みとり

Open App
4/15/2024, 3:22:18 PM

お題:届かぬ思い
タイトル:届かぬ思い

何度声に出しても
どれだけ強く想っても
あなたがそんなところにいては

私の想いは届かないでしょ

4/15/2024, 6:17:11 AM

お題:神様へ
タイトル:神様と運命についての考察

今日のお題はなんだかスピリチュアル。
せっかくなので今日は私の哲学、もとい神様に対する考察を披露しようと思う。
読み始める前に注意点が二つ。
一つは、だらだらと書き続けるので長い上に内容も薄っぺらいものになるということ。
もう一つは、ここに書くのはあくまで私の妄想であり、科学的根拠もないので信じすぎるのは避けること(共感してもらえると泣いて喜びます)。
それでも私の話が気になるというなら、私の自己満足に付き合ってもらいたい。

まず、この世界の仕組みについて。
例えば、「ある少年が膝を擦りむいた」とする。
それは一見すると単純な出来事のようだが、その裏には
「道の上に段差があり」、「段差の上を少年が通り」、「少年が段差に躓き倒れ」、「膝を地面に強くこすった」
というようないくつかの事象が偶然重なり合っている。
これらの事象をここでは仮に「原因」と呼ぶ。
「原因」がいくつか重なり合うと一つの事象(この場合は「少年が膝を擦りむいた」こと)が起こる。
この事象を「結果」とする。

「原因」と「結果」の関係はどんな事象に対しても存在する。
「冷蔵庫に人参とじゃがいもと玉ねぎがあった」から「夕食にカレーを作った」。
「右足と左足を交互に出した」から「歩いた」。
こんな風に一見独立して起こる事象でも、「原因」と「結果」という関係で繋がっている。

また、「結果」はまた別の「結果」を生む「原因」にもなりうる。
「朝寝坊した」から「乗るはずの電車を逃し」、「代わりにバスに乗り」、「素敵な人が隣に座ってきた」
というように、
「原因」→「結果」→「原因」→「結果」→…と事象は連鎖しているのである。

ということは、全ての事象は何らかの「原因」が生み出した「結果」であるといえる。
では一番最初の「原因」とは何だろうか。
生命が地球上に誕生したこと?
いや、それは「地球が生命誕生に適した環境だった」結果である。
では地球が誕生したこと?
いや、それも研究によって地球の成り立ちがわかってきている時点で「結果」なのだ(宇宙に漂っていた塵が集まって〜とかいう話らしいが、詳しくないので割愛する)。
色々考えるうちにたどり着くのは「宇宙が誕生したこと」。
有力な説では、宇宙の始まりはとてつもなく大きな爆発「ビッグバン」だといわれている。

しかしそれすらも「結果」だったとしたら?
ビッグバンを起こした引き金のようなものがあったとしたら?
私はそれが人々が神様と崇める存在なのではないかと考えている。
それが果たして神様なのか、全く別のものなのかは私にも、多分誰にも見当がつかない。
でも、何か超常的で、とても大きな存在だということは分かる。
ここでは分かりやすくするために、神様が全ての「原因」ということにしておく。

次に、運命について。
私たちの「今」は神様が「宇宙、始めよう」と思ったという「原因」が生んだ「結果」である。
つまり、その時既に「今」は決定されていると私は思うのである。
今、私がこの文章を書いていることも、この文章をあなたが読んでいることも、宇宙が始まった時点で決まっていたことなのだ。
時々漫画の主人公が「運命を変える!!」とか言うことがあるが、それも私からしてみればそう発言することは決まっていて、その後ピンチから逆転することも決まっていることだと、そう思うのだ。
全ての出来事が決まっていること、それに名前をつけるとしたら、「運命」になるのだと思う。

私はこれらのことをドミノ倒しのようだと思っている。
私たちは整列したドミノ一つ一つである。
その端っこのドミノをちょんと神様が押す。
それが「原因」となり次々にドミノが倒れるという「結果」が現れる。
あるいは、作品を制作する漫画家のようなものだとも思う。
シナリオ中にばらまく伏線はまさに「原因」である。
伏線を回収していくとエンディングという「結果」が生まれる。

私たちが住む世界は何かの物語の舞台なのか、あるいは神様にも何が起こるかわからない実験室なのか、そんなことはわからない。
しかし私は既に敷かれたレールの上を走らされているだけなのだと思うと悩みなんてちっぽけなものだと感じられる。
面白いことに最近の研究によると、ビッグバンが起こった際に宇宙が複数個生まれた可能性があるという。
もしかしたらもう一つの宇宙はこの世界とは全く様子が違うのかもしれない。
それを想像するのもまた一興、というやつだろうか。

4/3/2024, 5:48:14 AM

お題:大切なもの
タイトル:大切なものを守るには

あなたにとって大切なものは何ですか。

家族。
友人。
恋人。
お金。
名声。

人によって最初に思い浮かぶものは異なるだろう。
しかし、どれも失ってしまえばそれまでの生活ががらりと変わるくらいには大切で、欠かせないものだ。
優劣をつけるのはとても難しい。

ただ、今挙げたものに加えて、万人が大切にしなければならないものがある。
それは「自分」だ。
決して私がエゴイストであるわけではないし、エゴイズムを押しつけようとしているつもりはない。
大切なものを得よう、あるいは守ろうとするのに自分を犠牲にするのは本末転倒であると言いたいだけだ。
自分を失くしてしまえば大切なものの恩恵を受けることもできないし、大切な人を傷つけ、悲しませることにもなる。

多かれ少なかれ、窮地に陥ることは誰だってある。
そんなときは自分を失くす前にまず他の人に悩みを打ち明けることをお勧めする。
あなたにとって大切な人でも、そうでもない人でもいい。
それが結局は大切な人、大切なものを守ることに繋がるから。
あなたが悩んでいるのを見て、嘲笑ったり貶したりする人は世の中にそう多くはない。
それよりはむしろ、励ましたり力になってくれる人のほうが多い。
これは私の経験則でもある。

長くなってしまったが、一番言いたかったことは、「自分のことも他と同じくらい大切にしてほしい」ということだ。

4/1/2024, 3:13:00 PM

お題:エイプリルフール
タイトル:頑張って捻り出した嘘

実は私…
なんと空が飛べるんです!!!

…嘘です。

3/31/2024, 2:03:41 PM

お題:幸せに
タイトル:幸せと価値観

私事で申し訳無いが、最近、家の片付けを頑張っている。
と言っても、私は物がなかなか捨てられないタイプの人間で、進捗はあまり芳しくない。
懐かしくて捨てられない物を掘り出す度に、ミニマリスト(最少限の物を所持することをよしとする人)が羨ましくてたまらないと感じる。

ではミニマリストは思い出に執着しない薄情者なのかというとそうではない。
物に溢れる現代で、自分が本当に好きな物、お気に入りの物だけに囲まれて生きるのが幸せだと感じる人なのだと思う。
恐らく本当に大事な物を見極める力に長けていて、良い思い出も心に永く刻んで忘れないでいることができるのだろう(思い出の品は写真に収めて手放す人もいるそうだ)。

と、長々と述べてしまったが、総じて何が言いたかったかというと、幸せだと感じる価値観は十人十色で対立することだってあるということだ。
当たり前のことだがついつい忘れてしまうことがある。
価値観を押し付けてしまったり、押し付けられた価値観の中で肩身が狭い思いをしたり、価値観の違いから争いに発展したり…そんなことは日常茶飯事だ。
だから⸺これも当たり前のことだが、世界中の全ての人が幸せだと感じる世界なんてない。
実現は不可能だ。
それでも互いの「幸せ」を認めあい、妥協しながらも助け合って生きていけるような、そんな世の中になれば、少しは人類の理想に近づいたといえるのではないだろうか。
はたまた、そんな理想を掲げることすらも贅沢なのだろうか。

今、私は家のリビングでこの文章を書いている。
隣のテレビでは高校生の弟が銃でインクを掛け合うあのゲームをしている。
弟は試合に負けそうになるとよくイライラして大声で叫ぶ(近所迷惑なので早くやめてほしい)。
その度にうるさい、静かにしなさいと家族で咎める。
私も家族もうんざりしているので、ある時「そんなにイライラするならゲームをやめればいいのに」と彼に言った。
すると彼は「そんなにイライラはしていない、試合に勝つと楽しいから続ける」というようなことを言った。
…これも価値観の違いだろうか。

Next