1つだけ
何か1つだけ大切なモノ・コトを挙げろと言われると、私は、ほとほと困る。
けれども、たった1つ選ぶために考えを巡らせる過程は楽しいと思う。
これから先も、楽しく「1つだけ」を選べると良い。
この先の私はどんなモノを、どんなコトを「1つだけ」選ぶだろうか。
そう思うと、ワクワクしてくるのである。
大切なもの
恐ろしい単語である。
如何せん、「手前の大切なものは大切だから大切なのだ」という理由は通じない時がある。
社会的、あるいは道徳的など、世間一般に受け入れられる理由付けが求められる場面では、中々難しい。
幼少期から持っているぬいぐるみ
幼稚園の縄跳び練習のがんばったで賞(えんぴつ)
日記
手紙
部活道具
文献の数々
推しグッズ
大切なモノには種類がある。
大切の意味にも違いがある。
その全てに理由を付すなど、野暮なことではないだろうか。
エイプリルフール
ないし、4月馬鹿
4月あほ の方が語感が可愛いと思う。
どうか「幸せに」。
面白いことに、読んだだけではその意味はわからない。
表情、声色、場面・シチュエーション等々により、その意味は大きく変わると考えられるからである。
でも、たったの「その」ひと言で、伝えた相手にどれだけの重みを与えるのだろう。
確信的なところには言及されず、相手に委ねられるこの言葉。
一種の呪いとさえ思える。
言われたことは無いから、わからないけど。
伝えられた暁には、少し大人の階段を登ったと思えるのではないだろうか。
何気ないふり、というものは思いの外、主観的な表現だと思う。
「何気ないふり」をしても、他者が気づけばそれはその人の行動・立ち居振る舞いに当たるのではないのだろうか。
それでも「何気ないふり」をしてしまうのは、気まずい何かがあるのか、気になるものの今ひとつ勇気が出ないのか…。
私は「何気ないふり」が結構好きだ。
この表現には人の葛藤が詰まっていると思う。その分、見ていてモヤモヤすることもあるが、人の生き様が見えるのが良い。
他者から見た私もモヤモヤすることもあるだろうが、お互いさまだろう、、と思うことにしている。
明日は誰が「何気ないふり」をしているだろうか。
お題:何気ないふり