幸せになること。それは、全人類の共通目的だと思う。
人それぞれ、幸せの種は違う。家族を持つ、大金持ちになる、ゲームをする、好きなことで生きていく。今は不幸でも、最期に幸せだと言えるように、必死で生きていく。
幸せになること。それは、時に人を縛る。
人それぞれ幸せの種は違うのに、社会に染みついた固定概念で、幸福者と不幸者に分けられる。幸せなのに、不幸だって言われる。
人それぞれ幸せの種は違う。だから、他人の概念なんて気にするな。私が、君が、彼が、彼女が、幸せだと思えること。それを追求して、どうか末長く、幸せになってください。
私はどうやら、溜め込むタイプの人間らしい。
最近、人間関係を保つのが面倒になった。頼みを断れない、相手を第一に考えてしまう、周りの目を気にしてしまう。これらは悪いことじゃない。人間が生きていくのに必要なことだ。ただ、ストレスが溜まる。
私は都合のいい人間でいるために努力する。だから、他人に嫌われまいと都合のいい人間のふりをする。どんな無茶振りをされても、どんなことを言われても、どんなに利用されても。私は何気ないふりをして、私を騙す。
だからこそ、誰かの何気ない一言で救われるのだ。私自身が無意識に追い詰めた自分を引き戻してくれる、誰かの何気ない優しさに溢れた、何気ない一言。「何気ない」とは、心強い。
人間は皆、人生の終わりをハッピーエンドで迎えたいと思っている。とにかく幸せになることを最終目標として、勉強し、仕事には励み、日銭を稼ぎ、子孫を紡ぐ。
私ももれなくその一人だ。最期の瞬間、幸せだったと叫べるくらいの幸せを望む。多分それが、人間の生きる意味。
みんな、ハッピーエンドのために生きている。幸せになるぎむをまっとうするために、本能的に幸せを追い求める。
それでも、時に他人の不幸を望んでしまうとは、なんて愚かなのだろう。
見つめられるって、いいことだと思う。
あなたの瞳に私が映って、私の瞳にあなたが映る。
色彩豊かなその風景の中に混ざって、あなたは存在し、私も存在する。
あの日、私は君に堕ちた。
キラキラと輝く君を見て、鼓動が高鳴る。
私の心でありながら、それは君に操られているようで。
もはや、私のものではない。
私の心は君のもの。
My heart is yours.
これまでも、これからもー。