ないものねだり―無いものをねだるということは、少なくとも求めるものが手に入る可能性があるということ。結局手に入らないのかもしれないが、それを望める立場にあるということは十分恵まれている証拠だ。
好きじゃないのに何かをするのには理由がある。何故なら、そうでなければ好きでもないことはとっくのとうに投げ捨てているからだ。
好きでもない仕事を渋々するのは、趣味を続けるためや養いたい者があったりするからだ。ただ生きるためだけに仕事をしていたとしても、それはいつか訪れるかもしれない小さな幸せをどこかで待っているからだ。
好きじゃないのに何かを気にするのは、嫌いというだけで突き放しきれない何かがあるからだ。人間は心底嫌いなものには無関心になる。
「好きじゃないのに」の先には「好き」がある。
人生には必ず回避できない試練や難題というものが置かれてあって、私たちはそれを乗り越えざるを得ない時がある。そういう意味では人生はところにより雨と言えるだろう。しかし、雨が大地に必要不可欠であるように、私たちに降りかかる苦難もまた、私たちの人生を潤し、より豊かにするという大きな役割を果たしているとも言えるだろう。
特別な存在とは、言い換えれば、自分が尊敬していたり憧れを抱いていたりする人のことを言うと思う。しかしその尊敬や憧れは時に「恋」にとてつもなく近い感情に至ることがある。故に私たちは「憧れ」を恋と勘違いすることもあれば、恋する気持ちを「尊敬」で誤魔化すこともある。そのため、特別な存在はどこか想い人に近いものがあると思う。
しかし、年の差や立場、或いは性別を気にするのであれば性別などの理由でその恋が実らないのをどこか自覚しているから、その人は自分にとっての『特別な存在』になるのだと思う。「家族」や「恋人」のどれにも当てはまらないその人に、自分の想い入れを表す何らかの肩書きを作ることが、自分の行き場を失った感情を逃がす、自分をなだめる唯一の方法であるから。その人たちのことを思う時にたまに胸が少し苦しくなるのはそいうことだろう。
何事にも全力で、相手への思いやりを欠かさない限り、人の行動や想いにバカみたいなものなんて決してないと思う。
中途半端だったり、人と比べたり、人を貶めるような行動こそがバカみたいであって、その他は立派以外の何事でもないと思う。
自分にとってはバカみたいと思うような行動をとって落ち込むことがあっても、客観的に見れば何もそんなに卑屈になることではないのではないかな。