みとり

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お題:幸せに
タイトル:幸せと価値観

私事で申し訳無いが、最近、家の片付けを頑張っている。
と言っても、私は物がなかなか捨てられないタイプの人間で、進捗はあまり芳しくない。
懐かしくて捨てられない物を掘り出す度に、ミニマリスト(最少限の物を所持することをよしとする人)が羨ましくてたまらないと感じる。

ではミニマリストは思い出に執着しない薄情者なのかというとそうではない。
物に溢れる現代で、自分が本当に好きな物、お気に入りの物だけに囲まれて生きるのが幸せだと感じる人なのだと思う。
恐らく本当に大事な物を見極める力に長けていて、良い思い出も心に永く刻んで忘れないでいることができるのだろう(思い出の品は写真に収めて手放す人もいるそうだ)。

と、長々と述べてしまったが、総じて何が言いたかったかというと、幸せだと感じる価値観は十人十色で対立することだってあるということだ。
当たり前のことだがついつい忘れてしまうことがある。
価値観を押し付けてしまったり、押し付けられた価値観の中で肩身が狭い思いをしたり、価値観の違いから争いに発展したり…そんなことは日常茶飯事だ。
だから⸺これも当たり前のことだが、世界中の全ての人が幸せだと感じる世界なんてない。
実現は不可能だ。
それでも互いの「幸せ」を認めあい、妥協しながらも助け合って生きていけるような、そんな世の中になれば、少しは人類の理想に近づいたといえるのではないだろうか。
はたまた、そんな理想を掲げることすらも贅沢なのだろうか。

今、私は家のリビングでこの文章を書いている。
隣のテレビでは高校生の弟が銃でインクを掛け合うあのゲームをしている。
弟は試合に負けそうになるとよくイライラして大声で叫ぶ(近所迷惑なので早くやめてほしい)。
その度にうるさい、静かにしなさいと家族で咎める。
私も家族もうんざりしているので、ある時「そんなにイライラするならゲームをやめればいいのに」と彼に言った。
すると彼は「そんなにイライラはしていない、試合に勝つと楽しいから続ける」というようなことを言った。
…これも価値観の違いだろうか。

3/31/2024, 2:03:41 PM