街の明かり。夜になっても消えない。眠らない街。
灯がついてるということは、人がいる。
人がいるってことは安心か?
昔話でも夜道を歩いていて家があると、ホッとする描写は多い。
でも最近はどうだろう。
最近、治安が悪化して時に人が怖い。
夜道に家があっても安心どころかなんか怖い。
明かりは人を守るためにできたろうに。人間模様がさまざまで、安心できない。
過剰に不安を持ちすぎるのもなんだけど、警戒は大事。
酔って道に寝るとか論外。日本はそんな安心じゃないよね…。
楽しく長生きするためにも、怪しげな道や地域を夜中通るのはやめよう!
安心できる灯が沢山灯る街に住みたいけれど、自分の身は自分で守る意識は子どもも大人も持っていきたい。
やりたいこと、とできることは。違うこともあるよね。
できることからやっていったら、いつの間にかやりたいことと一致していった。
これが理想かも。
今はできないけどいつか、やりたいことをできるように追い求めるのも、良いけれど。
それで結局できなかった、と過剰に落ち込む必要はないような。
やりたいことが、やらねばならないこと、にすり替わって自分を苦しめてないか?
道は沢山ある。
そんなことも意識しつつ、無理なく生きていきたいなー
朝日の温もり。丸い猫。レースカーテンたなびく、木漏れ日。幼い頃床でお絵描きした。
1日の時間が長かった。楽しい時間は永遠に。
世の中のなんでも新鮮で、自転車を誇らしげに抱えてご近所さんに挨拶。
楽しく大きめのビーズ遊びしてたら、兄弟である赤ちゃんが鼻にビーズ詰まらせていつのまにかニコニコ。慌てて病院へ!
そんなある日の記憶が、垣間見えるそんな、温もり。
また蘇るのはいつでしょうか。また会いにきてくれるだろう。未来のある日。思い出の方から。
そろそろ
記憶のビー玉を引き出しの中に入れ、そっと閉じる。
岐路、人生の。
細かい2択は日々たくさんあるが、
人生ステージ変えるほどの選択肢は、大きなストレスを呼びおこすらしい。
それが良いものでも悪いものでも、鬱の引き金になることもあるという。
そういう意識を持ちつつも、実際は人の生死が関わるものじゃなきゃ人生大丈夫なことは多いんだけどね。
本当は論理的には取り返しのつかないことはないのに、そう考えて命を経つ人もいるけれど、
他人の苦しみに大小なんてないし、気持ちはなんとなくわかる。でも絶望の淵越えたら、なぜか生きてて良かったと思うこともあるんだよね。(実体験)なんの理由もなくそう思う時が来るかもしれないのね。
旧友が1人、疎遠なうちに自ら亡くなったと何年も後になって知らされた。共通の友人がおそらくそのせいなのか、病んで様子がおかしい。
疎遠だったし助けられなかったし理由もわからない。ショックを受けた。もの凄い仲がよかったわけでもないが、おにぎりの特売とか、そういうくだらない話した記憶蘇る。
見えないところでも生きてたら、嬉しかったのに。一生会うことがなくてもね。でも本人はその時岐路に立たされたんだろう。
できる限りみんなに生きてて欲しいな。見えないところでも。それが心の励みになるんだよな。本当に。みんなそれぞれ生きていよう。
世界の終わりに君と。
君って誰かな〜自分にとって。
世界の終わりとしても、複数人はいて欲しい。
私は色々あったけど、まずは家族かな…。
色々ひどいことも言われたし、幻滅なんだけどギリ縁切るほどじゃなかったし。
イライラしたり、ホッとしたりしながらなんとなく縁は繋がってきた。
うーん人間関係って波があるしね、良い方に変わっていける人間関係が最後残ってると嬉しいな。
完全に疎遠になってしまった友は。少し寂しいけど今更連絡できない。いや、してもいいんだけど、なんとなく気が引ける。
どうしよ〜、とたまに思うけど結局何もできないな。
その人の代わりがいるわけではないが、人生ステージが変わると、
新たな人間関係が生まれるかもしれない。
人間関係は途切れたりもするので、
考え込むと少し悲しくなってくることもある。
でも人生大きく道を踏み外したりしなければ、きっとなんらかの形で人間関係は築けるだろうな。
健康で自立が第一で、健全な心があってこその人間関係だよね。
まずはそこをやっていけば、良い方向に向かっていけるかも。
あまり悩みすぎないようにしよう。