「衣替え」今年の猛暑は記録的だった。それでも、10月中旬だから、そろそろ衣替えの時期だと思っていた。しかし、10月中旬で気温30度の日もあった。いつまで夏日が続くのか。日中は半袖、朝晩は長袖で過ごす。半分半袖、半分長袖のTシャツを作ったらどうかと思う。ネーミングは・・・半分不思議 T とかハイブリッドTとか衣替えTなんてどうでしょう?
イーナ
「涙の理由」は一つではないと思う。いろいろなことが思い出され、涙を流す。自分のことで泣いていなくてもいつの間にか自分に照らし合わせて泣いているから不思議だ。また、目に見えて涙として流れているだけが泣いている訳ではない。心で泣いている場合もある。理由は一つではないが、涙で心が洗われるのは確かだ。
イーナ
「ココロオドル」どうしてカタカナ?
歴史の中で、カタカナは漢字を学ぶ際のメモ書きという説がある。「心踊る」より躍動感のある「心躍る」よりは「ココロオドル」の方が背景があるのかな。う〜ん「ココロオドル」よりも「こころおどる」の方がいいかな。今度「ココロオドル」時、3種類の使い分けをしてみようかな。そうすれば、日本語の良さが実感できるだろう。ウキウキ、うきうき、浮き浮き、 ワクワク、わくわく、湧く湧く
イーナ
「力を込めて」何かをしている時は、過程であると思う。その時は気づかないだろうが、何かを成し遂げ、少しずつ前へ進んでいる。「力を込めて」何かをした後、夢中までいかなくても得られるものはかけがえのないものだ。次の「力を込めて」で何かをしてもいい。99回の「力を込めて」の後、100回目に夢中になることもあるだろう。99回の「力を込めて」を継続する力があれば100回目も夢中にならなくても、それはそれでよい。その都度、しっかり向き合っているのだから。人生100年、何回も「力を込めて」
イーナ
「過ぎた日を想う」ことは、最近多い。歳を重ねるとなおのことだ。「あの時こうしていたら、今どうなっていたのだろうか」とあれこれと考え、後悔したとは思いたくないので、「あの時こうしたから、今こうなっている」と思い込む。「我思う故に我あり」と、フランスの哲学者であるデカルトの言葉を思い出す。「私は考える、だから私は存在する」という意味だ。「私は過ぎた日を想う、だから、私は存在する」だから、「私達は過ぎた日を想う故に私達の存在は価値あり」だ。素晴らしいことだと想う。
イーナ