2人で手を繋ぎながら歩道橋を渡っていたときのこと。下りの階段を下っている途中で、階段の終わりに蹲っているおばあさんを見つけた。何やら立ち上がれずに困っているようだった。転んで足を挫いてしまったのだろうか。通りががる人はそれなりにいたけれど、誰もが彼女を知らんぷりで通り過ぎていく。階段を降りながら、私は小さな葛藤を感じていた。助けた方がいい、声をかけるんだ、と思う私と、断られたら嫌だし、どう助けたらいいかわからないし、やりたくないな、と思う私。私がそんな葛藤をしているときに、隣の彼は動き出した。
「大丈夫ですか?どうしましたか?」
彼は、私の手を離して、おばあさんへ駆け寄っていく。私はそれを呆然と見ていた。私が迷っている間に、彼は助ける決断をしていたんだ。
私もすぐに我に返り、慌てておばあさんのもとへ駆け寄る。
「そこで転んじゃってねえ、立とうとすると足が痛くって。ひとりじゃどうにもならなくてねえ」
おばあさんはそう言った。彼はうんうんとおばあさんの話をきくと、私を振り返って口を開いた。
「なあ、このへんって病院あったっけ?」
「整形外科だよね?今調べる」
スマホを取り出して、近くの整形外科を調べる。いくつかヒットした中で、一番近く、今日開いてる病院はここから徒歩8分の距離だった。
「あったよ。徒歩8分」
「俺、おばあちゃんおぶってくから、アイはおばあちゃんの荷物持ってナビしてもらっていい?」
「うん。わかった」
「おばあちゃんもそれで大丈夫かな?」
「ええ、大丈夫よ。悪いわねえ」
私がおばあさんから荷物を預かって、彼がおばあさんをおぶった。そうして、スマホのマップを頼りに病院まで歩き出した。
10分ほどかかって病院に到着した。病院は空いていた。彼はおばあさんを椅子に座らせ、受付の人に事情を話して戻ってきた。
「おばあちゃん、すぐ診てくれるって。よかったね」
彼はニコッと笑っておばあさんに言った。おばあさんは安堵したのか、彼の笑顔に釣られたように笑った。
少ししておばあさんの名前が呼ばれた。彼はおばあさんを介助する看護師さんを手伝いながら、一緒に診察室へ入っていった。私はここで荷物番だ。
しばらくして、診察室から彼だけ出てきた。
「おばあさんどうだったの?」
「捻挫だったみたい。さっきおうちの人と連絡ついて、迎えに来てくれることになったから、一安心だな」
「そっか、よかった」
私は肩の力が抜けるのを感じた。無意識に緊張していたらしい。
「おばあちゃんに一言挨拶したらデートに戻りたいなって思ってんだけど、いいかな?てか、デート中に勝手にこんな付き合わせてごめんね」
彼は、眉を下げて申し訳なさそうにしている。
「うん、大丈夫。てか、そんなん気にしないよ。私も手伝えてよかったし。あと――」
私が『君のかっこいいところをまた見つけられて嬉しかったし』と言いかけたところで、おばあさんが診察室から出てきた。足首は固定され、片方杖をついている。
おばあさんが椅子に腰掛けるところまで見届けると、彼は自分の荷物を背負い直して、口を開いた。
「おばあちゃん、俺らもう行くね」
「そうかい。ここまで本当にありがとうねえ。何かお礼がしたいんだけど」
「いや、お礼とか良いよ。困ったときはお互い様ってよく言うだろ」
「そうは言ってもねえ」
「ほんといいって。ね、アイ?」
「うん。ほんと。お礼だなんて、大丈夫ですよ」
私はおばあさんの荷物をまとめて、お渡しした。そして自分の荷物を持ち直して、彼と共に病院を出た。
彼は私と手を繋いで、一歩前を歩いている。ロスした分の時間を取り戻すような足取りに、私は黙ってついていく。
彼の背中を見ていた。
多くの人が見て見ぬ振りをしていても、彼はそうしなかった。私が迷っている間にも、きっと迷いなく、助ける決断をしていた。そんな背中はなんだかいつもより大きく見えて。胸が焦がされるような熱い気持ちが押し寄せてくる。私はその衝動のままに彼の背中を軽く叩いて、
「かっこよかったよ!」
と言いながら彼の隣に並んだ。
彼は照れたようにはにかんで頭をかいた。
私も君みたいに迷わず助けの手を差し伸べられる人になりたい。君に並んで恥ずかしくない人間になりたいから。
その大きな背中を思い出しながら、憧れを胸に抱いて、私は繋いだ手を少し強く握った。
授業中、窓際の席で頬杖をついて外を見ている君。
僕はそれをひっそりと後ろの席から見ている。
外へ向いた君の瞳はどこか遠く……遥か未来を見ているのか、戻れない過去を見ているのか。僕には今が映っていないように思えて。
同じ教室、数メートルしか離れていないこの距離なのに、君が遠い。
君の視線の先、遠くの何かを僕も見ることができたなら、君の隣に並べるだろうか。
そんな事を考えながら、今は遠い君を見つめている。
俺は、宇宙人だ。この地球に不時着して、母星とも連絡が取れず、途方に暮れていたら、地球人に保護された。そして、今、行方不明で捜索願が出されていた串田哲夫という男として暮らしている。俺はたまたま串田哲夫と非常によく似た容姿だったらしく、勘違いされてそのままここまで来てしまった。串田哲夫の妻も娘も、失踪中に何かあったのだろうと、俺が元の串田と違うことがあっても大して気にしていない。おかげで俺は地球で宇宙人と疑われることなく生活できているのだが、さすがにおおらかすぎないかと心配になる。
串田哲夫としての生活に慣れるのは大変だったが、今は串田哲夫が元々働いていた会社で俺も働いている。失踪していた串田哲夫に周りはとても優しかった。串田哲夫が失踪しようと思った理由はイマイチ分からなかった。
俺は今や、地球人の串田哲夫に完全に成り代わってしまった。俺は今の生活をとても気に入っている。最初は他人としか思えなかった妻と娘も、今では大切な家族になった。
元々の串田哲夫には悪いが、俺はもうこの生活を手放すことはできない。俺は自分の真実を、誰も知らない秘密にしたまま、ずっと抱え続けていくつもりだ。
静かな夜明け 後日書きます
前回書けなかったので2日分投稿です
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永遠の花束
貴女は美しく愛らしく聡明でユーモアがあって……いろいろな色を見せてくれる、花束のような女性だった。
亡くなってしまった貴女が灰色に朽ちてゆくのが耐えられなくて、私は魔法を使った。
“永遠の魔法”と呼ばれるその魔法は、貴女の美しさも愛らしさも聡明な瞳も楽しげに笑う口元もそのままに、永遠にこの世界に留めてくれる。貴方は永遠に色褪せない。
ベッドの中に永遠の貴女を横たえて、眠るその横顔を眺める。毎日毎日そうして過ごす。周囲の人間は私を異常だと言うけれど、私からしたら周りの方がおかしい。この花束のような女性がこうして目の前にいるのに、眺め愛でずにいられるなんて。
私は今日も貴女の横顔を眺める。貴女と過ごしたわずかな記憶も花びらのように貴女の姿を彩る。永遠の花束はここにある。ああ、ああ、私は幸せだ。
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heart to heart
弟と喧嘩した。理由は弟の進路のこと。中3になった、7歳年下の弟は、普通の高校ではなく専門学校に行きたいのだと言う。両親は「ショウタがきめたことなら」とあっさり専門学校の受験を許したようだけど、私は納得いかなかった。だって、ショウタは頭が良くて、どの教科も同じ歳の頃の私よりずっとできて、何にでもなれそうな可能性の塊みたいな存在なのに、その可能性を捨てて、今から1本の道に絞っちゃうなんて、ものすごくもったいないじゃない。だから、私は弟に言った。
「ショウタは視野が狭いのよ。もっと他のものにも目を向けなさいよ」
すると弟は、
「視野が狭いってなんだよ。てかなんでリコ姉に俺の進路に口出しされなきゃいけないわけ。俺が決めたんだから構うなよ」
と冷たく言われてしまった。
そこからしばらく冷戦状態。同じ食卓についていても会話はなく目も合わない、おはようもおやすみもない。
つらかった。つらい中、考えた。そして、私は結局、数多ある可能性を捨てて選んだ1つの道のその先で、壁にぶつかったり折れそうになったりした時に、ショウタが後悔するんじゃないかって心配で怖かったのだと気づいた。
私は決意した。それをもう一度ショウタに伝えてみようと。
勇気を出して、ショウタの部屋のドアをノックした。
「誰?」
「姉ちゃんだけど。入っていい?」
しばらく沈黙があって、ドアが開いた。弟は私を部屋に招き入れてくれた。
「何の用?」
問いかけてくる声は相変わらずどこか冷たい。
「あのさ、この前のことなんだけど。進路の。本当は私、あんたが一本道に進んだ先で後悔して傷つかないか心配で。だったらまだ1つを選ばないほうがいいんじゃないかって思ってあんな言い方になった。ごめん」
今度は考えに考えた心からの言葉を、まっすぐ目を見て伝えた。
「……俺も無視したりしてごめん。リコ姉に俺の考え方とか夢とか全部否定されたみたいな感じして嫌だった。」
ショウタはうつむきがちだった顔を上げて、私の目を見て言った。
「俺、これから行く道で折れたり傷ついたりしないって言い切れない。たぶん姉ちゃんにも父ちゃんにも母ちゃんにも心配かけるときはあると思う。それでも、やってみたいんだ。やらずに後悔するより、やって後悔したい。
俺、普通の高校に行ってもきっと楽しいんだとは思う。でも、やってみたかったなって気持ちを何処かで抱えたまま過ごすのは嫌だから」
「それだけ、やりたいことなのね」
「うん」
答えるショウタの目には決意が満ちていて。私の心配は消えないけれど、それでもこの子なら大丈夫だと、そう思った。
「あんたとこうして話せてよかった。姉ちゃんは、これからもあんたのこと心配はするけど、前みたいに余計なことは言わないから。でも、必要なときはちゃんと頼りなさいよ」
「うん。俺も話せてよかった。ありがと」
私はショウタの部屋を出た。
たった数分だったけれど、心と心で向き合って話せてよかった。
私は穏やかな気持ちで廊下を歩いた。