「お祭り」の思い出は…
子供が通っていた、保育園の夏祭り
ある年、出店のひとつに「金魚すくい」が
準備されていて、幼い子供たちが全く
すくえない時は、2匹の金魚をもれなく
もらえるシステムがあった…
我が子の網もあっという間に穴があき
「はい!金魚2匹ね」と手渡された…
ビニール袋の金魚はわずか2cmほど…
私たちは、当時御長寿で有名だった方から
「金ちゃん、銀ちゃん」と名前をつけた
その後、2匹は10年近く生きて金ちゃんは
赤い立派な金魚になり、銀ちゃんは鯉金
だったようで、30cm位の鯉に成長した。
週1回の水換え、病気の時の塩水浴…
お世話はすごく大変だったけれど
長い時間を共にすると自然と家族になる
金魚とだって、やはりちゃんとご縁が
あって、我が家にやって来たと思っている
何に対しても全力で向き合っていく…
結構、しんどい性格だけれど
そんな自分…「いいんじゃないかな」って
思っているww
ひらめきだけで生きている
…以前、こんな言葉で投稿した事がある
困った時、追い詰められた時、何故だか
ピーン!とひらめいて大体の事は解決
していく…
「神様が舞い降りて来てこう言った」
それは、実際の言葉ではないけれど
魂で感じ取る…そんな表現がぴったり
だと思う…
だとすると、私は1日の中で沢山の事を
テレパシーで受け取っている
余談になるが、半月ほど前に2年ぶりに
歯医者に行った…
肩が凝って歯茎が腫れたからだが、この
症状は5年前位から繰り返していて、何度
か歯医者に行ったが、薬を出されては
落ち着く…そんな感じの繰り返しだったから、ここ2年は腫れても自己流で治し
やり過ごしていた…
今度も「いつもの事だ」と自分で薬を
飲んで、かなり腫れも引き落ち着いた…
しかし、今回だけは何だか歯医者に行かねばならない気がしたのだ…
結果…被せてあった歯には虫歯があって
根には膿がたまり、後少しで抜歯になる
と言われた…
「ギリギリ間に合って良かった」と言われ
私は、帰宅する車の中で守ってくれている
色々な方たちに心底お礼を言った
「生きているのは自分の力だけではない」
今も、私に「そうだ!」とお言葉が届きました…これ、ホントなんですよ。
10年ほど前に、我が家の真ん前の家に
1人暮らしのおばあちゃんがいた。
おばあちゃんは、とても繊細で
朝から晩まで血圧計を片手に一喜一憂
してはご近所さんに助けを求めていた
体調と言うのは個人差が大きいので
おばあちゃんの言い分も間違っては
いないのだけれど、「それで病院行く?」
くらいな勢いで私にも電話を掛けてきた
ふと時間を見ると夜中の12時前だったり
深夜、病院のロビーで待機なんて言う事も
あった…
周りから「あなたはやり過ぎよ」と
逆に呆れられたりもしたけれど
「誰かのためになるならば」と自分自身を
納得させながらお世話をした
けれど、人様に情をほどこす事で
我が身でなくとも、自分の大切な人たちに形を変えてかえってくる…
そんな経験も沢山した
だから、結局は「誰かのために…」は
巡り巡って我が身にかえってくる
これは、多分悪い事をしても一緒なんだと
いつも自分に言い聞かせながら生きている…
私…重症の方向音痴です。
多分、性格としては1人行動は平気
なんだけれど…
生まれつき、東西南北がわからなくなる
事については一生付き合うしか
ないようです…
こんな感じで生まれてしまうと
私が……って言うよりは、周りが私を
危う過ぎて「鳥かご」に閉じ込める訳です
昔、勤め先でポスティングをする事に
なり、皆は車であちこちに散らばって
行ったけれど、私は徒歩で「近所を歩く
だけで大丈夫です!」なんて扱いで…
小学生でも迷わない距離を職場の仲間たち
は、「1時間で帰らなければ捜索に出ます」
と、有り難いやら情けないやら…
今も相変わらず行きと帰りで景色が変わると逆方向に行ってしまったりで…
まあ、これで信用してなんて言えるはずも
ない訳です
だから、私はよく皆にこう言っています
「私自身がナビになりたい…」ww
女の「友情」ははかないと言うけれど
私には半世紀を超す親友が2人いる。
ランドセルを背負って小学校に通い
中学時代、高校時代も一緒に過ごした。
1人は地元に残り、1人は都会に出たが
距離など関係ない…
生まれ持ったご縁があれば頑張らなくても
ちゃんと繋がり続ける…
大人になってからも親しい友人は次々と
現れた…これが必然と言う事だろう
長続きする秘訣は、お互いに会いたいと
思うタイミング以外は、入り込み過ぎない事だと思っている…
私は、グループで固まって付き合うのが
苦手でほとんどは一対一なのだけれど
2人でいる時間が長くなるのでかえって
素直に話す事が出来て「友情」は深くなる
一生の間には沢山の人たちと出会うけれど
信頼を築き、共に歩む人に巡り合う事は
本当に奇跡だと思っている…