中学1年生のときから仲良くしている友達がいた。
彼女は綺麗で、親しみやすくて賢くて、努力家で、将来の夢に向かって直向きに努力のできる良いとこのお嬢さまだった。なんでそんな出来過ぎた子がわたしを気に入ってくれたのかは分からないけれど、わたしたちは親友と呼べる仲になった。他のクラスメイトが、「2人の間に割って入れない」というくらいに。
彼女は医学部志望だった。
高校に上がって文系と理系でクラスが分かれて、そこからは同じクラスになることはなかったけれど、登下校はほとんど一緒でわたしたちの仲は変わらなかった。彼女は付属大学の医学部を目指し、わたしは外部の大学を目指した。バスの中で、お互いに勉強したことのない生物や日本史の教科書を見ながら、相手のために問題を出し合ったりした。
出会って6年目の春、わたしは第一志望の大学に入学した。
彼女は都内の予備校へ通うことになった。
彼女との仲は相変わらずだった。
時間を無駄にするからとSNSを一切やっていなかった彼女は、とうとうLINEのアカウントも消して、勉強にのめり込むようになった。わたしたちはiMessageで連絡を取り合った。彼女はわたしの大学生活の様子を楽しそうに聞いてくれた。新しくできた友達、サークルの話、授業がどんなに難しいか、面白いか。
彼女も日常の些細なことをわたしに話してくれた。会話は途切れなかった。
その次の春、2回目の受験を終えて彼女は大学へ進学した。
医学部ではなく、薬学部だった。
大学生になってからもわたしたちは変わらず親友同士で、大人になって年老いてしわしわのおばあちゃんになっても親友同士で、昔話に花を咲かせてはゲラゲラ笑う仲であると信じて疑わなかったわたしは、自分が3年生になった4月、突然彼女と連絡が取れなくなったとき、単純に忙しいんだろうな、と推測していた。
人の命を預かる仕事をするために学ぶことは膨大で、努力家の彼女のことだからきっと今は手が離せないんだろうな、と。
連絡が取れなくなって4ヶ月、会えない?と連絡したら忙しいと返信が来た。そっかあ、じゃあまた次の機会にね。それから彼女からの連絡はぱたりと途絶えた。大学に入学してから作られた彼女のInstagramのストーリーは更新され続けた。
正直、わたしは戸惑っていた。
10年来の親友にこんなに唐突に、そしてあからさまに距離を置かれた理由が分からなかった。理由は分からないけれど、何かしら自分に原因があったのだろうと、思い切って彼女に連絡した。
何かしでかしていたらごめん、と。
「むしろ気にかけてくれてありがとうね。謝らないで。
わたしが思うに、今私たちがいるべき場所、頑張ってる方向性、将来に対しての目標や気持ちがお互いそれぞれ違うフィールドだからこういうすれ違いみたいなことが起こってるんだと思う。
これは誰が悪いとか、どっちがいけないとかではなくて、私たちがそれぞれ違う方向性で頑張って、成長した結果だから今見えてる景色が違うってだけだと思うんだ。
高校卒業して、ここまでに辿り着くのにいろんな価値観に触れてきて、学んできて、成長してきたわけだから、自分たちの価値観の軸はいつまでも同じではなくて、変わると思う。
だから、理解をし合わなきゃいけないとかじゃなくて、尊重していきたい。
これからはお互いのフィールドになると思う。だから、お互いそれぞれの道頑張っていこうね。」
これが元親友からの最後のメッセージ。
わたしはこの突然の別れに、いまだに心の整理がつかないでいる。
偏屈な人間なので、明日世界が終わろうというときに何かを願うという発想に至っている出題者とはお友達になれないと思う。
願ってる暇があるなら行動しろ。
自分が死んだあとも世界が続いていくなら、殺処分される動物がいなくなりますように、とか願うかもしれないけど。
明日世界が終わるまでにひとりの人間が願ったことを即叶えてくれる神様って一体どんな神様なのか教えてほしい。そんな能力がありながら、世界中の人々が願っている世界平和やらが叶えられてないって職務怠慢でしょ、神様の。
お題とは異なるけれども、明日世界が終わるとわかっていたら、私は大好きな友達に会って猫を日のよく当たるところでブラッシングして、夜は好きなアニメを観ながら薬のせいでしばらく飲めていない酒をしこたま飲む。砂肝と枝豆だけは外せない。
あなたの幸せって願わなきゃいけないほどのことなんですか。
その辺に転がってるもの、もう一度よく見てみてくださいよ。
「ありがとう」を伝えたかった、そんな相手を思い浮かべろという。あえてひとり挙げるとしたら、わたしが高校生の時に他界した曽祖母である。
曽祖母はそれはそれは温厚な人で、全ての言葉が丸みを帯びているような優しい人だった。92歳で亡くなるまで、自分の身の回りのことは自分で世話をして、「手ついでっていうんだ」と他の家族の分の家事まで一緒にやってくれたりした。
曽祖母は、初孫の初子(初ひ孫)?であるわたしを大層可愛がってくれた。夏休みなどに曽祖母を訪ねたときは、玄関で顔を皺くちゃにしながら、ぎゅっと苦しいほどに抱きしめてくれたことを覚えている。
曽祖母の死は日頃の行いが報われたような穏やかな死ではなかった。最後の最後は病気で苦しんでから亡くなったけれど、そのときに伝えた「今までありがとう」の気持ちは今もまだ持ち続けている。
ひ孫として可愛がってくれてありがとう。くだらない話を聞いてくれてありがとう。無条件に愛されているって教えてくれてありがとう。
ときどき、リビングに飾った小さな遺影の中でダブルピースをして笑う曽祖母を見て思う。これまで曽祖母がいっぱい人に与えてきた分、天国でたくさんの「ありがとう」を受け取る立場になっていますように。
優しくしないで、と思ったことは生きていてこのかた一度もない。そんなおセンチな心境になれるような性格はしていない。優しさ、好意は有り難く受け取る、よく言えば素直で悪く言えばゲンキンな性格をしている。
優しくされたくない人ってどんな人かなと考えてみる。
これ以上優しくされたら好きになっちゃう♡みたいな禁断の恋まで5秒前の女、自分なんか優しくされる価値なんてないから…の自己肯定感低め系、自己満足の偽善的な優しさに辟易とする人?
最後の人が言うのは多分、優しくしないで、なんて生ぬるい言葉ではなくもっと尖った言葉だと思う。
結局のところ、優しくしないでという言葉選びをする人は優しくされたい人な気がする。
ここ最近、結構重いお題が続いていて、明日のこともわからないのに善と悪とか知らん無理〜と思って書かずにいたら三日坊主が完成していた。
今日のお題の「カラフル」はカタカナだし、響きも重くないし、簡単に書けそうと思って開いてみたけど、ブレインストーミングが捗りすぎて一つに絞れず逆に難しい。テーマパーク。イルミネーション。どうぶつの森で適当に植えた花。森絵都の「カラフル」は随分昔に読んで好きで捨てずに取ってあるけど、もうだいぶ内容を忘れてしまっている。
おのれ、図ったな。と責任転嫁をして、今日はおしまい。