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天気の話なんてどうだっていいんだ、僕が話したいことは、、

といいつつやっぱりずっと天気の話してたい時がある。

人に深い話をするのが苦手で。
心が疲れてる時は特にそう。

天気の話レベルの浅い?話を毎日毎日繰り返した結果、
運が良ければ?
ある日その人に安心感が芽生え、深い話ができる気がする。

当たり障りのない社交辞令。
こういうのの積み重ねも人間関係で、侮れない。

こういうのを受容してくれるのも、一種優しさな気がする。

人が心の中にあることや人間性全ては、言葉に出てこないような気がするから。

なんなら言葉よりも口調や表情に、気持ちが表れてたりするし。

社交辞令は、心をなかなか開けない人が薄らとでも人間関係を築くための、命綱と思ってる。

あと、いくら親しくても、なんでも分かり合える!なんてないと諦めている。

なんならまともに話も聞いてくれない人も多い。少し悲しいけど、恨まない。恨めない。人は変えられないから。

極論だけど、常に深い話して満足できると思ったら、ある日大喧嘩、大絶交!
死ぬまで会わない場合と、

毎日やたまに挨拶して細く長く続く友人や知り合い、とどちらが心の支えになるのか?

答えはきっともっと長く生きないとわからないけど、

今後も多少の寂しさを抱いて生きるだろう。でもきっと、それが普通のことだしそんな自分を認めていきたい。

5/31/2023, 10:55:20 AM