「焼き肉〜!」
私は黙って、無言で成り行きを見ている
何だか、一人遠くにいる気分だ…
「あの〜…私の誕生日なんですが」と
心の中でポツリとつぶやいた…
去年までの過去5年間は
ずっと毎年恒例の「スシロー」だった…
もちろん、私が注文し私が取りに行く
ちょっと特別感を出したい時の
庶民の味方だ…
「誕生パーティーだ!」と盛り上がり
家族は皆楽しげだから、私もとりあえずは
合わせているが…
本心を言わせて欲しい…
ホント…非常に申し訳ないが…
「だから〜!一人でいたいんだよ…」
目は口ほどに物を言う…
古いことわざだけれど
確かに、「澄んだ瞳」の子供や動物には
人の笑顔の奥にある作り笑いなど
一瞬で見抜かれてしまう
そう……目が笑ってないって事に
純粋無垢な澄んだ心…
皆、成長すると共に人生の荒波に
揉まれて霞がかかる…
長い時間をかけて沢山の経験をして
人生の終演になった頃には
寛容な心と素直な優しい澄んだ瞳で
嘘のない笑顔で笑っていられる
…そんな風に生きられたら…
けれど、現実は結構難しい
外野は今日も私の心をかき乱す
小さい頃は台風がくると学校は休みになるし「大雨暴風警報」なんて情報が入ると
小さくガッツポーズさえした…
何ともお馬鹿さんだったがワクワクして嬉しかった…
親たちは、雨戸を閉めたり物が飛ばない
ように必死だったが、子どもにとっては
強風も大雨も自然のアトラクションだ…
「嵐が来ようとも」そんなの関係ない
ホント、お気楽な時代は良かった…
それが、年齢と共にドンドン立ち位置は
変化していって、部屋の中から何だか
嬉しそうな笑顔で「頑張れ〜!!」なんて
子どもたちは無邪気に応援してくるし…
私は全身びしょ濡れになって、悲壮感
いっぱいに雨戸を閉めに行き、飛びそうな物や花鉢を移動させ…
内心、何で私一人が?と文句を言いながら必死に嵐に立ち向かっている
自分の親たちもこうやってお気楽な私たち
を横目で見ながら嵐と戦ったんだろうか…
繰り返される親子の立ち位置の変化で
改めて親の有難さを痛感する
「お祭り」の思い出は…
子供が通っていた、保育園の夏祭り
ある年、出店のひとつに「金魚すくい」が
準備されていて、幼い子供たちが全く
すくえない時は、2匹の金魚をもれなく
もらえるシステムがあった…
我が子の網もあっという間に穴があき
「はい!金魚2匹ね」と手渡された…
ビニール袋の金魚はわずか2cmほど…
私たちは、当時御長寿で有名だった方から
「金ちゃん、銀ちゃん」と名前をつけた
その後、2匹は10年近く生きて金ちゃんは
赤い立派な金魚になり、銀ちゃんは鯉金
だったようで、30cm位の鯉に成長した。
週1回の水換え、病気の時の塩水浴…
お世話はすごく大変だったけれど
長い時間を共にすると自然と家族になる
金魚とだって、やはりちゃんとご縁が
あって、我が家にやって来たと思っている
何に対しても全力で向き合っていく…
結構、しんどい性格だけれど
そんな自分…「いいんじゃないかな」って
思っているww