青いスーツケースを引っ張って坂道を登る。
雨は止んだけど、まだ灰色の重い雲がもくもくと広がっている。
また降り出すのだろうか。
「急がなくちゃ!」
今日からしばらく旅に出るのだ。
ずっと悩んでいた仕事を辞めて、南の小さな島へ滞在する。
この10年、これといった出来事もなく淡々と、でも矢のようにどんどん過ぎていく毎日。
ある意味しあわせな毎日。
誰に相談しても、辞めるなんてもったいないよ、その歳で辞めてどうするの?という答えだった。
でももう限界だった。
きつい坂道を登り切って着いたのは、少し開けた丘の上。
ここからは港がよく見える。
あの船に乗って、これから旅が始まるのだと思うと胸が高鳴る。
不安がない訳ではない。
私の選択は間違っているのだろうか?
旅から帰ってきたらどうなる?
ただの逃げなんじゃないのか?
そうやって不安を数えたらキリがない。
少しの間ぼんやりと港を眺めていたら、海の上に広がっている重い雲が切れ始め、雲間から一筋の光が海の上へ射しこんだ。
天からキラキラと、海上のその辺りだけ光で輝いている。
幻想的な光景に息を呑み、その瞬間、確信した。
「あぁ、きっとこの選択は間違っていない…!」
思わず天を仰いでありがとうと呟く。
そして勢いよく坂を降りて港へ向かった。
あの光の羅針盤が示す彼方へ出発するために!
すごく嫌なことがあった。
嫌なことがあるとものすごく眠くなる。
眠くて何もできない。
横になると全身の力が抜けていく。
あぁ、奈落の底に落ちていくようだ。
何も考えられない。
何も考えたくない。
何も考えなくて済む。
このままこの睡魔の手に落ちてしまえば。
目が覚めたら、また明日に向かって歩いていかなくちゃならない。
でも少しは足取りも軽くなっているかもしれない。
ほんの少しだろうけど。
あの時あんなふうに言ってしまったこと、本当は後悔してるんだ。
転校するって聞いて、それでもまた会えると思っていたから。
だから最後まで素直になれなかったんだ。
結局連絡しないまま、もう僕は社会人4年目で。
社内の人と付き合って近々結婚することになったよ。
それなのに、あの公園の前を通るとリコのこと思い出して今どうしてるかなって思うんだ。
それから、あの時ちゃんと僕も好きだって言ってたらどんな今になっていただろうって。
未練がましいかな。
いや、もう気持ちに区切りはついてるんだ。
ただやっぱりちゃんと伝えればよかったなって。
結婚する彼女はもちろん大切な人だけど、あの頃の僕のただひとりの君へ。
「ありがとう。僕もリコのことが好きでした」
あの頃二人でブランコに座って見上げた満天の星空が、今日も降り注ぐように広がっている。