私たちは世界を「目」で見るけれど、「瞳」で捉えていると思う。瞳は、私たちのもっと奥深いところと繋がっている、心の窓だ。目だけでなく、あらゆる感覚器官を通して得た情報の本質を見て吸収するのが、瞳だ。だから私たちは人の目を見て話すとき、同時にその人の瞳を見ているのだ。
私たちの感覚器官はありとあらゆるものを拾ってくるため、気付かぬうちに頭が混乱してしまったりする。主にそれらの情報を一時整理するために、私たちは睡眠を取るのだとも思う。
目を閉じれば不快な光景は見えなくなる。しかし、私たちの静寂を日々邪魔する雑音や雑念には、目を閉じるだけでは妨げきれないものがある。
だから、時には目を閉じ、静まり返った心の音に集中して、世界を心の内から見る必要がある。それを「瞳をとじる」というんだと思う。
自分自身を大切にすること。それはあなたができる一番の、あなたへの贈り物。
感覚こそが私たちの羅針盤。鍛練を重ねて、研ぎ澄まして、性能を上げていく。
明日に向かって歩く、でも、たまに前に進むのが恐くて歩みを止めたくなったりする。新たな出来事は必ずしも楽しいものばかりではなくて、難しい試練を前に足が竦んだりする。
それでも、たまに止まっているように思えても、考え続けている限り、諦めていない限り、頭の片隅で 「進まなきゃ。」っていう声が響いている限り、なんだかんだ歩いているんだと思う。
歩んできた道と進むべき道を示す地図でもあれば良いのにね。そしたら迷子になる心配がないのに。
でも歩くしかないんだよ。
でもね、やっぱりこわいよ。
「あたたかいね」って言うってことは誰かに話しかけているんだろうな。
一緒に飲んでいるお茶が美味しかったのか、一緒に浸かっているお湯が気持ち良かったのか。
熱くも、ぬるくもない。丁度良いあたたかさを感じるのは、その人との関係があたたかいものだからだろう。