人間は浅はかな考えをしたがる。
2つのどちらが良いか決めつけたがる。
又は善悪を決めつけたがる。
その方が
頭の中で管理するのが楽だから。
お金持ちと貧乏、男と女、
健康な人と不自由な人、
日本人と外国人
何でも良い!
比べる事で人は優越感を覚えたり
見下したりする。
日常で自然と考えてしまいがことだ。
そしてその気持ちを利用して
分断、または対立させようと
してるいる人達が居るのも事実。
人は辛い経験や、
優しい事に接したり、
愛情に触れ合うと
冷静な判断をして、
自然と疚しい気持ちが少なくなったり
小さくなる人も多い。
優しさと言う、風景、言葉、音楽に
触れて居ると2選択から遠ざかっていく。
広い知識や柔軟な思考で
全てで補えば世界はもっと広がる。
広がった世界から得られるモノは
大きい。
テレビからは楽しいや、悲しい、
辛い、怒り、と色んな感情を受けるが
受け取る側をコントロールするように
意図的に創られるのかな?
善の中にも悪はあるし
悪の中にも善はある
どちらかと偏った捉え方は
躓いたり転んだりする結果になる
日々の知識と、気持ちの
アップデートや上書きは
大切かな。
猫がそばで寝てる
聞こえるか聞こえないか
分からないくらいの寝息をたて
目をつぶり幸せそうで
気持ち良さそうな顔して寝てる
私がたてる多少の物音も気にせずに。
外に居る猫なら
ほんの小さい物音にも反応し
見逃さないのだろう。
家の中に居て
長年一緒にいる私を
空気のように思ってくれる猫
それは信頼してるからだと思う。
何年か前に虹の橋を渡った猫がいる
その子が旅立った日が近づいたある日
背中越しに猫の気配がする
しっかりとした動きではなく
触れるか触れない位の微妙な動きだ。
最初は他の猫が
私の背中に居るのかと思い
周りを見渡すとちゃんと2匹居る。
では背中越しに動いていたものは?
昔の私ならお化けかな?
霊的な存在のものかな?
と、とにかくびっくりしてたんだろうけど
感じた気配の事が
旅立った猫が帰って来て
傍に居るよ!近くに居るよ!
って勝手に想ってしまう。
大切な動物の家族が
旅立って悲しい、辛い、やりきれない
もう2度と迎え入れたいと言う気持ちに
ならないという話を聞いて
私には旅立ったけど
他の2匹の猫が
居てくれて本当に感謝だった。
もし旅立った猫1匹だけだったら
同じように新しく
迎えるのは無理な気がする。
居なくなった猫を忘れる訳では無いが
旅立った事を認めるたり
受け入れたりすることに、
残っている猫が、
努めて働きかけてくれたのかなあと
感じる。
人もそうだけど、
時間が過ぎれば忘れるなんて聞いたことあるけど
自分の中にちゃんと受け止める事が
悲しみを癒やしてくれる事に
繋がるかな。
大切なもの
叔母さんの旦那さんが亡くなって3年。
会うと会話の中に出て来るのは
死んだ叔父さんの事。
もっと何何してあげれば良かった、
何何出来なかったのを後悔してる。
と、辛い思い出ばかりみたいだ。
私は何と返せば良いか分からず、
黙って頷いて居たけど
、ある本を読んでから、
どうしたら良いか分かった様な気がする。
その本には、
死んだ事を受け入れられない、
後悔ばかりして、悲しんでる人には、
時間だけが解決する方法ではなくて、
その人と
「一緒に悲しみを共有してあげることと、
託された想いを見つける」
ことだと書いてあった。
小さい時から知ってる叔父なのだが
下手に叔母さんの思い出に入らない方が良い、
と勝手に解釈して
共感しなかった自分が子供だなと思った。
人は独りでは生きて行けない
叔母さんと同じ悲しみの深さには
なる事は難しいけど、
悲しみを
受け入れ、話を聴くことは出来る。
叔父さんの話をしよう、
記憶を辿って
少しでも和らぐように。