家庭菜園とガーデニングが趣味な私は
今の季節は本当に忙しい…
水やりや花がら摘みで仕事は尽きない
しかし、「繊細な花」を育てる為には
夏の虫たちとも戦わなくてはならない。
つい先日もアシナガバチの逆襲にあった
植木の薄暗い根元に巣を作っていたのだ
不運にも根っこ周りの草に手を伸ばして
しまった!………チクッ!!
「痛!!やられた!」目の前に3匹の
ハチが現れた…私はハチアレルギーなのだ
こうなったら、花どころではない!
2年前にも刺されアナフィラキシーを起こした…
「次刺されたら死ぬよ」と医師からは厳重注意を言い渡されていた。
「ハチと死」は背中合わせなのだ。
結局、病院に走りまたまた点滴のお世話に
なった。
「死ぬよ」の言葉でパニックを起こしたが
九死に一生を得て帰宅した私が次に取った
行動は、やはり繊細な花のお世話の続き…
家族は力を合わせて懲りない私を守る為に
殺虫剤を片手にアシナガバチの巣に
いどんでいくのであった…
すみません…ご迷惑おかけしております。
幼い頃は「1年後」の予定が立てやすい
1年生…2年生…3年生…
一日一日と時間が過ぎれば順調に次に
進んでいく…
その頃はまだまだ親の保護下に居るから
衣食住の心配もなく、ブツブツ文句を
言いながらでも幸せな時だ
けれど大人になるとそうはいかない…
今度は自分が周りを養い守る立場になる
毎日毎日大変なのだ…
今この時を必死に生きて、せいぜい予定は
1週間先を考えるのが関の山だ。
時々ふと考える…
仕事を辞めて毎日が日曜日だったらどんなに楽だろうか…なんて…
自分の好きな事だけをして暮らしていけたら幸せだろうなぁ…
「一年後」の予定が立てられるような
余裕のある人生を送りたいものだ…
子供の頃は、とにかく両親が多忙でいつもバタバタと余裕なく生活をしていた。
今思えば二人はマイホームを購入しようと
我が子4人の先行きを考えながら
がむしゃらに働いていたようだ…
そんな訳で、兄ばかりで末っ子の私は
甘やかされる環境とは程遠かった…
自然と何でも自分でやり、人を頼らない
自立心の強い大人に育った…
自立心が強いと一見、何でも決めたり行動
したり良いようにも感じるが、実際は
甘えられない…弱音を吐けない…意地をはる…そんな感じになって結構辛い。
兄には「守ってやりたいタイプじゃない」と言われ…旦那には「女の仮面を被った男だ」とまで言われた…ww
自分がそんなイメージを周りに植え付けたのだから自業自得だが、ホントは甘えたい
弱音も吐きたい、頼りたい…
もうそろそろと「強い私」の鎧を脱いで
弱い私を出すタイミングを計らねば…
私の「日常」は夕方5時前に施設にいる
母に電話をかける事…
日々の繰り返しはすでに5年を過ぎた。
365日×5年…約1800日だ。
「よくそんなに毎日電話を掛けられるね」
知人は、やや呆れ顔で私に言った…
「マザコンなの?」そんな感じの言葉を
言われた事もある…
毎日電話をかけ続ける私の「日常」は
マザコンでも執着でもない…
根底にあるのはやはり「感謝」だ。
両親が頑張ってくれたから今の私がいる。
年老いて体も思うように動かなくなるし、認知機能も落ちる。
その不安感はその年にならなければ
本当の意味でわからないと思う。
今私が出来る事は、母に寄り添う事だ
「親孝行したい時には親はなし…」
昔からの言い伝えには深い意味がある。
母が生きている限り私の日常は続くだろう
高校生の頃、白黒のモノトーンの
服が流行ってた…
夏休みに県外の叔母の家に行く事になり「好きな服買って来なさい」と
母からお許しを得て親友と一緒に
服を探しに行った。
ワクワクしながらお出かけ用の服を探して
私はすぐにモノトーンのワンピースを見つけた…
当時、私が「好きな色」だった。
楽しいおしゃべりとショッピングで
夕方に親友と別れて帰路についた。
「ただいま〜!良い服見つけた!」と
母に報告する為に袋から出した。
「何?その地味な服は…」
「今、流行ってるんだよ〜」と私…
次の瞬間!「ダメ!絶対ダメ!」と母。
しばらく押し問答が続いた後…
「わかった…明日取り替えてくる」と
私が折れた…悲しかった…
次の日、母同伴で買い替えた服は
パステルカラーの可愛らしいワンピース
母ご満悦…私は…無言
そのせいなのか、私は今もピンクは着ない