ああ、神様って本当に意地が悪いというかなんというか、人間の扱い方を良く理解しているわ。
どうして、上げて、下げて、そしてまた上げるのがこうも上手なんだろう。
落ち込むようなことがあっても、嬉しい偶然が、待ちに待って忘れてしまったひとときが、唐突に訪れる。
人生簡単に諦められないじゃないの。
冬の寒さが身に染みて、骨の髄まで滲んでくる。でもやっぱり、生温い環境で生きてきた私は、それくらい寒くないと生きた気がしない。
君と一緒に散歩した。君と一緒に水族館へ行った。君と一緒に花火を見た。君と一緒に旅行した。君と一緒に一夜を共にした。君と一緒に人生を賭けた。君と一緒に新居を探した。君と一緒に式を挙げた。君と一緒に病院へ行った。君と一緒に我が子の顔を見た。君と一緒に保育園に行った。君と一緒に勉強し、それぞれがむしゃらに働いた。君と一緒に成人式に出席した。君と一緒に今後の計画を練った。君と一緒に新たな誓いを交わした。ずっとずっと一緒だと。
あれから数十年。
君は一人で飛んでいった。遠くに、遠くに、飛んでいった。
その晩、一人で寝た。早朝、目が覚めた。外へ出た。訳もなく、目的もなく、散歩をした。訳もなく芝生にしゃがみこんだ。寝転んだ。
まだ肌寒い。頬がじわじわと火照っていくのを感じる。でも温かいのは頬だけだろうか。
空を見上げる。
その時、確かに隣で君の温もりを感じた。
君と一緒に空を見上げた気がしたんだ。
とうとう新年ですね。
とは言っても、暦というものは人間が色々分かりやすくするために時間の流れを区切ったものであって、年が変わっても、新年は昨日、先月、去年、一昨年の延長線でしかない。
本能のままだけに生きない人間にとって、この区切りはきっと必要なのでしょう。
社会の中で生きている以上、人間には理性で自分の気持ちや欲望を抑えることが必要とされます。社会の流れに沿わなくとも、人間ある程度は社会の影響を受けます。そんな生き物なのです。だから人間には感情があるのではないでしょうか。
広大な情報の海の中で、時に荒ぶる感情の嵐の中で、自分というものを見失わないために、時々整理をする必要があるのです。生きる意味や希望を見つけなければならないのです。
けれども、何もかも区切れば良いという話ではないと私は思っています。区切りというのは確かに便利である反面、同時に私たちを利用しやすくするための道具でもあると思います。
月が変わるから、年が変わるからといって全てを水に流して良いとは限りません。物事は一つ一つ、緻密に繋がっています。
区切りだらけのこの世の中、非常に難しくはありますが、何事も一つの物事の延長線として考える力を身に付けることは意外と大切だったりするかもしれません。それが物事を客観視できることにも繋がっていきます。
まあでもなんと言いますか。
新年明けましておめでとうございます。
密かに作り上げる標本には不思議な満足感がある。自分だけの、唯一無二の標本。それは自分の人格そのものとも言える。私の秘密の標本?それは秘密なんだから教えるわけにはいかないが、そちらも赤の他人の標本に対して然程興味はなかろう。