天気の話なんてどうだっていいんだ、僕が話したいことは、、
といいつつやっぱりずっと天気の話してたい時がある。
人に深い話をするのが苦手で。
心が疲れてる時は特にそう。
天気の話レベルの浅い?話を毎日毎日繰り返した結果、
運が良ければ?
ある日その人に安心感が芽生え、深い話ができる気がする。
当たり障りのない社交辞令。
こういうのの積み重ねも人間関係で、侮れない。
こういうのを受容してくれるのも、一種優しさな気がする。
人が心の中にあることや人間性全ては、言葉に出てこないような気がするから。
なんなら言葉よりも口調や表情に、気持ちが表れてたりするし。
社交辞令は、心をなかなか開けない人が薄らとでも人間関係を築くための、命綱と思ってる。
あと、いくら親しくても、なんでも分かり合える!なんてないと諦めている。
なんならまともに話も聞いてくれない人も多い。少し悲しいけど、恨まない。恨めない。人は変えられないから。
極論だけど、常に深い話して満足できると思ったら、ある日大喧嘩、大絶交!
死ぬまで会わない場合と、
毎日やたまに挨拶して細く長く続く友人や知り合い、とどちらが心の支えになるのか?
答えはきっともっと長く生きないとわからないけど、
今後も多少の寂しさを抱いて生きるだろう。でもきっと、それが普通のことだしそんな自分を認めていきたい。
ただ、必死に走る私。何かから逃げるように。
逆行するベルトコンベアーの中で。
得体が知れない何かの上にいる気が、たまにする。この流れがどこに向かうか知らないけど。
後ろに引き戻されるのは必ずしも悪くはない。思わぬ新鮮な風景が見えるかもしれない。
気まぐれにベルトコンベアーが流れる向きが変わるかもしれない。
急にスピード出るかもしれない。もしスピードがどんどん速くなったら…故障か?怖い!てなるかも。
想像してみたらなんか、想像できてしまった。
ベルトコンベアーなんて乗ったことないのに。
ともかく今日はもう疲れた、
このまま流れるように寝てしまおう
「ごめんね」謝ること多かったが、それ本当に謝ること?最近我が身を振り返る。
開き直って謝るべきこと、を謝らないのは良くないけど
謝りすぎるのも問題かも…。卑屈なのも悲しくなってくる。
一方、心がこもらなさすぎるのも、言う方も聞く方も虚しくなってくるし。
謝るのはともかくその後どのように行動を変えるか?そっちが重要だよね〜。
関係ないけど、この一つ前のお題「半袖」。送るか迷ってるうちに過ぎちゃったな。
蒸し暑いし、ぼちぼち半袖に変えていこう。
おしゃれなプリントTシャツとか、いろいろ試したい!
今日の心模様。
悪いような良いような。
普通かな。ともかくやるべきことをやらなきゃって感じ。
一時はウィンドウショッピングとか、その他娯楽の、手軽に気分上がるものに執着してた時期もあるけれど。
普通に金がなくなるし、キリがないので虚しくなってきて。
娯楽ばかりに目を向けてると、生活荒れるしね…。
近頃は、ともかく基本的な生活を頑張ろう。
疲れてぼけっとしてしまっても、いつでもいいから巻き返そう。そんな気持ち。
天国と地獄。か。
これらが本当に存在する物なのか知らないけど、
ともかく人として道に外れたことはやらぬように、生きよう。それが先人から続く知恵なのでしょう。
ただ人として生きるためには、人は生き物でもあり。食べ物として他の生命を奪ったり、害虫だとか言って殺しちゃってるのは正直免れないというか。
はっきり言って、人として何が正しいかわからんが。
ともかくも、社会に揉まれ、時には自然を感じ…無理ない程度に人ってなんだろう?と考えながら生きてくことだな。