私は、「私だけ」の人生を生きている
………と、思い込んでいた若い頃
今は、私だけの人生なんてないと
色々学んで心底納得させられている
私の娘はいわゆるバツイチってやつで…
一応…娘の名誉の為に付け加えておくが
事故で言うなら、後ろからいきなり
オカマをされたような案件な訳だが…
ここで、私は現実の生活において
娘の人生の巻き込み事故にあっていると
思っている…
そして、家族を増やして帰ってきたので
当然、その子たちにも手間も時間も費やさなければならない…
これは、体にムチ打ってやっているって
事で、やはり巻き込み事故の余波である。
こうやって冷静に考えると、皆まわりに
相当な援助や迷惑や時間まで貰いながら
やっと何とか日々を生きている…
だから、大変な時ほどまわりをよく見て
「ありがとう」を忘れず生きなければならない…
1日がものすごく早い…
口癖のように「1日が30時間あれば
自由な時間が出来るのに…」
そんな言葉を繰り返しながら
日々は目まぐるしく移り変わっていく…
「一難去ってまた一難」
この言葉もしかり…本当に次から次へと
心配事は湧き出てきて私を悩ませる…
「遠い日の記憶」とは、人生が一段落し
縁側でお茶でも飲みながら
「大変な事ばっかりだったけど頑張ったね〜」なんて言いつつ、人生を振り返り
反省とねぎらいを込めた言葉とセット
なんじゃないか…そんな気がする
だから、毎日悩んだり、心配したり
「30時間欲しい!」なんて余裕がない言葉
を発しているうちは使わない方が賢明だ
父は70代で急死し他界したのだが
その時に、いくつか不思議な体験をした
最初の不思議体験は遺影…
僧侶が御経を言わんとしたその時…
私がふと遺影に目をやると、父の顔が
百面相のように変化した…
人には心眼という第3の目があると聞くが
自分の見えている事が理解出来ず何度も
目を閉じたりこすったりしたが遺影の表情はしばらく変わり続けた…
その次は四十九日法要の朝、夢枕に立った
義理固い父は、自分の満中陰志のお返しを
ちゃんとしたかと私に尋ねてきた…
そして、私にこう言った…
「人様がしてくれる事を当たり前に思うな恩は忘れず必ず返せよ」と…そして去り際
に少し強い口調で「わかったか!」と…
言い残せなかった言葉をちゃんと私に伝えにきたようだ…
父の納骨は、クリスマスイブの日だった
一連の法要が終わり歩いて帰る道すがら
北の空に鮮やかに虹がかかった…
「じいちゃん、虹までかけたね〜!」と
皆が一瞬で笑顔になり笑った…
何から何まで父は粋な事をするもんだ
「空を見上げて心にうかんだ事」と聞かれたら、私は真冬にかかるこの虹を生涯忘れる事はない…
「終わりにしよう…」
この言葉には揺るぎない意思がある
しかし、日々の生活において自分自身には
ほとんど決定権はないと思われる…
生きていく為の基本である仕事…
「仕事が待ち遠しい!早く会社に行きたいよ〜!」なんて…100人居たら手を挙げる人はいくらかいるのだろうか?
大抵は、「終わりにしたい」そう思いながらも生きる為に職場に向かう…
食事を作る事も、掃除、洗濯もやはり
辞めたいと思いながらやり続けている。
人生において、自分から終わりにしようと
決めて次に進めれば、どんなに楽になるだろうか…
若かりし頃の終わりにしようは、ほとんどが恋愛のラストを思い浮かべるが、
長く生きる程に終わりたいけど終われない…
そんな、自問自答の中で暮らしている…
きっと、明日の朝も眠気と戦いながら
自分を奮い立たせて皆、自宅を後にする。
日本人と言うのは特別な存在らしい
争いを避け、調和を好む…
まあ、「手を取り合って」共に歩む
そんな精神が時々面倒くさい事もあるが
多くは協力し合う事が当たり前のように
育ったと思う…
そんな、日本人の特殊能力は災害において
遺憾なく発揮されるようだ…
大きな困難にあった時、我先にとならない
のが凄いと思う…
夜通し駅に取り残されても、片側の階段に
整列して人の邪魔にならないように座る
この光景は世界でも称賛を受けた…
物資を配る時もちゃんと並び、必要なだけ
手にすればサッと外れる
大変な時こそ、火事場の馬鹿力を゙発揮
出来る私たちは、この先何があっても
知恵を出し合って一緒に乗り越えていけると確信している。