昔、「死にたくて堪らない」と
とあるチャットルームで叫んでいる女の子がいた。
チャットルームの住人は
「そんなことないよ」「大丈夫だよ」
「生きていれば良いことあるよ」と
持てる限りの言葉を尽くして慰めたけど
「そんな言葉いらない」と彼女には何も届かなかった
私は入室して彼女に言った。
「どんな感じで死にたいですか?」
「え?」
「どうせ死ぬなら自分の望む形で死にたいじゃないですか。」
彼女は少し戸惑っている様子だった。
チャットルームの住人達は「なんて事言うんだ」と
私を糾弾し始めた。
彼女はしばらく悩んで
「私、キノコになりたいんです」
と答えた。
「え?」
今度は私が聞き返した。
「ヨーロッパで、死んだ後に菌を埋め込んだスーツを着せてキノコを栽培する、キノコ葬というのがあるんです」
彼女は生き生きと答えた。
その生えたキノコ、どうするんだろうか。
食べるんだろうか。それもどうなんだろうか。
でも
「面白くないですか?」
と屈託なく笑う彼女を見て
私は「善い質問をした」と思った。
願い事は時間制限がある。
光が消えるまでの間に3回正確に唱えることができたら願いが叶う。少しでも遅かったり、途中で噛んだりしたら失敗だ。それが流れ星のルールである。
願いを叶えるのは、宇宙にいるよくわからない存在であるし何故3回なのかも、光が消えるまでなのかも理由はよく分からないが、理由などない魔術的な儀式なのだからそれに従うしかない。そう、魔術なのだ。空を見上げていずれ消える儚いもののために必死で口を動かすことが。
最近は人口でも流れ星を流せるようになったらしい。
どこかのベンチャー企業がそんな取り組みをしていると何かのテレビ番組で聞いた。
お祭りで花火の代わりに流れ星を、なんて日も近いのかもしれない。
自然の中に魔術があるのだと、昔は思っていた。
だから自然を人口物に置き換えると色んな不具合が起きるのではないかと、恐怖したこともあった。
でもこの場合、自然というのは祈りを捧げる人の心だろう。心は最も大きな自然で、魔術的なものである。
私が引き寄せの法則だの、スピリチュアルを好まないのはあれが安い魔術であるからという理由である。
金や地位だけではなくもっと大きなものを想像し信じ、偉大なる魔法使いになることこそ目指すべきではないだろうか。
そんなことを思う。