光と闇の狭間で
ボクは夜が苦手だ。
いろんな事を考えるにはもってこいの時間だが、
それ故に暗闇が苦手だった。
昔から、何も見えない暗闇が苦手で、いつも部屋、廊下、行先の電気を付けないと怖くて歩けないし、中学生になっても親がいないとトイレに行けなかった事もある。
そんなボクは、光が好き、という訳でもない。
光は眩しいし、キラキラしていて、ボクには無いものだ。
真っ暗な闇、真っ白な光。
ボクはそれを受け入れられる程、心は広くないし、それに対する感情も無い。ボクにとって、光と闇は本当に好きじゃなかった。
いや、漫画とかで見たら「か、かっこいい!」とは凄く思うけど。
それはそれとして、置いといて。
ボクは光と闇の狭間、そう、その間の色が好きだ。
強いて言えば、闇に光が刺した時に出る影が好きだった。
この前は仕事をしている時に、ふと窓に目を向けると、外の植物は光によって影が出来て、影は風に揺れていた。
それが手を振っているように感じて、微笑ましく思った。
まるで、植物が影でもいいから見てもらいたくて、挨拶をしているかのように、嬉しそうに優しそうに揺れた姿は、とても美しく感じた。ボクはそれを見て、マスクの下で笑顔になりながら微笑んだ。
まぁ、これ、マスクしてなかったら急に窓を見てニコニコ笑顔になっている変な人なってる、というのは秘密だ。
このように、光と闇の狭間にある色、影は凄く綺麗だった。
影はいろんな色になるし、何より生きてるように感じて美しい。
光と闇がある限り、影も存在する。
ボクは光にも闇にもなれない、影だと思う。
影はずっと、影のまま。
誰かに見つけてもらえるような色ではない。
誰かに見つけてもらいたい色でもある。
影はじっとしてれば、勝手に動いて、そっと存在感を出す。
影が薄ければ見つけてもらえない。
影が濃ければ見つけてもらえる。
影が同化すれば、それと一緒になる。
ボクはわざわざ何かになりたい訳でないから、
誰かの背後や地面になり、その人にふらっと合わせて動いて、
見つけてほしい時はボクが影を動かして、
大好きな人とは一緒になりたいから、影を揃える。
ボクはふらっと、ふわっと、さらっと、自由にぼーっと生きていたい。影もきっと、光と闇の狭間で生きる。
そんな影になりたい。
ボクはまた、次の影を見つけては微笑むのだろう。
それがどんな影として生きてるのか?
影はどんな風に、動いて、消えて、一緒になるのか?
それもまた、面白い生き方だ。
ああ、明日も影という狭間で生きていよう。
冬のはじまり
呼吸をして、息を吐いたものがこの目で見えた時。
ボクは冬のはじまりを感じる。
白い息は乾燥した寒い空気を具現化してるかのように見えて、
気づけば人は暖かい服を着て、温かい食べ物も食べて、
気づけばボクも暖かい服を着て、暖かい食べ物を食べている。
ボクは寒いのは苦手で、理由は朝起きるのが苦手になるから。
暖かいお布団にずっと入りたいし、でも外に出て冬の寒い空気を吸いたい。この複雑な気持ちを抱えながら毎年過ごしている。
冬は布団やこたつが愛おしく思う。
冬は暖かい食べ物も良いが、冬に食べるアイスも好きだ。
冬は今でも、外で食べる飲み物はアイスを選んでしまう。
外が寒がろうが、室内が暖かい関係なく、とにかくアイスを求める自分がいる。夏とは違う美味しさを感じるアイスはいつ食べも美味しい。
でもたまには熱い食べ物も、ホットも飲みたい。
本当に凄く寒くて凍えて、今から手から氷の魔法が使えるんじゃないかぐらい、体が冷えている時に、暖かい食べ物を食べると、いつの間にか全身から火の魔法が使えそうなぐらい体が暑くなる。
この二つの楽しみを冬は味わえるから楽しい、と思う。
その分、本当に朝が起きれないが、それも醍醐味だと思っている。
冬がはじまると、
外はイルミネーションで綺麗だし、
雪もかき氷みたいに美味しそうなぐらい降るし、
外が寒すぎて歯がカチカチ震えて鳴るし、
本当にミニスカートや短パンがとてつもなく寒そうに見える。
ボクはそんな冬が好きだ。
冬が来れば、一年の終わりを感じるし、始まりも感じる。
冬が来たら、人は凄く楽しそうだし、凄く大変そう。
冬が来ると、コタツの蜜柑が美味しく感じる。
冬は、寒いのに暖かい。
とにかく熱くて冷たい。
アイスもホットも美味しい。
冬って、本当に素晴らしいな。
なんて事を思いながら、今日も暖かい布団の中で眠る。
また明日、起きれたら起きてみよう。
起きれなかったら、そのまま寝ちゃえばいい。
だって、しょうがないじゃない。
冬の恋人はお布団なんだから。
では、おやすみなさい、また明日。
終わらせないで
必ず、物事は有限である。
美味しい物を食べる量も、
ぐっすり寝たい睡眠時間も、
月に使えるお金も、
四季が変わる月も、
この人生の時間も。
全ては有限であり、必ず終わりがある。
ボクはこの人生で、どこまで生きれるだろうか?
このキラキラした彩り鮮やかな美しい綺麗な景色は、
いつまでこの目で見れるのだろうか?
いつまで、いつまでボクはこの言葉たちを綴れるのだろう?
この先、ボクはどんな風に呼吸をして、
心臓を動かし、想像力でいっぱいな頭で考えて、
いろんな物が見える目で、いろんな事を考えれる心で、
いろんな事が沢山できる体で、どこまで生きれるのだろう?
楽しい事も、辛い事も、喜ばしい事も、
苦しい事も、怒る事も、悲しい事も、
感情として出すのは苦手だが、ボクは生きていたい。
言葉を伝えるのは苦手だ。
言語にして喋る事も、
表情に出すのも、
行動に出すのも、
生きるのが下手くそな臆病なボクでも、
まだ、この人生を終わらせたくない。
終わらせないで、なんてボクが使えば言葉は他人事かもしれないけど、ボクはボク自身に言う。
ボクはこの景色をまだ見たい。
沢山の色たちは絵の具のように混ざり、
声や音はコンサートにいるみたいに演奏して、
美しくて、醜い、汚いけど綺麗な、この地球にしかない景色を、ボクは見ていながら生きていたい。
まだ、ボクは何も知らない子供かもしれない。
年齢はどんどん大人になっていき、いつかはお年寄りになる。
最後はどんな景色なんだろう?
人生は有限だ、終わりは来る。
だからボクは全てを大切にしたい。
人が毎日いるように、人は毎日いなくなる。
ボクは毎日いるけど、いなくなる時もあるだろう。
ボクはその内、
この沢山の思いを伝えれないまま終わるかもしれない。
それは現実でもそうで、
いろんな人に思いを伝えれないまま終わるかもしれない。
だからこそ、終わらせないでほしい。
ボクはまだ、ここに居る。
まだ、まだ、まだ、ボクは前を向いて歩きたい。
臆病だから誰よりも一歩一歩は遅いかもしれない。
臆病だから人に思いを上手く伝えれないかもしれない。
臆病だからボクは前を向くのが怖いかもしれない。
でも、それでも前を向きたい。
それがボクにとって、有限な人生を楽しませてくれる。
ボクが臆病だからこそ、前を沢山向ける。
ボクが臆病だからこそ、思いを伝えようと思える。
ボクが臆病だからこそ、暗い場所でも微かな光を掴める。
また、明日も明後日もその次の日も生きていよう。
明日はどんな言葉が綴れるかな?
今日はあんまり楽しくない文章かもしれない。
ネガティブだけど、ポジティブな変な言葉。
けど、ボクはそれが楽しい。
うん、楽しいな。
明日はもっと楽しい事を言葉として伝えれますように。
愛情
ボクは感情表現が苦手だ。
何より、ボクは恋愛が特に苦手だ。
正直、ボクは人の事に興味はない。
男、女、という考え方にも興味はないし、
前に学校の人と話をしていて、恋愛の話をして全く理解が出来なかった。
そういう恋愛観も無ければ、きっとボクは付き合いづらい生物であり、中身は臆病な妄想空想想像大好き変な奴なのだから、尚更好きになった相手は困惑するんだろうな、と思って生きていた。
だから、
恋愛として好き、男女として好き、感情を出すのが苦手、
なボクは、好きになっても遠目で見る事しか出来なかったな、と思う。
そんなボクでも、今一番仲の良い人がいる。
その人はとんでもなく面白い変な人だった。
その人は虹色のステンドグラスが常に心の太陽で光っていて、その中で環境や相手との関係に溶け込む為にいろんな色に合わせやすい緑色に、芯の強い黒色が綺麗な人で、ボクはそんな凄い人と仲が良い。
見た目は凛としてキリッとしてる生真面目そうで、凄くミステリアスで男女か分かんないぐらい、とにかく究極の美、と思ってしまう程、神秘的な人なのに、中身はすぐにその場で反射神経のように喋ったり歌ったり踊ったり、一緒に変な高いノリについてきたり、時にはちゃんとしっかりはっきり言い合いもできる、本当に心の底から変な人だった。
このギャップにボクは心臓が星みたいにキラキラ輝いて、
この輝きをボクは忘れずに、ずっと相手をしてもらった。
ボクは本当に感情表現が苦手、つまり、愛情表現も苦手なのだ。
愛情と言うのは、本当に難しいものだと思った。
相手に自分の気持ちを伝えるのは、軽装備でエベレストに登るぐらい難しいし、その山という壁を乗り越えるのも難しい。
想像力がある分、ボクはいろんな事を考えるから、すぐに迷って、悩んで、考えて、動けずにいる。
しかもそれを伝えずに、一人で考え込むから良くなかった。
けど、その人はそんなボクの話を聞いてくれた。
お互い、考えることや好きなこと、嫌いなことも真逆だった。
唯一、趣味は一緒だったが、それ以外は全部真逆で、意見の話し方も真逆だから、ぶつかる事もある。
お互いに、何故、アナタはそう思うの?と思っているだろう。
けど、それが良かった。
その人はボクの考え方を面白い、と思い。
ボクはその人の考え方を素敵だ、と思った。
そこから思ったのは、
愛情というのは、相手を理解すること。と思った。
何かと思うのは、自分だけの愛情はきっと、相手に伝わなければ愛情、つまり愛情表現とはならない。
一方通行の愛もあると思う、けど、ボクは思いを伝えるからこそ、愛情なのかな?と思う。
ボクは幼い頃から親にちゃんと愛情を貰った訳では無い、
からこそ、相手に思いを伝えるのは苦手だった。
ボクの気持ちは相手に伝わるのか?
こんなに感情を出すのも、表情に出すのも、自分自身の気持ちを話すのも、苦手はボクが、相手に伝わるのか?
そんな不安も吹っ飛ばしたのは、その人だった。
臆病のボクとは真逆の猪突猛進の相手はとにかく一緒にいて楽しかった。
ボクにとって、その人とは恋愛関係、というよりかは、
とにかく思いを伝えて大切にしたいな、と思う人だった。
そう思うのは、ボクにとって、ボクを認めてくれた人だったから。
愛情というのは、気持ちを伝えないと、
愛情と呼べないのかもしれない。
なんて個人の話だから、他の人がどう思うかは自由だ。
ボクはボクの考え、人は人の考え。
だからこそ、愛情というのは深い。
ボクはこれからも、愛情を伝えれるだろうか?
それはお互いが生きてる内に出来たらいい。
人の人生は長いし短い、けど、だからこそ伝えないといけない。
形も言葉も人それぞれだから良いし、ボクはボクのやり方がある。
それを受け入れてくれた相手を、大事にしたい。
それが、愛情だと思う。
なんて独り言を、ボクは今日も呟く。
太陽の下で
どんな時も体も心も暖かくなる。
太陽が大好きな向日葵は花を咲かせ、地上に咲く星空のような黄色は、沢山の向日葵が太陽の下で生きる。
水は植物からしたら、それは本当に飴玉のように甘くて美味しい栄養がある雨や地球から出ている美しいもので、
土は地球を作る為に必要だったかのようにどこまでも無限に広がり、きっと古代から代々、この地球に存在していて、ボクはその土や水の栄養で健康になり、太陽の暖かい光で花を咲かす。
それは、自身の才能や個性も同じようで、
きっと人には必ず咲く花がある。
ボクはなんの花を咲かすか?それを考えていた。
花にも個性豊かに無限に種類がある。
まだ誰にも発見されてない花もあれば、よくその辺で見る花もある。花屋さんでしか売られてない花、その場所、地域、国でしか見れない花もある。
花は美しく色鮮やかで、綺麗な姿で、どんな人も魅了する。
その美しさで想いを伝え、それが喜び、悲しみ、楽しみ、苦しみ、怒り、または愛である。
そんな花は太陽がある場所だと、必ず咲く。
太陽はどんな時も地球を照らす、地球のランプだ。
ボクもその太陽の下で生きている。
だから、何らかしらの花は咲くはずだ。
周りの人は皆、色鮮やかな花を咲かせている。
赤色、黄色、青色、紫色、水色、桃色、
緑色、橙色、茶色、黒色、白色などなど。
こんなに美しくて綺麗な色が沢山存在しているのに、
ボクはこの中の色は持っていないし、咲かない。
どちらかと言えば、
ボクは無色透明な花を咲かせているかもしれない、と思う。
ボクは無色透明だから、いろんな人の色を見た。
その中で、ボクはいろんな色の花になってみた。
黄色いたんぽぽ、赤色の薔薇、桃色の桜、橙色のポピー。
白色の百合、紫色のラベンダー、青色のネモフィラ。
けど、どれもボクとは言えない花しかなかった。
ボクはどんな花を咲かすのか?
ボクは一体、どんなものを持っているのか?
ボクがボクと言える色の花はなんなのか?
けど、その中でボクはサンカヨウという花を見つけた。
自然降雨で濡れると白色から透明になる花。
ボクはその花が凄く好きになり、
知った時はずっと調べて見惚れていた。
こんなボクでも、無色透明なボクでも、この地球に花があるんだ。
ボクは、この地球で生きて、太陽の下で花を咲かせ、
自然の雨で無色透明のボクを咲かせる。
色鮮やかとは言えないかもしれないけど、
無色透明ならではの美しさと綺麗さはサンカヨウにしか咲かせない。そして、その才能や個性はボクにしか出せない。
ボクはきっと、無色透明だからこそ、できることがある。
いつかはこの花を目の前で見てみたいな。
そうしたら、ボクは本当に地球に存在する事が理解できる。
ボクはちゃんと、この地球で生きていたんだ。
サンカヨウからしたら重たい気持ちだけど、ボクは気にしない。
だって、花もボクも見つけてくれたのは太陽だから。
今日も、ボクは太陽の下で花を咲かせている。