#追い風
なんともまぁ難しいお題。けれどちょうど昨日、そうかもしれないと思えることがありました。
実家のクローゼットを片付けていた時、小学校の頃に書いた色紙が出てきました。習字か何かの時間に、色紙に好きな言葉を書きましょう、というやつです。他のクラスメイトが「努力は報われる」とか「諦めたらそこで試合終了」とか、前向きなことを書いている中、私は「過去は安い本と同じ。読んだら捨ててしまえばいい」と書きました。なんともまぁ可愛げのないガキ。なんで選んだのかは覚えていません。けれどこの当時、私は本が捨てられない人間でした。どんだけカスみたいな本でも大事に大事に、埃を被せておりました。そして、だいぶ過去に囚われている子供でした。今でもそうですが、昔よりはだいぶ軽く考えられるようになっています。そして本もアホほど買って積ん読し、カスであれば容赦なく売りに出します。人って緩やかであっても成長するものですね。
私は昨日この言葉を見かけた時、別の解釈をしました。「読み返してみれば、面白いかもしれない」。子供の頃嫌いだった本も、大人になってから読み返せば感情移入する相手が変わって好きになったりする。私の過去も、読み返してみたら存外普通の話なのかもしれない。あの頃の「人生詰んだな」という感覚が、今となっては「小石に突っかかったかも?」くらいになってたりして。読み返してみてつまんねぇな、と思ったら捨てたらいい。本を売ってもいいように、捨ててもいいように、私の過去もこうして世間に話してもいいし、記憶から消して無かったことにしてもいい。小学生の私からの、遠い遠い追い風が吹きました。
#君と一緒に
残念ながら、私には何かを一緒に、と思える『君』はいない。絶世の美女なのに。文明始まって以来の謎。
けど、相棒にしたいと思うものはある。ざっくりとした絵を描く時に使ってる万年筆。去年から絵日記みたいなことを始めて、スケッチブックを2冊と半分使った。けど途中から描かなくなって、しばらくただの生活の中の雑貨に紛れてしまっていた。勿体ない。ものは使ってこそ。今年は相棒!と言えるように日々一緒に記録をしていきたい。
#冬晴れ
私の住んでいるところは雪国に入る。冬の本番は2月からで、酷いときは5月まで雪が残っている。雪の降る空はいつも厚い雲に覆われていて、朝が来たのかも分からない。けど、たまに、光が差し込んで目が覚める時がある。眩しくて眩しくて、目も開けられない。やっと慣れてきて外を見ると、吹雪は止んで足跡ひとつない白銀の世界。けれど光を反射して白よりも赤みを感じる雪。寒くて起きるのすら億劫になる冬の朝、少しだけ嬉しくて少しだけ早く準備に取り掛かれる気がする、ちょっとだけ特別な日。
なんて、丁寧に描きすぎたかもしれない。実際のところは「うわ~積もってんな···雪かきしないと···」なんて可愛げのない感想しかなかったりする。雪国住みには雪に特別感なんてなくて、ひたすらに日常の延長線上にある。つまんないなぁ笑
#幸せとは
私、このお題苦手だ~···正直分からない。学生時代、よく先生が『あなたたちは恵まれてるんだ』と言っていた。世界には生きることすら出来ない子供もいるんだ、だから学校に通えるあなたたちは幸せで贅沢をしてるんだと。私はこの手の幸福論が好きじゃないし、理屈として成り立ってないだろと思う。だって日本じゃ中学までは義務教育、それなりに先進国で水道や医療は整ってる。『当たり前』の基準が違うのに、比較したって正しい結果は得られない。実際私が悩んでいたのはそんな当たり前の部分じゃなくて、先生が言う『贅沢』の部分で悩んでた。今となってはその悩みも思い出せないけど、このエピソードはこれから先も覚えてると思う。
結局、幸せがなんなのか今も分からない。美味しいものを食べたら美味しい!と思う。良いことがあったら嬉しい!と思う。欲しいものが手に入ったら心から良かった~!と思う。多分全部全部幸せなんだと思う。でも、私が死のうと思った時、この世界に留めてくれる程力を持ったものではない。幸せって、死ぬことへの未練になり得るものなんじゃないのかなぁ。じゃあ私には無い。なんせ溺愛して、されていたはずの彼氏がいても死のうとするような人間だから。愛してくれる人がいても、私は幸せじゃなかったのかな。いや、ちゃんと幸せだったような気もする。愛されて嬉しかった、幸せだった。けどやっぱり愛されてないなって気がついて結局別れた。
···相も変わらず、ぐるぐると考えすぎる。そんでもって、幸せってそんな大きなものだけじゃないよね。良い映画に出会えたとか、道で猫を見かけたとか、桜が綺麗に咲いてたとか、それだって幸せの一つではある。それに満足できるのもまた幸せだと思う。
私は、いつも不幸せにピントを合わせて世界を見てる。昨日より、誰かより、不幸な部分を見つけて勝手に私が不幸せな部分を見つける。別にそれが普通だから、今更どうこうないけれど。幸せを探して世界を見たことがないかもしれない。じゃあ今年は幸せにフォーカスするのが目標かな。あくまで私の幸せ、誰かと、何かと比較して出た幸福は除外できたらもっと成長できると思う。けど世の中は相対的に評価されるものだから、全くなしで考えるのは無理だろうなぁ。無常。
#日の出
一等先に思い付いたのは、才が日の目を見ることでしょうか。最も、そうなって欲しいと祈るばかりの人生です。いつもいつも、絶対に敵わない人が近くにいて、そして友達のように振舞ってくる。それはまぁ心が抉られるようでした。私ばかりが妬んで僻んでいるその様が、私の心の狭さや醜悪さを浮き彫りにしていく事もまた私を随分蝕んだものです。私も全く才を持たなければ良いものを、中途半端に持ち合わせてしまったせいで、相対的に私は落ちた評価をつけられ続ける。なんともまぁ不運なことか。
決して咲くことのない花は、場所を取るだけで邪魔なものでしょう。早く引っこ抜けばいいものを、どうも愛着が湧いてしまって隠すように育ててしまう。情けなくて愚かで虚しい。こんなに卑下してもまだ引っこ抜く気にならないのだから、これもまた不運なこと。いつか何かの手違いで、福に転じて花が咲き誇ってくれれば儲けものです。